第1話 七面 歩

都会の片隅にひっそりと営業するカフェに訪れたのは、七面ななおもてあるき32歳独身。慣れた動線どうせんでいつもの席に座るとカウンター越しにいる女性に声を掛ける


「お疲れ、一華いちか

「いらっしゃいアルキ、何にする?」

「エッグサンド以外あるのか?この店に……」

「……失礼ね、パッタイならあるわ!美味しいわよ、タイ料理なんだけど」

「パッタイ?……いや……エッグサンドで!」


 店主の一華は年齢不詳ではあるが、アルキとは長い付き合いのあるとても綺麗な女性だ

 このカフェも一人で営業している。店名は「antennaアンテナ」、店内はカウンターとテーブル席が窓際に4つほどある古き良き喫茶店という感じだ

 こんな時代に喫煙可能という規則ゆるゆるな店内には客がほとんどいない

 決して一華の料理が不味いからではない……と思う


 アルキがタバコをくわえると、慣れた手つきで火を付ける一華。彼女はその美しい顔を耳元へ近付けるとそっとささ

 

「今日はターキーはどうしたの?」

「アイツはタバコが嫌いだからな……」

「あら?そうだったかしら……それで?……明日から?」

「ああ、修徳しゅうとく高校の教師だ!」

「ぷっ!あなたが教師……しかもかなり偏差値が高くて真面目な学校じゃない?大丈夫なの?」

 

「……まぁ、なんとかなるだろう。そんなことよりも珍しく客がいるじゃないか!しかも美人」

「珍しくって何よ……でもまぁ訳ありな雰囲気を漂わせてるわね。あまり関わらな……あっ!」


 アルキはすぐさまタバコを消すと、窓際に座る女性のほうへ向かう。女性は旅行にでも行くのか、荷物が多くキャリーバッグをテーブル横に置いている

 

「美しいお嬢さん、暗い顔してどうされましたか?荷物も多いようですし……旅行……でもなさそうですね。こんな夕刻に、キャリーバッグを持って浮かない顔をしている……ふむ、俺と楽しいお話でも……」

 

「こんな所にいたのか!」

 アルキが女性に話しかけているところ、唐突にジャケパンスタイルの若い男が店内に入ってくる

 

 男は迷いなく女性とアルキのほうに近付いて来る。この男のほうも、女性と同じように荷物が多く、ビジネスバッグに加えてガーメントバッグまで持っているようだ


 男はその女性以外が目に入っていないのか、同席しているアルキを無視して彼女のほうに話し掛ける

 

 店内に入って来た時は剣幕であった男の表情は、先程より少し柔らぎ、語気が優しくなっていく

「結衣、ちゃんと話そう……急にどうしたんだ?今までそんな感じ全然なかったじゃないか?」

 

「拓也さん……もう無理なの……」

「どうして!そんな一方的にメールで別れるなんて言わなくてもいいじゃないか!」

 少し前までの優しい雰囲気は消え去り、急に強くなる語気に女性は一瞬身体が震える


「あぁ、ごめん……俺はただちゃんと話し合いたいと思ってるだけなんだ……結衣のことを一番に考えてるんだよ……場所を変えよう!マンションに戻ろう……ね!?」

 男は再び優しい言葉をかけて、女性の腕を取ろうとする


「……いや……嫌なの……もうツラい……」

 女性は男の顔を見ようともせず席から立とうともしない。その態度が気に食わないのか「いいから来い!」と強い口調で女性をひるませる

 

「おいおい、乱暴は良くないな」

 アルキは一連の流れを黙って聞いていたが、落ち着いた口調で割って入る


「ん?……なんですか?あなたさっきから、ずっと居ましたけど……ただのナンパでしょ?俺と彼女は付き合ってるんだ!口を挟まないでもらえますか?」

 

 男はアルキの言葉に耳を貸さずに女性を強引に連れて行こうとする

「嫌!……」

「結衣!いい加減にしろ!」

 

「スマートじゃないなぁ!」

「なに!?」

 あおるような言葉が気にさわったのか、男は睨みつけるようにアルキを見る

 

「奥さんとちゃんと話はしたのか?」


「はぁ!?どうして俺の事を知っているんだ……結衣!俺の事を喋っていたのか!?」

 

 女性は呆然ぼうぜんとアルキのほうを見つめる。なぜ、そんなことを知っているのか理解できないようだ

 

「彼女がツラいのはそれだけじゃないよ、「はるな」と「さくら」とはどうなんだ?」


「――!な……なんで……「陽菜はるな」の事を?アンタ……結衣が雇った探偵か?」

 

「――陽菜って!?そんな……」

 女性はその名前を聞いて思うところがあるのか、驚愕きょうがくする

 

「今回の出張先でも随分ずいぶんと楽しんでいたようだが?」


「――なっ!今回はちゃんと仕事だったんだよ!……はっ!……」

「「今回は」か……そういうところなんだよなぁ、彼女が耐えられないのは!いや、それもあるが一番は、暴力だな……」

 

「――!」

 「暴力」という言葉に身体が反応する。女性は俯き自身の肩を抱くとガタガタと震え出した

 

「――!……ち……違うんだ……」

 慌てたように弁解する男は、血の気の引いた顔でアルキから視線を外す


「結衣さんにマンションを与えて、「愛人」にしているようだな。奥さんともいずれ別れると言いつつも、なかなか話が進まずに関係を続け、挙げ句の果てには結衣さんの友人である「陽菜」さんにまで手をつけるなんて、そして暴力……それは結衣さんは耐えられない……女性をもてあそぶなよ!」


 アルキは鋭い目つきで男を睨む


「な……何なんだアンタ……どこまで知ってるんだ?」

 男はおびえるように後退あとずさりすると、逃げるようにantennaアンテナから出て行った。男がちゃんと店から遠ざかるのを確認すると、アルキは女性のほうへ歩み寄り、優しい眼差しを向け、手を差し伸べる。


 なぜこんな事になってしまったのか、何が起こったのか分からない女性は、目の前に差し伸べられたアルキの手を取る

 アルキは優しく微笑むと何も語らずにそばにいる。気持ちが落ち着くまで手を握ってあげるアルキ、すると彼女はポツリ……ポツリと自分から話し始めた


「……あ……あの……ありがとうございました……でもどうして知ってるんですか?私の事……彼の事……どこかでお会いしましたか?」

 

「ん?さっき会ったばかりだよ、結衣さん」

 アルキは結衣の気持ちがすっかり落ち着いた事を確認すると、ゆっくりと……そして自然に手を離して向かいの席に座り直す


「じゃあどうしてあんなに私達のことが分かるんですか?」

 

「そうだね……まずは結衣さんのキャリーバッグ。彼の服装と荷物と二人の会話でだいたいの予測が立てられるよ!彼は雰囲気的にかなり仕事が出来そうだよね。ビジネスバッグとは別にガーメントバッグを持ってるから、スーツの手入れに時間を掛けられない、あるいは掛けたくない……仕事上きちんとした立場にいる人間……彼は結構稼いでるんじゃないかな?結衣さんがメールで別れ話を切り出してキャリーバッグを持って出るという事は結衣さんが自分で借りているマンションではなく、彼から与えられた物ということになるよね」


「凄い!当たってます」

 

「会話の内容から結衣さんは、彼の出張中にメールで別れを告げた。慌てた彼は出張帰りに結衣さんのマンションに直接寄ったが不在だった……彼が荷物を持ったまま探しに来たのは「彼にはもう一つ別に帰る場所があった」からじゃない?」


「……そうです……私は彼の愛人です……ですが陽菜のことはどうしてですか!?私も彼の浮気相手が誰かは知らなかったのに……」

 

「結衣さんは愛人として我慢してきたけど許せないことが起きた……別の愛人の存在……そして暴力……俺が「はるな」と「さくら」って言ったのは、かまをかけただけだよ。君達くらいの年代で一番多い女性の名前を言っただけ……彼の女性関係の数と一般的な女性の名前の数が「偶然」合った……まぁ二通りくらい言っておけば「高確率」で当たるとは思ったけどね。間違ってても、それはそれでやりようがあるし……言ってみるだけ損はないよ!」

 

「凄い……彼の暴力も分かるんですね……始めはそんなこと無かったんですが……仕事が上手くいかない時はちょっとした事でも殴られることが……」

 思い出すように怯える結衣

 

「それに関して、結衣さん……GPSが彼のスマホに登録されてるから解除しといたほうがいいよ」

「――え?……GPS?」

 

「このantennaアンテナって店はそうそう客が来る場所じゃないんだ。それを彼はあんな大荷物を持って、汗もかかず辿り着く……結衣さんの場所を把握している証拠だよ!行動を制限する、命令口調、暴言を吐く……典型的なDV体質だね……」

 

「たったあれだけの会話でそれだけ分かるなんて……えっと……」

「ああ、アルキだよ!七面ななおもてあるき


「アルキさんって頭が良いんですね!」

「いやいや、俺はただ女性の傷付く姿を見たくないんだ……結衣さんの浮かない顔を見たら気になった……それだけだよ」

「……アルキさん」

 結衣は頬を赤らめてアルキの目を見つめる


「結衣さん……良かったら俺と今晩食事でも行かない?俺なら君を悲しませたりしないよ」

「アルキさん……ぜひ私も……」


「カハハハ!アンタも結構、乗り換えが早いんじゃないか?今、男と別れたばかりなんだろう?」

「――えっ?」

「おい、ターキー……邪魔するんじゃない!」

「何だと?テメェは毎日毎日、オンナのケツばっかり追っかけやがって!恥ずかしくねぇのか!」

「ば……バカ……毎日とか……そんなことは無いだろう?俺はただ女性の悲しむ姿を……」

「お前はいつも同じセリフをオンナ達に言ってるよな〜!」

「それは違うぞ!いつも困っている女性を放って置けないだけでだな!……あっ……結衣さん?……待って……帰っちゃうの?……今晩の予定は?」


「……アルキさん、ありがとうございました……私……次に付き合う男性は、もっと一般的な方を探しますので。いろいろと助けて頂き感謝してますけど……今晩の予定はお断りさせて頂きます。それではお元気で!」

「あ……あぁ……結衣さん……」


会計を済ませてantenna アンテナを出て行く結衣の表情に、先程までの浮かない雰囲気は無い。「さようなら」と晴れやかに別れを告げて去って行った


「う……うう……タ〜キ〜!いつもいいところで現れやがって〜!」

「まぁ……良かったんじゃねぇか!あのオンナもなんか吹っ切れたみてぇだし!」

「……ぐっ……まぁ……そうだな……」


 上手くいく寸前でターキーに邪魔されたアルキは、重い足取りでカウンターに座ると、一華がエッグサンドと珈琲をタイミングよく出してくれる


 やけ食いののようにたいらげながら、アルキはカウンター越しの一華を見つめる

「……もうお前しかいない一華……結婚するか?」

 

 美しい顔……美しい唇が近付いてくる。頬と頬が触れそうなほどの距離を通り過ぎると耳元でそっと囁く

 

「アルキ……」

 

「ん?……」

 

「……絶対イヤ!」

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