トレジャー

@kouki112725

第1話

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 どこかで聞いたことがあるようなメロディーが流れて、目を覚ます。

それがイヤホン越しに聞こえる車内アナウンスだと気づいたとき、小和瀬波は不覚にも自分が再び眠りに落ちていたことを悟った。車窓から差し込む太陽の光がまぶしい。避けるようにして視線をさまよわせると座席テーブルの上のスマホとアイスコーヒーが少し残ったカップが目に入る。なんとなく頭が重いなぁと思う。

高速バスのエアコンのおかげで汗はかいていないが、胸に「SPECIAL BOOM」とプリントされた濃い黄色のTシャツの肩口はわずかによだれで湿っている。大学の友達と下北沢の古着店で買ったTシャツは、買う意思を表明した瞬間に、「センスないなぁ波」と直裁に言われた。そんなことないでしょ、という主張の意味も込めてそれから頻繁に着ているが、周囲の反応を見るとどうやら波の旗色が悪いらしい。旗色が悪いどころか、波が所属している英米文学科のゼミの教授はこのTシャツを見た途端顔をしかめて「小和瀬さん、boomという単語を流行という意味で捉えているならそれは誤りです。いわゆる和製英語というものですね。正しくはtrendです」と心底失望したような表情で指摘されてからは恥ずかしさのあまりしばらく家ですら着なくなってしまった。しかしそれ以降ゼミのクラスメイトに波の苗字の「おわせ」をとって「小和製英語(おわせいえいご)」という傷口に塩を塗るタイプのあだ名をつけられてからはむしろ吹っ切れ、こうなれば逆に和製英語を使いまくってマスターし、こいつらが普段から使っている和製英語を声高に指摘してやろうという心持ちになった波は和製英語の勉強を始めると同時にクローゼットからTシャツを引っぱり出し、ネットで「CASUAL BOOM」「SUPER BOOM」という波と同じく英語の素養のない三流デザイナーがノリと勢いだけで作ったであろうTシャツを買い集めて頻繁に着用するようになった。腹いせに苦言を呈した教授の授業に「ブーム上等」というTシャツでも作って着ていってやろうかと考えたが、報復措置として単位を剥奪される恐れがあったためすんでの所で思いとどまった。実行に移していたら別の意味で趣味の悪い女として学部にその名をとどろかせていたであろう。

「本日も、JR東海高速バスをご利用頂きまして、まことにありがとうございます。次は押切、押切にとまります」

 次の停車場を告げる車内アナウンスの音声を聞きながら、座席テーブルにおかれたアイスコーヒーを飲み干す。手に持ったときから分かっていたが、氷がとけて味が薄い。普段は飲まないブラックのコーヒーを買ったのは少しでも苦い方が眠気覚ましになりそうだったからという安直な理由からなのだが、結局眠ってしまった今となっては百五十円が無駄になっただけであった。

一体どれくらい寝ていたのだろうか。容器に書いてある「ice coffee」という横文字は和製英語であり、「iced coffee」もしくは「cold brew coffee」が正しいのだという益体のない知識を思い出しながら、寝落ちする前の記憶を辿ってみる。ユーチューブとSNSと音楽を必要以上に行ったり来たりしながら、何回かこっくりと船をこいだ後、休憩の足柄サービスエリアに着いた時点では起きていた覚えがあった。外は既に日中三十度を超えている真夏日なのにも拘わらず、バスの中はクーラー全開で快適に温度が保たれており、時折バスのエンジンが吐き出す排気ガスの音に地球環境に悪いことをしている罪悪感を覚えつつもそのエンジンが産み出すほどよい振動に身を任せていると何度も睡魔が波を襲ってきた。バスで寝違えると首の痛みに悶絶することは過去に痛感していたため、襲ってきた睡魔に勝つべくサービスエリアに併設されていたコンビニでアイスコーヒーを買って飲んだわけである。再出発後は単調な高速道路の防音壁の模様を眺めた後、その防音壁の頭から数センチ見える山の景色を見上げていたら、てきめん目が痛くなってシートに身をもたげると、睡魔が襲ってきた。ということは、そのあたりから眠りの国へ誘われていたわけか。ということは、寝ていた時間は……。波はスマホで現在の時刻を確認するも、いつから寝たか時間を覚えていないことに気づき、自分の阿呆さに辟易する。休憩で止まったサービスエリアから現在地が分かれば小学校で習った「みはじ」の公式を駆使して道のり÷速さ=時間を算出できるが、土地勘と知識がないため道のりがわからず、答えにたどり着くことができない。体内時計を頼りに概算する方法あるが、大学二年生というものはいつ起きて何時に寝るか定まることがないため体内時計なんてものは存在していない。タイムイズマネーならこの二年間でとっくに大金持ちになっていであろう波は見事に時間感覚を失った自分のことを「クレイジータイムガール」と蔑称しているが、そんなクレイジータイムガール小和瀬波が確信を持って言えるのは今日自分が眠い原因くらいである。

 バスのシートに深くもたれながら、後悔のため息を吐く。

「はあ。やっぱちょっと無謀だったな」

それは先日つつがなく終わった期末テストに端を発し、過酷な試験勉強とレポート地獄という束縛からの開放によりアドレナリンが爆発した波が「スパイキッズ2」「少林サッカー」「アルマゲドン」という小和瀬波が選ぶ思い出の洋画ベスト3を一気に視聴してしまおうという狂気にも近い発想に駆られたことにある。波が家族で共同利用している動画配信のサブスクではどれも取り扱いがなかったため、(その時点でTシャツだけでなく映画に対するセンスすらも否定された気がして自嘲的な笑みを浮かべた波であったが)、数年ぶりにレンタルビデオショップゲオでDVDを借りることにしたのが三日前。不要な一念発起を遂げた数時間後には自転車を走らせ、ゲオの自動ドアをくぐっていた波は、レンタルビデオショップ特有の薬品めいた匂いと色が褪めつつもカラフルな色彩でその存在を主張してくるDVDパッケージに郷愁の念に駆られ、借りる予定のなかった「となりのトトロ」までもいそいそと借りてしまったことも寝不足を助長させた遠因であろう。それから波のワンルーム七畳のアパートでは連日連夜の一人名作映画鑑賞会が催され、ようやく昨日というか今日の日付になった午前二時に五作品を無事制覇した波は「となりのトトロ」の感動的なラストにほろりと涙を流し、「トットロ~トットロ~」というエンディング曲のカタルシスに酔いしれながら深夜のゲオにDVDを返却しに行き、外灯の明かり差す閉店時専用の店外返却ボックスに「ありがとう。誰がなんと言おうと君たちは私のベストだよ」と心の中で呟きながらディスクを入れて帰ってきた。そして帰宅後、はみがきもせずにベッドにダイブし、数時間睡眠のち起床。寝不足の頭で荷造りをして山手線に乗り込み、バスタ新宿から高速バスに乗って今に至る。今考えたら朝ご飯も食べてないな。昨日寝る前にポテトチップス二袋あけちゃったけど。

首をゆっくり横に曲げると一定の所から痛みを覚える。その痛みを確認するよう に何度か首を回していると、運転手の嫌がらせを疑いたくなるようなタイミングでバスが上下に揺れた。つぅ、と短い悲鳴が出る。漢字の「痛」を素早く音読みしたかのような悲鳴であり、もし隣に人が乗っていたら確実にじろりと一瞥されていたであろうが、この時間の瓶は需要が低いのか片側二列シートの波の隣の席に乗客は最初からおらず、波の荷物置場となっていた。紫の画用紙の上に黄色と黄緑の絵の具を落としたような柄の座席シートに倒れ込んでいると、バスがゆっくりとスピードを落としていく。赤信号ではなく押切に停車したらしい。車内の客が数人立ち上がり、下車の支度を始めるのが見えた。バスの扉が開き、運転手が運的席から立ち上がって外へ出て行った。仕事が嫌になって運転を放棄したわけではない。トランクケースなどの大きな荷物をバスのトランクから出すためである。波は体の向きを変えて窓の外に目を遣ると、中古車販売店の店先に店名と友に清水店と書かれている。波の地元の静岡には着いていないが、隣町の清水にはたどり着いていたようである。幹線道路から住宅街やロードサイドの飲食店などが見える。車からでも見えるラーメンチェーンや家電量販店の大きな看板に広めの駐車場。ガソリンスタンドやホームセンターなど特筆すべき所のない地方の郊外の景色。受ける印象は道行く人が少ないということだろうか。特に若者が少ない。

清水というのは波の生まれ故郷静岡の隣町。『ちびまる子ちゃん』の作者さくらももこの出生地として有名であり、さくらももこが現役で清水の町を闊歩していた昭和の時代は清水市であったが、平成のはじめに静岡市と合併して静岡市清水区になった。清水には波の祖母の生家があり、小学年の頃に何度か家族で行ったことがあるらしいが、波にはさっぱり記憶がないので本当かどうかは分からない。ただ清水駅の近くで清水七夕祭りというお祭りがあり、そのお祭りに祖母と母と姉で一度訪れたことは覚えている。どこかの女優のように芸能事務所にスカウトされることもなく、ただ人がたくさんいたという記憶しかないが。そのときのことを考えると、「こんなに時化てたっけかなぁ」というのが率直な感想であり、外の温度を伝えてやや温かくなっているバスの窓ガラスに頬をつけながら、波はそう呟いていた。

ただし当然ながら、波のその愚痴には悲哀も哀愁も郷愁も一ミリもない。

「はは。時化るとか言ってたら文学部がバレるな」と思うくらいである。

ただ自分がこの清水の海であり、日本一深い海溝を有する駿河湾から浜辺にうち寄せる波にちなんで小和瀬「波」と名付けられたという事実を思い出してやや胸騒ぎがするくらいである。中学の同級生の女子には「小和瀬波さんって、名前が海っぽくて綺麗だね」とか「『ワンピース』のナミと同じ名前だね」とか言葉を尽くして褒めそやされ、男子には「ナミのくせに貧乳!」とマンガで覚えた性的表現でセクハラを受けてきた波であるが、南伊豆の美しい浜辺を見て決めた名前ならまだしも、駿河湾の深緑色に濁った海から打ち寄せる波を見て閃いたというから名付けられた側としては複雑な心境である。初めて見に行った時に、お母さんの「昔はもう少し綺麗だったのよ」という言い訳がましい台詞と苦笑いが子ども心に堪えた事を覚えている。それから、乾燥わかめのような深緑色の波が押し寄せる波打ち際で五つ上の姉、葵(あおい)と二人で海に向かって石投げをして遊んでいたら、葵が全力で投げた五センチほどの石が誤って波の後頭部に直撃し、たんこぶができて大泣きした記憶が蘇ってくるから更に憂鬱である。まぁよく考えたら自らの名前に由来する地で幼くして非業の死を迎えずに済んでよかったとも言えるが。いずれにせよ清水は港とかサッカーとかのイメージでもう少し栄えている印象があったが、少子高齢化に輪をかけて若者が地方から都会へ流出しているということだろうか。

バスから降車し、トランクの荷物を受け取って立ち去っていく中年女性の乗客を見ていると、その横を下校中らしき男子中学生が自転車で素通りしていく。その姿にふと、「おい、君は地元から出ていくなよ」と心の中で言葉をかける波だったが、そのまま自分に言うべき言葉であるなと考え直した。小和瀬葵が今年のお正月にビールを片手に放言していた弁を借りれば、静岡の未来は暗いぞ、ということらしい。「まず大学に魅力がないでしょ。そして圧倒的に町に魅力が無い。だから大学進学する高校生の大半は首都圏や愛知や関西に出て行って、そこで卒業して、就職すってわけ。結果的に地元から離れることになる。そうなると二十代から三十代の若者が減る。子どもを産む若者の数が減ったら新生児も減って、将来の人口も減っていく。人口が減ったら当然経済も停滞する。すると町に魅力が無くなる。以下ぐるぐる悪循環が起こっていく。ただでさえ少子化の日本でこんな超バッドサイクルやってたら、キングオブ少子化の称号も近いよ、まじで」

そういうことだろうか

「でもさ、お姉ちゃんは帰ってきてるじゃん静岡」

 波がそう言うと、葵はやや尖った口調で

「辞令だから。行っとくけど地方転勤は出世コースだから」と言う。

葵は県で一番頭がいい高校を出て、早稲田にストレートで進学。誰もが名前だけは聞いたことがある大手金融企業に就職したくせに、社命で静岡に戻らされ、今は実家からさほど遠くない場所でアパート暮らしをしている。正月、未成年のくせに一杯だけ姉のサントリーほろよい白いサワーを飲んで饒舌になった波は「安定に走った負け犬の遠吠えだ」とゲラゲラ笑い転げたところ、既にチューハイを数缶開けていた姉が空いたグラスで波の頭を殴りかかり、危うく清水の浜辺以来二度目のたんこぶを後頭部にこしらえるところであった。

ただ、負け犬の遠吠えかどうかはともかく姉の言葉は的を射ている。

波が通った高校は偏差値が50ちょいの県立高校だったが、大学や専門学校に進学した同級生は四割くらいで、静岡の大学に進学したのは三割くらいだった気がする。ということは四割×七割で、全体の三割くらいは県外に出ていったということになる。ってこの式あってる?

中には葵みたいに遠吠えをしながら帰ってくる人もいるだろうけど、帰ってこない人の方が多いだろうし、そうすると人口は減っていくのは小学生でも分かる話である。

波が大学受験の年に市議会議員の選挙があったが、「若者の人口流出を止めます」とか「若者が来たくなるような町を」などというマニュフェストを掲げる候補者はおらず、選挙カーは壊れたラジオように永遠と候補者の名前を爆音で連呼し続けるだけであった。そんなサブリミナル的に名前をすり込む他に言うことはないのかと当時の波は受験のストレスを道行く候補者たちにぶつけていたのを思い出す。詰まるところ大人もさほど若者の流出を気にしておらず、若者は若者で、卒業して就職するなら都心の大学の方が有利なんじゃないかとか、渋谷、原宿で買い物したい、好きなバンドのライブ行き放題、ディズニーランド通い放題と、様々な煩悩にまみれているから、多分同じくらい救いようがない。結局、だれもなにもすることはなく、世界は今日も回っていき、若者は夢や希望という名の煩悩の数々を部屋の隅っこにたまった埃のように積もらせて、受験という名の大掃除で拭き取ったら意外と大きな固まりになっていたからこれはもう自分の意志なのだ、みたいな感覚で地元を離れていく。

波が実感としてあるのは、そんな意志はそれこそ埃みたい軽く、吹けば飛んで行ってしまうくらい脆いというくらいである。

悲観的だなぁ、と思う。大学生になってから帰省はこれで3回目になるけど、東京と静岡の狭間にある清水で、波は毎回同じ気分になる。それは毎回この辺りで目を覚まし、寝覚めの悪さから心がすさんでしまうからなのか、それとも別の原因があるのかは分からない。

 無事に乗客の降車が終わり、バスの運転手も無事に運転席にもどってきたことで、再びバスが動き出す。終点の静岡駅までは、まだもう少しかかりそうだった。


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