新ケ谷京介は極めて優秀な助手である

雨衣饅頭

第一章『オクリビト』

第1話

「京介君、『ミスディレクション』って知ってるかい?」


 至る所に書類が乱雑に積まれており、お世辞にも整理整頓が為されているとは言えないその部屋には、二人の男女が向き合う形で座っていた。

 一人は癖のある黒髪を後頭部で一つにまとめて垂らした――所謂『ポニーテール』の女。見た目からしておそらく年齢は三十代前半あたりであろう。煙草を吹かし、机に足を置くその様は妙に堂に入っており、ミステリアスな雰囲気が醸し出されていた。

 もう一人はきっちりとしたスーツに身を包んだ、清潔感漂う男。仕事着とは思えないゆったりとした服を身につける女とは比較できない程その男の容姿は整えられており、特に七対三に分けられた短髪――所謂『七三分け』が特徴的であった。


「突然どうしたんですか、先生。バスケ漫画でも読んだんですか?」

「はは、真面目な君にしては随分面白い冗談だね。それ以上茶化したら殺すよ」

「はい、すいません」

「分かればよろしい」


 『ポニーテール』の女――清水涼香は『七三分け』の男――新ケ谷京介の謝罪の言葉に満足した表情を浮かべ、灰皿へと煙草の灰を落とした。そして、再び話を始める。


「『ミスディレクション』。主にマジックに用いられる、視線や思考を意図した方向へ誘導するテクニックだ。まぁ一般に広く知られている有名な技だね。君も知っているだろう?」

「もちろん知ってますよ。あのバスケ漫画、僕も読んでましたから」


 京介がそう口にした瞬間、彼の顔のすぐ傍を灰皿が通り過ぎていった。まるで息をするかの如く自然な動作で、涼香が灰皿を投げつけたのだ。

 後ろで灰皿が壁に衝突する音を聞きながら、京介は冷や汗を垂らした。「流石にこれ以上茶化すのはまずい」と、そう思わざるを得なかったようだ。


「茶化したら殺すと、さっきそう言ったはずだけど」

「すいません。二度と茶化しませんから、これ以上煙草を僕の目に近づけないでください」

「さて、どうしようかな」

「冷蔵庫にある抹茶プリン、食べていいですから」

「‥‥話を続けようか」


 涼香は京介の目に近づけていた煙草を再び口へと運び、気を取り直すかのように椅子に座り直した。


「相手の視線や思考を誘導するテクニック、『ミスディレクション』。この技は日常生活でも簡単に使うことができる。そうだな、例え話をしよう。君の目の前を一人の男が歩いているとする。その男が唐突に空を見上げたとしたら、君はどうする?」

「僕もその男と同じように空を見上げると思います。男が何故空を見上げたのか、その理由が気になって」

「そうだろうね。これは君に限っての話ではなく、ほとんどの人間が君と同じような行動を取るだろう。つまりだ。何が言いたいかと言うとね、相手の視線というものは、いとも簡単に誘導することができるのだよ。誰だってね」

「なるほど。でも、それがどうしたんですか?いったい何故こんな話を‥‥」


 話の着地点が分からず、思わず首を傾げてしまう京介。その様子を見た涼香は「まだまだひよっこだな」と言わんばかりに笑みを浮かべた。

 

「その「まだまだひよっこだな、この青二才が」みたいな顔、やめてもらえませんか?」

「まだまだひよっこだな、この青二才が」

「なんだこの人」


 京介の反応に対して涼香は楽しそうに笑うと、煙草の吸殻を灰皿に押し付け、そのまま吸殻から手を離した。そして、唐突に浮かべていた笑みを消した。その真剣な表情は所謂――『お仕事モード』であった。


「もし、視線を誘導された先に『』があったとしたら?」

「『』‥‥、まさか、『怪異』ですか」

「そう、最近判明したんだよ。相手の視線を誘導し、『見てはいけないもの』を見させ、『あちら側』へと送ろうとする『怪異』が存在することがね。警視庁公安部に設置された怪異対策委員会本部では、この『怪異』にこのような名がつけられた。通称―――『オクリビト』」



―――第一章『オクリビト』―――


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