我、迷い込みし者也

書仙凡人

vol.1 迷い込みし者

   [Ⅰ]



 今は何時頃だろう。

 ここは、スマホも圏外になる山奥。

 空は暗くなり、日も暮れようとしている。

 周囲も肌寒くなってきた。

 初夏の5月とはいえ、夜は少し冷える時期だ。

 今日の俺は紺色の作務衣姿なので、それは大いに感じるところである。

 おまけに、山中なだけあり足場も悪い。

 靴は登山用のトレッキングブーツを履いてきて正解だったようだ。

 さて、暗闇が覆う前に、とっとと仕事を終わらせるとしよう。

 俺の眼前には今、追い詰められた妖魔の姿がある。

 成体のヒグマよりも大きな体躯で、薄汚れた灰褐色の毛並みをした猿の化け物だ。

 恐らく、狒々ひひと呼ばれる妖魔の一種だろう。

 この山の主……いや、山の神と言うべきか。

 何れにしろ、その類の存在に違いない。

 化け物は今、俺の呪術により、所々の皮膚が焼け爛れ、出血をしていた。

 息も荒く、険しい表情で俺を睨んでいるところだ。

 また、動く力も尽きたのか、諦めたように地べたに座り込んでいた。

 当然だろう。奴の四方八方には、我が一族に伝わる霊障壁の結界により、行く手を阻まれている状態だからだ。

 もうトドメを刺す頃合いである。

 俺は背負っている破魔の力を持つ長刀を抜いた。

 穢れを祓う、一族に伝わる降魔の剣である。

 刃渡り90cmはある長モノだが、その分、刀身には幾つかの術紋が施してある。

 俺が打った一振りだが、なかなか強力な霊刀の業物と言えよう。

 銃刀法違反の懸念もあったが、山中での仕事の為、用意してきたのだ。

 俺は刃の切っ先を化け物に向けた。


「さて……幾ら山の神とはいえ、沢山の人や家畜を攫って喰い殺すのは、流石に見過ごせんよ。真紋の一族の名において……お前をここで始末させてもらう」


 するとそこで、狒々の化け物はなぜかニヤリと笑ったのだった。

 まだ何か悪巧みを考えてるのかもしれない。

 戦況的に、こちらに分があるが、用心はするとしよう。


「何がおかしい?」


 化け物は弱々しく口を開いた。


「そうか……お前が噂に聞く、シンモンの末裔か……本当にいたとはな。若造のくせに大した腕前じゃ」

「さぁな……どのシンモンの事を言ってるのか知らんが、俺がこれからお前を滅する事には変わりない。悪いが、幾ら山の神とはいえ、滅ぼさせてもらうぞ。お前はやり過ぎた」


 俺は奴に向かい、刀を正眼に構えた。


「フフフ……その昔、鬼神をも封じてしまう秘術を伝えし、シンモンという人の一族がいると聞いた事があるのだよ。そうか……お前がそうなのか。よもや……そのような術者が、我を退治しに現れようとはな……」


 どうやら俺の一族は、妖魔の間ではそこそこ有名みたいだ。


「そういうわけだ。覚悟してもらおう」

「フッ……確かにこのままなら、我はそうなるだろうな。だが、ここで終わるわけにはゆかぬ。遥か昔、我が一族が伝えてきた秘宝を使う時が来たようじゃ……クククッ、お前も道連れじゃぁぁ! ガアァァ」


 化け物はそう言うや否や、口から何かを吐き出した。

 それはサッカーボールくらいありそうな虹色の水晶球であった。

 続いて化け物は、奇妙な言霊を唱えたのである。

 するとその直後、目も眩むほど、水晶球は眩く光り輝いたのだ。

 これは予想外の展開であった。

 おまけに、皮膚がヒリヒリと痛くなるほどの濃い霊力の波動が、光と共に水晶球から発せられていたのである。

 恐らく、高位の術具なのだろう。

 これは想定外であった。

 まさかこんなモノを持っていたとは。


「クッ! なんだ、この強い霊力はッ! チッ……」


 俺はすぐに攻撃と防御に移れるよう刀を構え、目を細めつつ、全方向に感覚を研ぎ澄ませた。


「これで終わりよ。お前を道連れにしてやる。クククッ」


 化け物がそう言った次の瞬間だった。

 突如、足元がおぼつかなくなり、宙に浮いたかのようなフワフワした感じになったのである。

 それだけではない、耳鳴りのようなキンとした嫌な音まで聞こえてきたのだ。

 だが、それも程なく、終わりを迎える。

 眩い光は徐々に消えてゆき、地に足がついた感覚も戻ってきた。

 また、嫌な耳鳴りも、それに伴い、次第にしなくなってきたからだ。

 これは幻術の類なのかもしれない。


「チッ……何の術か知らんが、幻術など俺には通用せんぞ! 悪足掻きもそこまでだ!」


 俺はそこで化け物を見据えた。

 だがしかし……俺は思わず目を見開いたのである。

 なぜなら、俺の眼前にはマーモセットのような、小さな可愛い猿が座り込んでいたからだ。

 ヒグマよりも大きな狒々の妖魔は、どこにもいなかったのである。

 これは不覚だった。

 どうやら、一杯食わせられたのかもしれない。


「な!? どこに行った! 隠れたか、化け物め!」


 すると、意外な所から声が聞こえてきた。


「クククッ……どこにも行ってはおらんよ。悪いが、道連れにさせてもらったぞ。クククッ」


 声を発していたのは、なんと目の前の小さな猿であった。


「え? お前……あの狒々なのか? 随分、姿が違うが……いや、幻術か! 小賢しい真似を!」

「はぁ? 何を言っている。我は幻術など使っておらぬわ!」


 猿は心外とばかりにイキリ返してきた。


「だってお前……めっちゃ小さくなってるやん」

「小さくだと……馬鹿馬鹿しい。我は……え?」


 化け物は自分の手足を見て、暫し固まっていた。

 どうやら、今気づいたのだろう。


「ほ、本当に、小さくなっているぅぅぅ! な、なぜだ! イカイ送りにする宝玉を使っただけなのに! なんで、我は小さくなっているんだァァ! しかも、コイツにやられた傷も、なぜか治っているぅぅぅ!」


 化け物はなぜか知らないが、驚きのあまり吠えていた。

 自分も巻き込まれる強力な幻術を使ったのだろうか?

 まぁいい。わけわからんが、とりあえず、依頼業務を遂行するとしよう。


「知るかそんなもん! それよりもお前を始末させてもらうぞ! わけわからん術を使いやがって!」


 化け物は慌てて俺に振り返った。


「ま、待て待て待て待て! ちょっと落ち着け! 周りの景色を見てみろ!」

「ああん、周りの景色だと? そんなもんどうでもいいわ。俺の仕事はお前の退治だ」

「だぁかぁらぁ! 我を退治しても、もう意味ないんだって! お前はもう日本にはおらんのじゃ。別の世界にいるのだからな」

「はぁ? 何言ってんだお前……化け物の癖に見苦しいぞ。いい加減、観念しろや!」

「だからぁ! 周りを見て見ろって!」


 あまりにもしつこいので、俺はとりあえず、化け物を見据えつつ周囲をチラッと窺った。

 だがその直後、俺は目を見開いたのである。

 なぜなら、コイツの言う通り、見た事ない景色が広がっていたからだ。

 俺はなぜか知らないが、見晴らしの良い小高い丘にある砂利道のような所にいたのである。

 おまけに、さっきまで夕暮れ時だった筈なのに、まだ日も高かったのだ。

 気温も暖かい。というか、暑かった。30度前後ありそうである。

 それに加えて、頬を撫でるそよ風も、凄くリアルな感じなのであった。

 とても幻覚とは思えない質感である。

 

「おい、これも幻術の一種か? 言っとくが、俺に幻術は通用せんぞ。ったく、可愛い姿に変えたところで、俺が容赦するとでも思ったかね」

「だから、幻術じゃないって! イカイにいるんだって!」


 化け物は必死だった。


「はいはい、そういう設定ね。もういいよ。ン?」


 するとその時だった。

 後方から大きな声が聞こえてきたのである。


「どけどけぇ! 道のど真ん中で何してやがる! 邪魔なんだよ!」


 俺は後ろを振り返る。

 すると 馬車と戦士の一団が土煙を巻き上げ、こちらに向かって来ていたのだ。


「おわ!? 馬車かよ! つか、なんで馬車?」


 馬車は荷を沢山積んでおり、馬に跨った中世の西洋風戦士達に護られるように走っていた。

 かなり時代錯誤な光景であった。

 この突然の事態に、俺はとりあえず、道を開けた。

 これも幻術なのだろうか?

 化け物も、なぜか俺の隣にちょこんと来て、奴等に道を開けた。

 そして馬車の一行はスピードを落とし、俺達の前へとやって来たのだった。

 俺はその際、そいつ等を少し観察した。

 すると、顔付きや体躯を見る限り、欧米人のような感じだが、獣人みたいな狼男風の奴もいたのである。

 それだけじゃない。魔法使い風のローブや杖を装備している者、寸胴のドワーフみたいなの、果ては、耳の長いエルフみたいな女までいたのだ。

 かなりファンタジーな光景であった。

 正直、面食らったのは言うまでもない。


(なんだ、こいつ等……揃いも揃って、ファンタジーコスプレ連中の幻か? いや、それよりも……本当に幻術か、これ? やけにリアルなんだが……)


 これは正直な感想であった。

 と、そこで、擦れ違いざまに、御者席のオッサン戦士が悪態を吐いてきたのである。


「ふん! 見たところ、異国の者か……妙な剣を振り回して街道のド真ん中で、猿と遊んでんじゃねぇよ! こちとら大事な荷物を運んでんだ! 冒険者ごっこなら他所でやれや!」


 そして馬車はスピードを上げ、去って行ったのだった。

 去り際、護衛の連中は俺をせせら笑い、小馬鹿にしたように見ていた。

 そよ風に乗って、奴等の会話が聞こえてくる。


「なんだ、あれ……あんな貧相な装備で冒険するのかね。初めてみたよ、身の程知らずの阿呆だな」

「たぶん、酒場で相手にされなかったんだぜ。仲間がコザルだけって……お笑い系の新人冒険者だな。ヒッヒッヒッ」

「ちょっと、そこまで言うと悪いわよ。まだ冒険者と決まったわけじゃないわ。旅芸人かもしれないし」

「違いねぇ、ガッハッハッ」


 とまぁ、そんな馬鹿笑いが聞こえてきたのである。

 俺と化け物は無言で、小さくなってゆく馬車を暫し眺め続けた。

 なんというか、わけのわからない幻術であった。

 いや、そもそもこれは幻術なのだろうか?

 呪術としての霊気の流れを全く感じないのだ。

 俺の今までの経験からすると、呪術の類は使われていないとみて良いが……はて?

 とりあえず、訊いてみるとしよう。


「おい……エテ公、一体どういう事だ? アレはなんなんだ。アレもお前の幻術か?」

「違うわ! 我々はイカイに来てしまったんじゃ!」

「さっきから言ってるが、なんなんだよ、イカイって」

「わからん奴だな! 異なる世界に来てしまったんじゃよ! ここは日本じゃないんじゃ」

「は?」


 ことなるせかい? 異なる世界……異世界……異界!?


「異世界だとぉ! なんでそうなるんだよ!」


 俺は思わず、声を荒げた。

 当たり前だ。


「それはだな、我が一族に伝わる宝玉を使ったからじゃよ」


 埒が明かないので、俺はエテ公の襟首を掴んで持ち上げ、強引に尋問した。


「だから、どういう事なんだって聞いてんだよ、エテ公! はっきり言えや!」


 エテ公は苦笑いを浮かべながら口を開いた。


「あ、あの宝玉は……言い伝えがあってな。いざという時に使えば、別の世界に逃げられるというシロモノなんじゃな。今回は逃げる暇もなかったから、お前も巻き込んでしまったんじゃよ。我を追い詰めるお前が悪いんじゃ!」


 エテ公の口から語られる内容は、俄かには信じがたいモノであった。

 だが、今の現状を顧みるに、呪術の類は使われていないのである。

 エテ公の言い分も、全くの的外れでもないのだ。

 化け物の苦し紛れの術で、異世界に転移したなんて考えたくもない話だった。


「ちょっと待て! 帰る方法はあるんだろうな」

「悪いが……知らん! うぐおぉぉ」


 俺は思わず、このエテ公の首を絞めていた。

 当然だ。人に仇成す妖魔は成敗すべし!


「ま、待って……わ、我を殺すと、もう日本に戻れぬ……かもしれ……ないぞ」


 エテ公の必死の訴えに、俺は力を緩めた。


「ゲホゲホッ……容赦ない奴じゃな」


 咳き込むエテ公に向かい、俺は容赦なく尋問を再開した。


「当たり前だ。俺の本来の目的は、お前の退治という事を忘れるなよ。で、話を戻すが、日本に戻れぬとはどういう事だ? 説明しろ。場合によっては……職務を遂行する」

「わ、わかったわい。なんちゅうやつじゃ」――  

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