トイレットペーパーなくなった
佐々井 サイジ
第1話
満員電車は良い。みんな臭いだの窮屈だの朝から疲れるだの悪いところしか上げないがもっと良いところに焦点を当てるべきだ。それはちょっと悪いことをしてもバレないこと。
僕の前には女子高生が太腿丸見えのスカート丈で耳の穴にワイヤレスイヤフォンをはめ、スマホと音楽に夢中になっている。肩にかけた鞄が僕の胸を押していることに気づきもしない。それを許してるんだからちょっとサービスさせてくれよと手の甲でお尻に触れるんだ。これだけ人がいたらバレることはない。スカートを捲って触るのではなく、あくまでスカート越しに、そして手の甲で触れる程度なのだ。女の子は多少嫌な思いをしているとは思うが、そこまでひどいものではないだろう。
ただちょっと悪いことをしたバチなのか、駅に降りた途端、腸が絞られるように痛み出した。今日は家でうんこが出ていない。こういうときはだいたいこの時間帯に腹痛を起こすのだ。
人並みをかき分けることはせず、無表情だが涼しい顔で、けれどもお尻の穴に最大限の力を加えて階段を降りる。階段から最寄りのトイレは個室が二つしかなく、おまけに両方とも使用中の可能性が高い。トイレに入ったらすぐに出すことができると思って閉じられた個室を見たときの絶望感は、腸の痛みを倍増させる。
トイレに入り、個室を確認するとやっぱり使用中だった。おまけに僕の前に二人並んでいる。つまり、両方、人が出てきたとしてもまだ待たなくてはならないのだ。しかし経験でうんこを耐えるメンタルは散々鍛えてきた。腹はぐるぐると不穏な音をこもらせて油断すれば緩んだお尻の穴から弾けだしてきそうになる。これは真剣勝負なのだ。
ほとんど同じタイミングでドアが開き、僕の前の二人がそれぞれ個室に入っていった。こういうときに僕が祈ることはただ一つ。無駄にスマホを眺める時間をつくるなということだ。前に並んでいたのは両方スーツ姿の中年。だったら会社の始業時間があるのであまり長居はしないだろうと読む。しかし、この予想が外れたとき、また絶望感に苛まれ、腹が限界を迎えかねない。こういうとき僕は、今個室に入った男は排泄目的ではなく、朝から爽快な気分を迎えるために二時間もののAVを聞きながら一人情事に励んでいると思い込むのだ。実際に二時間トイレに閉じこもることなどない。しかし、頭がそう理解することで実際に五分十分そこらで出てきたときに、喜びも一入ということになるわけだ。
手前の個室からトイレットペーパーを巻く音が聞こえた。もうすぐだ。水を流す音も聞こえ、すぐにドアが開いた。僕は中年と視線を合わせる。そこには二時間も籠城しなかったあなたに敬意と感謝を表するというメッセージを込めるのだが、中年はこの真意を理解する様子もなく、すぐに視線を逸らした。
ドアを閉める間際、清掃員が小便器を掃除している姿が見えた。個室を陣取られなくて良かった。長らく耐えたうんこはやや軟らかめだった。まだ出そうな余韻があり、SNSを見ながら時間を潰していると、ドアが叩かれた。その音には今にも漏れそうだという悲愴さが漂っていた。
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