道徳の氾濫

八百本 光闇

第一部

1話 出発

『――共感性の著しい欠如、儀式的な反復行動、若干の他害行為、衝動性。以上の症状が認められるため、国立栄養補給施設『たいよう』に入所することが適切であると判断されました。入所日は■■年■月■日です。当日の昼頃に職員が現住所まで出迎えます。名倉 光(ナクラ コウ)様。施設での新たなる旅立ちを心よりお祝い申し上げます。安心して入所の時をお待ちください。』

 私はリビングでPCを開いて、招集票の最後段をゆっくり読む。私の欠陥、入所日、住居の移転場所さえ知ればいい。それ以外の部分は、煩わしい表現と長文に対して、中身がない。100ページほどあった招集票の文章は、届いた初日に全て暗記したが、最後段以外の内容の空虚さに気づいたとき、暗記したことを少し後悔した。

 私は招集表の最後段を読み終わると、PCを閉じ、テレビをつけた。リモコンを操作し、挿入されていたCDを再生する。『たいよう』にて利用者と職員が笑顔で生活する動画が流れ始めた。職員が迎えにくるまで、動画を聞き流して過ごそうと思った。動画から音声が流れ始めると、せわしなくしていた両親もリビングに来て、テレビに注視した。

 ――施設のうち、症状が軽度な者が来る、『たいよう』を利用するヒトは『たいようの子』と呼ばれ、職員の人たちと、毎日楽しい生活を送っています。

 両親は、テレビを見ながら何度も頷く。私に手を焼く彼らも、『たいよう』なら私を安全に保護できるだろうと信じた。

 ――栄養補給施設全体として、利用者に特別な栄養補給を行うことで、脳を治療します。成功例は多くあり、治療後、社会に深く貢献する人となります。施設に行くこと自体が、非常に名誉なことです。

 椅子に深く座り、動画を眺めていると、うとうとしてきた。昼食後の朗らかな空気に当たるとき、私はいつも眠たくなる。暖かな空気を感じて、眠るか眠らないかの間でさまようことが、最も平穏で、私はよくやっていた。

 ――非行を繰り返すヒトも、死刑囚に相当するヒトも、栄養補給を終えた後には、社会に深く貢献する人間となりました。

 一方、両親はまだそわそわしていた。母親は、しきりに何かいらないかと訊き、父親は、施設での生活の注意事項を教えた。以前にも何度も聞かされていたから、私は曖昧に答えた。

 ――社会のお荷物だったどのようなヒトも、栄養補給という過程を経て、必ず社会貢献が出来る人間に仕上げましょう。

 インターフォンが鳴った。私は目を覚ました。扉を開けると、柔和そうな男女二人が、笑顔で立っていた。ネームプレートには、『国立栄養補給施設 たいよう』と書かれている。

「あなたは……お父さん、ですか?」女性職員は、私に目線を合わせるために首を上げ、控えめに訊いた。

「私は、『たいよう』の入所予定である名倉光です」

「おやおや、あらまあ~! コウちゃん!」

 女性職員は、私が入所予定者だと分かった途端、幼げな口調になった。「ドキドキしたよね~でも大丈夫だから。お兄さんお姉さんと一緒に行けば大丈夫だからね!」彼女は私の手を掴んで振る。私は人肌が好きではないため、振り払いたかったが、それは礼儀に反するからしない。

「ああ、お父さん、お母さん。このたびは――」男性職員は、家に上がり、両親へ歩み寄った。

「コウちゃんを預けてくれるんですよねぇ! 本当にありがとうございます!」両親も男性職員に満面の笑みで受け答え、リビングの奥へと行く。彼らとの話を聞きたかったが、三人は私には話が聞こえないほど離れてしまった。また、私は女性職員と話しているから、突然彼女から離れるわけにもいかない。「トラブルを起こさずにずっと待っててくれたの? すごいすごい!」

 女性職員は過剰なほど拍手をして、私を賞賛しようとする。「コウちゃんは急に予定が変わったりしたら、困ってパニックになるんだもんね? でもよくパニックにならなかったね!」

 確かに私は想定外のことが起こるのが嫌いだが、それだけでパニックにはならない。幼少期はともかく、今は割り切りがついていて、日常生活に大きな影響を与えないほど、感情の発露を抑えられるようになっている。反論しようとしたが、彼女は私が口を挟む間もなく、まくし立てるから、何も言えなかったし、彼女の発言をいくつも聞き逃していた。

「新しい環境に行ってパニックになっても大丈夫! 施設では、私たちみたいなお兄さんお姉さんがたくさんいるからさ、もし困りごとがあったら何でも言ってよね!」

「わかりました」

 私の同意するそぶりを見た女性職員は、背伸びをして、頭を撫でた。

「さて! お母さんお父さんに最後の挨拶をしてこよっか!」

 女性職員は両親に指をさした。部屋の隅で、男性職員と話している。

 私は両親のところに行った。両親はどちらも若干の笑みを浮かべていたが、目尻には涙がある。

「久しく、会えなくなると思います」

 とりあえず別れの言葉を言うと、母親は息を深く吸って、私を抱擁した。「コウちゃん、元気でね。私たちは大丈夫だから。ええ、本当に大丈夫。実験に協力できるなんて、とても名誉なことなんだからね?」その抱擁は普段より長い時間を要した。力が強く、息がしずらい。加齢臭と香水の匂いが混ざって、えずきそうになる。だが、私は拒絶できない。かつて母親に抱擁されたとき、私が人肌をいやがって、母親を突き放すと、彼女は泣き出し、私を様々な言葉で罵倒した。父親も、なぜ母親の立場で物を考えられないのかと説教をした。それから私は、母親に抱きしめられたら突き放してはいけないと暗記した。

 母親が私をやっと手放すと、彼女は微笑んだ。安楽な笑顔だ。目元の皺が、いくつか消えたように思う。しかし、涙をもっと流していたので、私には彼女がどういう気分なのかは知らなかったが、ともかく、

「今までありがとうございました」と、言った。

「もう。相変わらず愛想ないんだから。……でも、それもきっと治るよね」

「ええ、そのための施設ですから」

「ははっ、まるで施設の人みたいな言いぶりだなぁ」

 父親が高く笑った。「ほら、これくらいは持っていけ」

 彼は小さなトートバッグを私に与えた。「中に、家族写真とか、コウちゃんが気に入ってる本とか、免許証とかが入ってるから」

「後で差し入れすることもできます」

「今持ってったほうがいいの! 送るのにも時間かかるし、これから長く住むとこに手ぶらで行くってさ、なんか心配だろ?」

「多くの人にとってはそうだと思います」

「多くの人の一員になるためにそうすんだよ。ほら、持ってけ」

 私は同意して、これだけ持って行くことにした。職員たちは、いつの間にか外で待っていた。一般に人を待たせるのは良くないことなので、私は早く出たがった。

「では、さようなら」

 私は家を出て、まっすぐ彼らの元へ歩く。扉に両親がいる気配がしたが、私にはもう関係のない場所だから、振り返らなかった。


 職員らと最寄り駅のロータリーまで歩くと、太陽のマークで塗装されたバスが止まっていた。20人ほどの人が一列に並び、順々にバスに乗り込んでいる。下は十代ごろ、上は二十代前半ごろに見える。

「入り口にある名簿表の通りに座ってね」

「わかりました。あなたたちは、これからどうするのですか?」

「また別の仕事があるんだよー。コウちゃんを無事にバスに乗せたらバイバイするの。でも、明日から戻ってくるからね! 心配しないで!」

「もちろん、心配しません。あなたたちはこの職業の適性試験に合格した職員なので」

 私がそう言うと、職員二人は首を斜めに傾け、目を細めた。私はそれを横目で見ながら、別れの挨拶を言って彼らから離れ、列の最後尾に並んだ。私の担当以外の職員も何人かいて、利用者らをあやしていた。

「たいようの子たち! そろそろ出発するよ!」

 私は名簿表に指定された通り、真ん中の窓側の席に座った。窓からは職員たちと、乗り込もうとしている利用者らが見えた。席の隣には誰もいないが、たぶんもう少しで乗り込むだろう。

 バスの中では、利用者同士の会話が響く。私は目を瞑って、バスの独特な匂いと、背中に伝わる振動を感じながら、出発するのを待った。

 バスが揺れると、目が覚めた。いつの間にか、窓が黒いカーテンで塞がれていた。

 外からの光が入らなくても、眩しいほど明るい電球のおかげで、太陽が差し込んでいないにもかかわらず明るい。また、壁や天井には青空が描かれていて、案外開放的である。

「なぁ、お前、名前なんて言うんだ?」小学生か中学生くらいの少年が、隣にいる私を見かねて話しかけた。私が眠っていた間に座ったのだろう。

「名倉光です」

「ふーん、じゃあコウでいい?」

「はい、何でもいいです」

「おっけ。俺は比谷翼。ツバサって呼んでくれ。小6で――まあ、ここでは年齢なんて関係ないか」

 ツバサはキョロキョロと辺りを見た。「コウみたいな大人から、俺くらいの奴まで、色々いるからなあ」

 私も簡単な自己紹介を済ますと、ツバサは突然話題を変えた。「なぁ、なんかさ、この感じ、ムショ送りになったみたいでワクワクするなぁ」漫画でこういう場面、見たんだ。ツバサは足を揺らして、屈託なく笑う。

「刑務所は一般にはワクワクする場所ではありません。刑務所は刑を受ける人間が送られる場所であり――」

「俺がワクワクするんだよ! 一般とか、どうでもいいし。ってかさ、ここに来るってことは、お前も一般の人間じゃないだろ?」

「よく言われます」

「まぁ、コウの話し方聞けばすぐ分かるけど」

「それもよく言われます」

 沈黙が続いた。窓の方をよく見ると、遮光カーテンが完全には閉まりきっておらず、カーテンの端から少し外が見えた。隣街から、郊外へと出ている。――刑務所といえば脱出だ。そうして、脱出するには脱出経路が必要である。左右の揺れも勘案して、施設に着いたら地図でも書いてみようと思った。

 しばらく外を見ていると、ツバサは突然言った。

「で、お前の一般じゃない部分って、具体的に何なんだ?」

 私はツバサの方を向き直して、招集票の言葉を暗唱する。

「招集票の症状欄には、『共感性の著しい欠如、儀式的な反復行動、若干の他害行為、衝動性』と、書いてありました」

「へぇ~! そんな難しそうな言葉、よく覚えてられるな! ってか、他害すんの? こえー!」

 ツバサが過度に驚いているように見えたから、私は弁明のために、なぜこう書かれたかを推察し、それを説明しなければいけない。

「数ヶ月前、前職で顧客を衝動的に殴ったため、相手は打撲等の軽傷を負いました。私は留置場で取り調べを受けましたが、栄養補給か自宅留置が必要だと判断されたため、両親は前者を選び、施設の入所願を出しました」

 私が話終わると、ツバサが真顔で黙っているのに気づいた。この表情の場合、相手は怒っていることが多いから、何か補足しなければいけない。

「両親に他害について話すのを止めるよう言われていたのを忘れていました。この話は忘れてください」

「いや、こんな凄い奴会ったことなくて、カッコいいなって」

「カッコいい?」

 ツバサの発言を疑問に思ったころには口に出ていた。「一般には、他害行為はカッコいいとされてはいません。ですが、特定の年齢層に多く見られる、厨二病という特性を持っていた場合はその限りではありません。しかしこの語は本来……」

「おいおい! 俺のことをそうやってバカ正直に判断するのはやめろ」

「わかりました」

 ツバサはため息をついた。が、顔は笑っている。

「それにしてもコウってさ、一昔前の人型ロボットでもそんな喋り方しないぞ、タメ語でいいじゃん、俺、年下だし」

「他人に合わせて口調を変える術を知らないので、誰に対してもこのようにしています。常に敬語だったら、人々の反感を買わないでしょう」

「ふーん、コウなりに色々考えてるんだなぁ。ま、とにかく、施設行ってもよろしくな! 俺たちもう友達だから」

「友達?」

「そうだぞ! ほら!」

 ツバサは笑顔で手の平を見せた。

「これは何を意味するポーズですか?」

「知らないのか? ハイタッチだぞハイタッチ! ほら手を、上に出して重ね合うの!」

「はい。手を上にあげます」

 手を上にあげると、ツバサは立ち上がってそこに手を叩いた。高い音が鳴った。

「これがハイタッチというのですか。暗記しておきます」

「次はちゃんと手を相手の位置に合わせることをアンキしとけよ。いつか確認テストするからさ……てか、コウって友達いるのか?」

「ツバサさんがいます」

 私が言うと、ツバサは、眉をひそめて、腕を組んだ。

「ああ、俺が悪かったな」

 ツバサの言ったことの意味を考えようとすると、彼は素早く言葉を続けたから考えられなかった。「施設でいっぱい友達つくればいいじゃん! そのためにもさ、今から友達の会話しよう!」

 ツバサは彼の足下に置かれたリュックサックから漫画本をいくつか取り出した。

「これ、俺のおすすめ漫画。コウって漫画に興味ある? おすすめの漫画教えていい?」

「はい、おねがいします」

「へへっ、じゃあまず――」

 それから、ツバサは饒舌に語り始めた。刑務所から脱出しようとして失敗する話や、ロボットが心を得たように見えたが、実は単なる模倣だった話などだ。

「よかったら、どれか読む?」

 ツバサはリュックサックから漫画本を私に差し出す。私は一番右の漫画本を手に取って読む。仕事をこなす主人公の苦悩が書かれた硬派な話だ。長時間借りているのは悪いことなので、最初はすぐ返そうと思ったが、いつの間にか全部読んでいた。私が本を返すと、ツバサは明らかに気分が良くなっていた。

「すごい集中力だな! 良かったろ?」

「はい、良かったです。ここでの重要なトピックは――」

 私たちがさっきの漫画について喋っていると、バスが大きく揺れて止まった。しばらく止まった後、また動き出し、また止まった。窓を覆っていたカーテンが開いた。窓からは、施設であろう建物が見える。

「喋りすぎちゃったかな……」ツバサは小さく言った。

「喋りすぎていた時は指摘します」

「そりゃありがたい。話しすぎることがたまにあるんだ」

 ツバサは漫画を片付けると、窓の方に首を伸ばした。「へぇ……ここがしばらく住むとこかぁ」

 施設の外形は、幼稚園を思わせた。太陽や空、草原が描かれたカラフルな屋根と壁で、外郭を覆う柵には『栄養補給施設 たいよう』と書かれている。

「なんか、幼稚園みたいだなぁ」

「同意します」

「うひょ、初めてコウに共感された」ツバサは椅子に座りなおした。

「私にも共感をすることが可能です。私はミラーニューロンが完全に欠落しているわけではありません」

「はいはい……」

 バスの扉が開いた。一番前の席に座っていた職員が立ち上がって利用者らを誘導する。「はーい、たいようの子たち! たいように到着しましたよー! 前の子から順番に降りましょうねー!」

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