高砂は天を舞う。

HerrHirsch

第Ⅰ章 犬と鰯と回転草と

第1節 出会と協力

第一話 交錯と宣誓

「はぁ、はぁ、はぁ…」

スィオフィア帝国北西部、ジルド侯爵領、侯爵邸裏手にある深い森の、その草木をかき分けて、薄灰色の布をフードのようにして被った少女が裸足で駆け抜けていた。

(逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ…っ!あんな所はイヤ!もう2度と!)

その少女は、強い決意を持って、そして何かに追われているかのように焦りを持って、月光の照らす深森の土を蹴っていた。そうだ、逃げ続けろ、まだ立ち止まる時じゃない。

「居たぞ!逃すな!」

否、《ように》というのは正しくない。彼女は実際追われていた。彼女の垂れ耳は、その声を正確に拾い上げて、ピッチを上げる。

『【水龍の囁き】!』

彼女を追う兵士たちの耳元に、彼女の懐から飛び出した水流が直撃する。軽装の兵士たちは頭部を防護しておらず、鼓膜に深刻なダメージを受けて立ち止まる。だが、そこは彼らも先頭のプロ。ハンドサインで追走を決め、再び走り出す。

(だめ…もう…)

疲労の蓄積。それは判断力だけでなく、感覚をも削いでしまう。彼女は、自分の足下に仕掛けられた縄に気が付かなかった。

「えっ、イヤっ!?」

ぷらーんと、左脚を捕えられて逆さ吊りにされ、その姿は月明かりに晒される。

首下まで伸びていたであろう、真紅の短髪。両側頭から垂れる、毛に包まれた黒縁の犬耳。翠に染まった、恐怖の涙を湛える大きな眼。そしてその上に目線を映せば、赤い首輪とそこから垂れる鉄鎖のリード、薄紅色に揃えられたブラジャーにレースを取り付けたランジェリーとアンダーウェア、そしてガーターベルトを付けたニーハイと、全身下着だけの半裸の姿。

そう、彼女は、犬の獣人、それも性奴隷なのだ。実に煽情的でヒロインに相応しい。

「猟師の罠か……よし、捕えろ!」

兵士たちが少女を取り囲み、剣や杖を突きつけながら手を伸ばす。だが、その手が少女に触れんとした刹那。

「少々、お待ちいただけますでしょうか?」

「なんだ!?」

兵士たちが、一斉に少女に背を向けて声の主を探す。

「姿を現せ!…全員、戦闘配備ッ!」

部隊長が、そう言いながら剣の柄を握り直す。

「……。」

月夜の晩に吹くそよ風に乗って、どこからか回転草がその視線の先に転がり来る。全神経を研ぎ澄まし、その奥に居るであろう声の主を探す部隊長。だが、

「……あの、仰るとおりにしたのですが、無視は酷くありませんか?」

その回転草こそが、声の主なのだ。

「……は?」

「えっと、あの、聞こえてらっしゃいます?回転草の者ですが。」

世にも奇妙な自己紹介を発しながら、回転草はぴょんぴょんとその場で跳ねる。この状況を見た兵士たちは、口をぽかんとあけて呆けている。

一番に意識を取り戻したのは、歴戦の猛者である部隊長だった。

「か、回転草が喋っただとっ!?」

字面にすると異常極まりないが、それが現実に起こり得るのがこの世界なのである。

「魔物…ッ?!」

「喋っていて意思疎通ができる…魔物ならS級相当だぞ!警戒しろ!」

「気配を感じませんでした……相当な手練れです。」

一気に兵士たちの警戒度が頂点に達する。それもそのはず、喋る回転草というのは、字面だけではただのわけ分からない現象だが、それが日常的に起こるこの世界においては、現実の危機でしかないのだ。……喋る回転草、何でこんなものを作らなきゃならないんだよ。

「この姿だと皆さんが見えないので、少々お時間頂戴いたしますね。【草木の天使】。」

回転草はそう呟く……回転草が呟くってなんだ???いや、まぁいい。回転草がそう呟くと、回転草を構成していたツタがほどけて人型になり、そして同時に地面奥深くへと根を下ろし、莫大な魔力を吸収して、そして周辺の植物から水分も吸収して、その体躯は四肢を得、五体を為し、更には服までもを構成していく。

現れたのは、身長170cmほどのエルフ。横に長く伸びた耳が特徴的で、薄緑色の長髪に栗色の眼、白い服に黒いパンツ姿のラフな格好の、長身の美女というのが全体のイメージである。

「エルフ…だと…。」

「【草木の天使】がなぜこんなところに……。」

草木の天使、というのは、エルフに対する敬称であり、種族それ自体を示す代名詞でもある。神、アウレディーカの名の下に知能を持つことを許されたいくつかの生物の中でも特別に高い知性と魔力、それらが畏敬の対象として人々に侵攻される所以だ。エルフは本来、聖なる森と呼称される相当の森林にのみ居を構え、そこは神聖不可侵なる場所として崇められる。だが、この森にエルフは居ない。そのはずだった。

「私は、エルフの形を借りた回転草に過ぎません。より正確には、アウレディーカ様からの命を携え世を転がる枯れ草なのです。」

「神託の使い…。」

「ぐっ…それで、御用は。」

「そちらの犬人を引き渡して頂きたいのです。神はそれを望まれました。」

その言葉に、嘘偽りはない。確かに、私がそう命じたのだ。

「それはなりません。これは、この地を収める領主、ジルド侯爵の性奴隷なのです。我々はこれを追い、連れ戻すよう主に命じられています。例えエルフ様のお言葉であっても、それはできないのです。」

……。

『我に歯向かいし者どもに、よもやこの地を統べるに能わず。アウレディーカの名を以って命ずる。高砂〔たかさご〕早苗〔さなえ〕よ、天罰を下せ。』

「畏まりました、主よ。」

「……?」

彼女にだけ聞こえる声で、私は彼ら兵士たちの抹消を命じる。

「アウレディーカ様は、貴女様方の死を望まれております。であるならば、せめて安らかに、そして早々に、お朽ち果て頂くのが世の理です。」

そう言うと、エルフは空を舞い、両手を拡げ、目を閉じる。

「まずい…総員退避!今は逃げろ!」

どたどたと散らばる兵士たち。

「主よ、汝が願いを叶えさせ給え。我が手中より死を以って彼〔か〕らに天罰を下し給え。この力は、風の随に、ただ吹き過ぎるように。【爽風は夜を照らす】。」

その言葉を呟いた瞬間、彼女の両の手のひらから風のように光が溢れ出す。逃げる兵士たちに、その光はすぅっと近付き、心臓を一突き。断末魔を上げる事さえなく、兵士たちは静かに倒れて死ぬ。

やがて光は風に流されるように消えていき、エルフも地面に降り立つ。

「貴方は……。」

犬人の少女は、枯れて倒れた木に片足を預けながら、手をついてエルフを見上げる。

「……神は、貴方と、その貴方の親友さんと、私と、三つで織りなす物語を望まれていらっしゃいます。誓って下さい。私と共に、人間を亡ぼすと。そのために、私の使いとなることを。」

犬人の少女に差し出される細長い手。その手は月光に照らされてきらきらと輝いている。その神秘さに魅入られた少女は、おもむろに手を伸ばし、告げた。

「……はい。」

たった二文字。しかし、確かな了承の言葉。

「そちらのお刺身さんは?」

『……あんた、同族だろ。俺はこいつについていく。そのためなら、お前とも協力する。』

少女が首から下げている巾着からも声が出る。魔力による念話だ。

「……誓います。私、回転草である高砂早苗は、ここに性奴隷、フェリア・ブラウズハウエルさんを我が奴隷と為し、鰯のお刺身さんを我が同胞として迎え入れ、この両者と共に人類を滅亡させます。……よろしくお願いしますね。お二人とも。」

これから、始まるのだ。犬と鰯と回転草の、戦記物ラブコメが!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

高砂は天を舞う。 HerrHirsch @HerrHirsch

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画