第1話 嫌われ者の少年

「いやあああああっ!」


 姉の叫びが夜の廃校舎に響く。

 それを少女――綾瀬紬あやせ つむぎは黙って聞いていた。恐怖に体をこわばらせ、目をつむり耳をふさいで。

 それでも、男たちの下卑た声がふさいだ耳にこだまする。


「いやっ、やめてっ、お願いだから……ああっ!」

「へへっ、いいじゃねえか」

「おいちゃんと動画撮っとけよ!」

「わかってるって」

「いやあっ、誰かっ、助けてっ!」


 そんな姉の悲痛な叫びが響く中、紬はただじっと目をつむって時が過ぎるのを待っていた。


 ……やがて、男たちの下卑た笑い声は遠くなり、辺りは静かになった。

 紬は恐る恐る目を開ける。


「あ……ああ……」


 紬の目に映ったのは、横たわる姉の無惨な姿だった。

 虚ろな瞳が、紬を映している。


「あ……ああ……あああ……」


 紬は、ただ呆然とするしかなかった。


「あああああああああああああああああああああああああ!!!!」



* *


 紬は、自分の悲鳴で目を覚ました。


「はあっ、はあっ」


 紬は荒い呼吸を繰り返しながら、辺りを見回す。


「夢……」


 そう、夢だ……あれは夢なんだ。


 五年前。

 姉妹は男たちに捕まり、そして妹である紬だけが無事だった。

 姉は紬の代わりに犯され……そして子を身ごもり、自殺した。


「う……うう……」


 紬は、思わず嗚咽を漏らす。

 姉は、私のせいで死んだ。

 私が、姉を殺したんだ。


「ううっ……うう……」


 紬は、声を殺して泣いた。


「お姉ちゃん……ごめんなさい……ごめんなさい」


 紬は泣きながら、何度もそう呟いた。



 赤子の鳴き声が、聞こえた。




 如月学園高校。

 東京都の如月町にある、中高一貫の私立高校である。

 それがこの俺、来栖野十児くるすの じゅうじの通う学校だ。

 朝の変わらぬ登校風景。今日もいい天気で気持ちよい。

 学校に続く坂道を生徒たちが歩いている。


「おはよう」

「おっはー」

「おっす、おはよう!」


 そんな挨拶があちこちで交わされる。俺に話しかける生徒はほとんどいないが、いつものことだ。気にする事じゃない。

 俺はいつものように下駄箱の扉を開けた。


 そこには、


「うわあ」


 大量の手紙が詰め込まれていた。扉を開けるとどさどさどさ、と封筒が雪崩のように落ちる。

 そりゃもうぎっちりとだった。


 これは……。


「うわー、今日も多いな、不幸の手紙」


 不幸の手紙だった。軽く百通くらいはある。

 いちおう言っておくと、不幸の手紙というのは、「この手紙を受け取ったものは〇人に同じ文面の手紙を渡さないと不幸になります」というものだ。チェーンメールのご先祖様、悪意の押し付け合いである。

 ちなみに俺はこれを他人に送るつもりは一切無い。当たり前だ。俺に宛てられた大切な思いだからな。

 俺は零れ落ちたそれを丁寧に拾う。


「いや、笑いごとじゃねぇだろ来栖野」

「あ、おはよう」


 クラスメイトの三上雄介みかみ ゆうすけが話しかけてきたので俺は笑顔で挨拶を返す。


「つか、今時不幸の手紙って……流行んねえだろ」


 三上はその手紙の束を見る。

 封筒からでもわかる、“死ね”だの“消えろ”だのといった、いかにも攻撃的な言葉……いや、呪いの言葉が書かれている。

 俺はそれを見て、封筒に指を這わせながら言う。


「流行りとかなんとかは関係ないよ。こういうのってさ、どうしてもやりきれない思いの発露なんだ。誰かを呪わないいられない、そんな思いがカタチになったのがこの手紙なら、俺が全部受け止めるよ」


 その俺の言葉に、


「うわ後光が見える! 菩薩かてめぇは!」


 三上は大げさに言った。いや、本当に大げさだな。


「よくもまあ顔色一つ変えずに真顔で言えるわ、そんなこと」

「そうか?」

「そうだよ」


 三上は呆れ顔をしなながら、自分の下駄箱のから靴を取り出す。


「昨日もそうだったのかよ」

「いや、昨日は生ゴミが詰まってたよ。全部食べたけど」

「食うなよ!?」


 三上は叫ぶ。うん、ちょっと誤解をされているようなので捕捉しないとな。


「流石に魚の骨とかそういうのは食べなかったから安心してくれ。生肉はちゃんと火を通したし」


 リンゴの向いた後の皮とかは昼食時にデザートとしていただいた。


「そういう問題じゃねえよ!?」

「だけど生ゴミも食い残しや料理に使われなかっただけの食べ物なんだ。それが俺の所に来たんなら、ちゃんと食べることが「いただきます」「ごちそうさま」の精神だろ」

「……」


 三上はやべーものを見る目つきで俺を見た。


「いや、お前やっぱおかしいわ、いや別にいいけどよ。

 ま……その心意気は買うけどな。あんま無理すんな。お前ただでさええげつねえ嫌われ体質、いや呪われ体質なんだから」


「ああ、わかってるよ」


 俺は笑う。


 そう、この俺、来栖野十児はそういう体質だ。

 誰からも嫌われ、憎まれ、呪われる。

 そうやってずっと生きてきた。というかよく生きてこれたものだと今では思う。


 この三上も、最初に俺と出会った時は言ってたっけ。


 お前とは一生わかりあえない。

 絶対許さない、気持ち悪いと。

 不快感と敵意を全開に言われたな。


 まあ、しばらくしたら普通に友人になったわけだが。


 しかし今も俺は色んな人に嫌われている。友人も何人も出来たが、しかしこの体質が変わったわけじゃないのだ。

 分かり合えない人はいつだって何処にだっている。だからといって分かり合おうとする事を止める気はさらさらないけど。


「まあ、お前はお前で大変だよな」


 三上はしみじみとつぶやいた。

 こういうふうにわかってくれる奴はちゃんといるからな。


「いや、俺は幸せ者だよ。こんな俺に普通に話しかけてくれてさ」

「……」


 そんな俺を見て、三上はげんなりとした顔をした。

 はははこいつ、そこは笑顔で返すところだろうに。



* *


 そのやり取りを、紬は見ていた。


 不快だ。気持ち悪い。

 彼を見ているだけで言いようのない胸やけ、おぞけが沸きあがる。

 名前を聞いた事がある程度で、親交は無い。しかし、あの男、来栖野十児の幸せそうな能天気な顔が癪に障る。自分だけは不幸と無縁ですと言っているような、あの笑顔が嫌いでたまらない。


 嫌いだからといって、何をするというわけでもないけれど。


「……」


 紬は、他の生徒たちのように十児に対する不快感をあらわにしながら目を逸らし、その場を去った。


 おぎゃあ、おぎゃあ。


 彼女の耳に、赤子の鳴き声が幽かに響いた気がした。



* *


 おぎゃあ、おぎゃあ。


「ん……」


 紬は目を覚ました。


 時計を見ると、朝の五時だ。もう起きなければ……。


 おぎゃあ、おぎゃあ。

 赤子の泣き声が聞こえる。


「また……」


 あの夢だ。最近毎日見るようになった夢。


 いや、あれは夢ではない。

 紬は知っている。あの赤子の泣き声が、生まれる事の出来なかった、姉の子供の声だということを。


 水子……だったか。生まれなかった赤子が、親への恨みと生者への嫉妬で悪霊となり、親類縁者を祟るという。


 おぎゃあ、おぎゃあ。


 紬は耳をふさぐ。

 そう、姉の子は、紬を恨み、呪い、祟っている。祟っているのだ。

 紬だけが助かったから。

 紬だけが生きているから。


「やめて……もうやめて……」


 紬は耳を塞ぐが、しかし赤子の声ははっきりと聞こえる。


 おぎゃあ、おぎゃあ。


「……っ!」


 紬は耳をふさぎながら、まだ暗い早朝の外へ出た。


「はあっ、はあっ……」


 紬は息を切らせながら走る。


 おぎゃあ、おぎゃあ。


 赤子の声はまだ聞こえる。


「うう……っ!」


 紬は耳を塞ぎながら走った。


 おぎゃあ、おぎゃあ。


 赤子の声はまだ聞こえる。


「うう……ううう……!」


 もうやめて。もう聞きたくないのに。

 紬は耳をふさぎながらうずくまる。


「……?」


 ふと。

 ぴたり、と足元に冷たい、濡れた感覚があった。

 紬は視線を下に向ける。


 そこには……。


「……ひっ」


 赤子が居た。

 アスファルトから滲み出すように、半分溶けているような、青黒い胎児が。

 縋るように、嘲るように、紬の足に触れていた。


「いやああああああああああああああああああ!!!!」


 紬の絶叫が、まだ白んでもいない朝の闇にこだました。





「よう、十児。聞いたか?」

「何を?」


 朝、三上が俺に話しかけてきた。


「迷惑系の配信者がなんか死んだってさ、えげつねぇ死に方で」

「うわ。そりゃまたかわいそうに」

「ああ。なんでも、配信中に突然苦しみ出して、そのまま死んだんだとよ。しかも死に方が、いきなり腹が膨れて、まるで妊婦みたいになって……破裂したんだよ」

「それは大変だな……」


 想像するとげんなりする。それに苦痛は並大抵のものじゃなかっただろう。

 黙祷し、冥福を祈る。


「ああ。まあそいつら普段から素行が悪くて何度も逮捕されてる奴らだから、ざまあって言ってる奴らも少なくないけどよ。

 そいつら、昔女をレイプしたとか武勇伝みてぇに話してたから、その呪い、祟りじゃないかって」

「……」


 呪い、祟り……か。


 それらは実在する。何よりも俺自身がそれをよく知っている。

 彼らは本当に呪いにやられたのか、それとも動画の視聴数を得るためにそういうふうに装っただけのフェイクなのか。

 ……そういう噂があるのなら、確かめてみるべきかもしれないな。うちの御嬢様のためにも。


「それよりよ、放課後にカラオケ行かねえ? 女子とも約束してんだけど人数がよ」

「いや、それに俺を誘うかよお前」


 俺は俺が嫌われ者だと知っている。そういうイベントに、友人たちだけならともかく、知らない人も来る所に俺が行くと雰囲気悪くなるだけだろう。


「大丈夫だって。お前の事みてみたいって子とかいるし、大半は知り合いだからよ」

「……そうか。それはありがたいけど、でも今日は俺、バイトだから無理だわ」

「あー、そういやそうだったな。何のバイトだっけ」


 三上の問いに、俺は答える。


「んー……食事係?」




 俺は中学時代、とある少女と出会い、そして彼女の所で働いている。

 少女の名は有栖川桐葉。彼女は、この如月町では知らない者などいないというくらいの名家、有栖川家の令嬢だ。そして俺はその家の使用人である。


 有栖川家。


 それは如月町の名士であり、この町の経済を牛耳る大富豪である。

 そんな家の令嬢が何故俺なんかに……と思わなくもないのだが、まあそこは色々事情がある。

 ともかく俺はその家で働いているのだ、一応。

 なお給金は安い。だが文句はない。


 俺は放課後、有栖川家へと向かった。有栖川家は如月町の中でも有数の大豪邸である。

 その大きさは、この如月町の中央にある小高い山の上に建てられており、敷地の広さもさることながら建物自体もとても大きい。


 俺は門をくぐり、屋敷に入る。


「お帰りなさいませ、十児様」

「ただいま戻りました。有栖川さんは?」


 俺は出迎えた執事長に尋ねる。


「お嬢様は自室で勉学中です。どうぞお入りください」

「ありがとうございます」


 俺は屋敷に入り、階段を上り、桐葉の部屋の前まで行く。


「お嬢様、十児です」


 俺はドアをノックする。


「入りなさい」


 中から桐葉の声が聞こえた。

 俺は中に入ると……そこには、長い金髪の美少女がいた。


 有栖川桐葉ありすがわ きりは。それが彼女の名前だ。

 彼女はこの如月町の名士である有栖川家の令嬢である。


 俺は彼女に会釈し――


「うわっあぶなっ!」


 飛んできた日本刀をすんでの所で避けた。

 だん、と刀はそのまま壁に突き刺さる。


「遅い。十二分の遅刻」


 桐葉はそう顔色を変えずに言い放つ。


「何をしていたの。説明しなさい。いやいいわ。どうせ横断歩道を渡れず困っているおばあさんとか妊婦さんとかを助けて、そして強盗か何かと思われて警察呼ばれたとかそんなパターンね」

「……」


 なんでわかるの? いや、確かにその通りだったけどさ。


「まあ……そうだけど」

「いつも通りって事ね。私より見知らぬ誰かを優先するなんて、なんて酷いのかしら。その人たちを助けた後で死ねばいいのに」


 桐葉御嬢様は言い放つ。

 この御嬢様こそが俺の主。


 三年前、俺を救ってくれた少女にして――


 “呪われ屋”を営んでいる、


 呪いを喰らう、化け物である。

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