第4話 紹介しましょう。これが私の可愛い妹です

「おかえり〜」


 リビングからひょいと顔を出すお母さんは、おせんべいを片手に言葉をかけてくる。


「ただいま」


 スリッパに履き替えた私は返事を返し、お母さんに続くようにリビングへと入った。

 そしてソファーの後ろに荷物を置き、キッチンに移動してお水を飲む。


 いつもと何ら変わらない行動だったはずなのだけれど、せんべいを喉に通したお母さんが不審な顔をこちらに向けてきていた。


「な、なに?」


 まだ水が入っているコップを片手に、動揺しながらも眉間にシワを寄せる。


「いいことでもあった?」

「なにもないけど……」

「そう?なんか笑顔な気がしたんだけどね」


 笑顔な気がした?

 絶対嘘ね。私が笑顔な訳が無い。


「気のせいじゃない?逆に嫌なことがあったぐらいだし」

「え、嫌なことあったの?大丈夫?」

「大丈夫」


 いじめかなんかだと思ったのだろう。

 心底不安げな目をしてくるお母さんに軽くあしらった私は、残りのお水を口に含んで靴下を脱ぎ、洗面所へと持って行く。


 口ではこう言ってるものの、正直大丈夫ではない。

 今までは白崎と話さないように前の席の女子生徒とプリントの交換や答え合わせをしていた。

 もちろんこれからもそのつもりだったのだけれど、今日みたいになってしまえば逃げ道がない。


 先生に提案された時に白崎が断っていれば、ノートなんて貸すことなんてなかったんだけど……まぁ結果論よね。

 断れなかった私も悪いし。


 叩きつけるように洗濯かごに靴下を投げ入れ、石鹸をつけて丁寧に手を洗う。

 ボーっと鏡に映る自分の顔を見つめながら、無心で手をこすり合わせる。


 約5年前からは想像もつかないほどに伸びた髪。

 あの時はお風呂もまともに入ることができなくて、看護師さんの負担を減らすために髪を短くしてたんだっけ。


 お風呂に入る度に『もう髪は伸ばせないのかな』なんてことを思っていたのだけれど、今となってはこんなに伸びてくれたのだ。

 頑張った自分、そして治してくれた医者には本当に感謝でしかない。


「――ねぇね?」


 突然洗面所の扉が開かれ、そんな言葉が耳に届いた。

 肩を跳ねさせて声の主に目を向けてみれば、背の小さい少女がこちらを見上げている。


「どうしたの?さっちゃん」


 未だに手を擦り合わせていた私は、レバーハンドルを持ち上げて水を出す。


「遊ぼ?」


 コテンと小首をかしげるさっちゃん――紗月さつきは私の太ももに抱きついてくる。

 なんとも愛くるしい妹の姿に、思わず頬を緩ませてしまった。


「遊ぼっか。お部屋で待っててね」


 水を止め、吊るされているタオルで手を拭きながら言葉をかけてやると、大きく頷いたさっちゃんはタタタッと洗面所から飛び出していった。


 さっちゃんが生まれてからはや4年。私の心の癒しであるさっちゃんは毎日のように私に遊びを乞いてくる。

 もちろん拒否するわけもないので、毎日楽しく遊んでいるのだ。


「あ、やっぱりいいことあったんじゃん」


 リビングに戻ると、またせんべいを頬張るお母さんがこちらを見ながら言ってくる。


「さっちゃんに遊びに誘われたからね」


 今回は否定のしようもなく嬉しいことがあったので、緩ませた頬のまま素直に頷き、カバンを持って2階の自室へと向かった。


「ねぇね!」


 扉を開くや否や、私の部屋からは元気な声が聞こえてくる。

 締め切ったカーテンからは見えない太陽が、まるで私の部屋に存在するような輝きに、思わず胸を撃ち抜かれてしまう。


「遊ぼ!」

「う、うん。遊ぼっか」


 崩れそうになる膝をなんとか保ち、カバンを机の横に置いた私は、カーペットに座るさっちゃんの隣に腰を下ろす。


「なにするの?」

「お絵かきしたい!」

「お絵かきね。ちょっと待ってねー」


 せっかく下ろした腰を持ち上げ、机へと移動した私は引き出しを開けてお絵かき帳と色鉛筆を取り出した。

 そして机の上に2つを並べ、


「おいで?机でやろっか」

「うん!」


 トントンっと椅子を叩いてやると、元気良く頷くさっちゃんはこちらへと駆け寄ってくる。

 そんな姿が堪らなく可愛く、また頬を緩ませてしまう。


「さっちゃんね、将来お絵かきする人になりたい!」

「お絵かきする人になりたいの?」

「うん!」

「さっちゃんは塗り絵が上手だからきっとなれるよ」

「ほんと!?」

「ほんとだよー。ねぇねも応援するから一緒に頑張ろうね」

「うん!」


 色鉛筆を片手に、ノートを開いたさっちゃんは、これまた満面の笑みを浮かべてライオンのたてがみに色を付けていく。


 丁寧に枠組みをなぞりながら、極力隙間ができないように色鉛筆を動かす姿を見れば、本当に絵師になれる気がした。


 1年前から毎日のように色を塗っているお絵かき帳は、今では10冊目になり、たまに見返せば目に見えるほどの成長を遂げている。


 もちろんそれはすごいと思う。

 ただひとつのことに一心になり、夢に向かってやり続けるということはすごいことだ。


 でも、そんな妹を見れば頑張れという気持ちがある反面、羨ましいと思ってしまう。

 確かに私の病気は収まった。

 けれど、身体が弱いのには何ら変わりはないのだ。


 だから過度な運動ができないし、楽器などに長時間息を吹きかけることもできない。

 私だってさっちゃんと一緒に絵を始めてみたのだけれど、どんなに頑張っても私の成長だけは見込めなかった。


 その時に較べてしまったのよね〜。

 毎週のようになにかを披露するあの白崎と。

 そしたら色々と戦意喪失しちゃってね……。


「――ねぇね?顔怖い?」

「あっ、ごめんね。ちょっと考え事しててね」


 小首をかしげながらこちらを見上げてくるさっちゃんに、言葉を返して優しく頭を撫でる。

 すると、心地よさそうに頬を緩ませ、すぐに色塗りを再開した。


 私はあいつみたいに才能がある訳じゃない。得意があって、不得意がある。

 なんでも出来る人というのはひと握りであって、私はその1人じゃない。


 うん、私は私よね。

 自分のペースで好きなことを見つければいいし、これからできることを見つければいい。

 私と白崎は違うんだから。


 そう心に決めた私は、ひとつ頷いてさっちゃんの手元に視線を下ろした。

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