#3
以上が、ボクが夏彦を長とした「天使捜索戦線」なる阿呆の集団に名前を置くこととなった、大まかな経緯である。詳細に話せば長くなるので、要所要所をかいつまんで述べた。ボク個人の心情として、甚だ不本意な事態であったことを銘記しておく。当たり前である。何が天使捜索か。捜すまでも無い、何せそれはボクのことである。自分捜しを物理的にやることの、何処に生産性を期待出来ようか。いよいよ阿呆もここに極まった。
社会貢献性は清々しいくらい零に振り切っている。町中のゴミ箱を片っ端から漁り、時に大海原へとブリーフ一丁で飛び込んでいくような連中に、社会性が備わっているとは到底思えぬ。大学生としての自覚を持たず、文明人としての分別を弁えず、まだダンゴムシをひっくり返して遊んだ方が有意義と見える、実に不毛なる活動に日夜明け暮れる。奇人変人よりどりみどり。立とうが座ろうが歩こうが逆立ちしようが、連中が阿呆であるという事実は一切不変である。
そもそも、読者諸氏は疑問に思われているかもしれぬ。ここまで言うのであれば、夏彦からの申し出を断ったら良かったのでは無いかと。出来るならば、ボクとてそうしていた。残念ながら、話はそこまで単純では無い。
夏彦は申し出にあたって、次のような提案をしてきた。「もしも君がうちに入ってくれるのであれば、待遇には期待してくれて良い。具体的には、君の履修している講義の過去問をあらゆる筋をあたって入手し、君に提供する」と。思い出して頂きたい。そもそもボクが夕焼け空に咆えたのは、灰色のキャンパスライフに辟易としたからである。
やってもやっても一向に減らないレポート課題の山。迫り来る小テスト。買わせるだけ買わせて、全く使わない教材。意味不明の問いが羅列された期末試験。最低賃金から昇給の気配を全く見せないバイト。バスを待つ長蛇の列。明らかにキャンパスの許容量を超過している人口密度。飽和する食堂。それを良いことに、割高で昼食を提供するキッチンカー。
そのうちの一つでも改善が期待出来るのであれば、たとえそれが怪しい組織への勧誘だったとしても、喜んで承諾すること請け合いである。
単純なのは話では無く、ボク自身であるような気もするが、本件に関してのこれ以上の言及は避けよう。ボクの沽券に関わってくる。
「天使捜索戦線」に於いて、女性はボクだけであった。紅一点である。花と言えば花だが、しかし咲く場所を盛大に間違えた感じは否めない。稀に、列車の線路の側溝に咲いている花があるだろう。あれがボクである。
暫くは幽霊に甘んじた。居ても居なくても同じという立ち位置である。やむを得ない場合にのみ顔を出し、やっている雰囲気だけ醸し出す。人間に扮する生活を長年送った末に身に付けた、哀しき処世術である。ボクにとって、この組織の本旨など知ったことでは無い。ただ過去問を入手できればそれで良い。
捜索は何班かに分かれて行う。目撃証言は期待出来ないので、虱潰しである。列になって、潮の香る浜辺から、溝の臭う路地裏に至るまで入念に捜索する。
特に後者は最悪であった。アパートとアパートの狭間を捜索していた時のことである。偶々ベランダに出ていた子供にこの痴態を目撃されてしまった。ゴミ箱を開いては閉じ、薄汚れたパイプの中を覗き、換気扇の隙間を確認する集団が、大変奇異に映ったのであろう。彼は思いついたように「阿呆!」と叫んで部屋へと舞い戻っていった。この集団からさっさと抜けたい衝動に駆られたが、背に腹は代えられぬ。過去問のためだと己を鼓舞し、その後も不毛な活動に興じた。
万事順調に思われた。過去問のお陰で取れるはずの無い単位が取れた。組織側としても、サボりがちとはいえ、貴重な労働力が手に入って万々歳であっただろう。この共生関係がイソギンチャクとクマノミの如く、何事も無く続いてくれたならば、最早これ以上言うことは無かったが、残念ながらボクらはイソギンチャクでもクマノミでも無い。強いて言うのであればそれ未満である。
事件はある日の試験にて起こった。「無人島の地理A」のシラバスをよく読めば解ることだが、最悪なことに、この講義には大きめのテストが半学期の間に数回存在している。しかも難易度が鬼畜そのものと来た。当然ながら、無人島の地理など覚えてもクソの役にも立たないので、頼るのは過去問一つである。
いつものように、夏彦から過去問を受け取り、口笛を吹きつつ試験へと臨んだのだが、しかしどうも様子がおかしい。いつもならば、問題文を読んだだけで、あらゆる過程をすっ飛ばして頭に答えがぼんやりと浮かぶのだが、この時ばかりは何も答えらしきものが浮かんでこず、辛うじて浮かんでくるのは莫大な質量を持った「?」であった。
つまるところ、過去問とは問題の形式が大きく乖離していたのである。こうなれば、傾向と対策という名の答えの丸暗記が全く意味を為さない。訳の解らぬカタカナ文字の羅列と睨めっこしたあの時間は何だったのか――そんな果てしなき虚無感に苛まれる。
ボクは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の教授を除かねばならぬと決意した。
が、そんなことをして学期の単位を剥奪されても困ってしまうので、ボクの怒りは「天使捜索戦線」へと理不尽に飛び火した。
たとえ天使でも単位を人質に取られている以上は、教授に敵わぬのであった。
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