父さんは外国人?
不知火白夜
父さんは外国人?
※キャラクターの名前の由来として、実在の競走馬の名前が登場します。
※本作は実在の競走馬及び競馬関係者とは一切関係ありません。
この春、とある高校に入学した少年
中学時代は、コロナ禍による影響は強くあったものの、それと比べれば今の環境はかなり気楽であった。マスクをつけるかつけないかといったような判断はあるものの、数年前までの制限に比べればたいしたものではない気がする。
そんな中、高校生になってから豊はあることが気になっていた。いや、この引っかかりは今に始まったものではなく、ずっとあった引っかかりなのだが、最近になって改めて違和感として豊に影響を与え始めたものである。
それは、父親の名前であった。
4月のある日、様々な部活勧誘や見学を経て豊は入る部活を決めた。自身や保護者の名前が書かれた入部希望届を提出しようとしていた際に、近くにいたクラスメイトが目を丸くしてこう聞いてきたのだ。
「え、新堀ってハーフかなんか?」
「え? あ、いや別にそういうわけじゃないんだよね……」
クラスメイトはたまたま入部希望届の保護者氏名の欄にある名前を見てしまったのだろう。その、そこに丁寧に書かれている『新堀ルドルフ』という名前を。
そう、これが豊の父親の名前だ。
しかし父親は外国人ではない。本人もその祖父母も日本人であるため、豊本人は所謂ハーフやミックス、クォーター等と言われる立場ではない。ただ父親の名前が珍しいだけである。
そのためぎごちなくもクラスメイトの言葉を否定すれば、相手は『へぇ』と相づちを打つ。
「俺らの親世代でそういう名前、なんか、珍しいね。しかも『シンボリルドルフ』って……あれじゃん、馬じゃん……」
「あ、うん、そうみたいだね。なんか、わかんないけど」
「変わった名前だよね。お祖父さんかお祖母さんが競馬好きなんかな?」
「もしかしたら、そうだったのかもね」
「ふぅん」
クラスメイトは、それ以上特に言及することなく彼自身の入部希望届を提出していたため、豊も適当に返事をして書類を教師に提出した。
それ以降、改めて父親の名前が気になるようになったのである。
正直、小さい頃から父親の名前は変わっているなとは思っていた。それに父親の名を知った人からは『ハーフなの?』と訊ねられることが常であった。その度に否定をすることに面倒と思うこともあったが、それを除けば特に困ることもない。そのため父の名前に対して『変わってるなあ』と思いつつ由来を気にすることもなかった。恐らく、軽率に名前について聞いていいのか分からなかったというのもあるのだろう。
時々競馬ファンらしい人から『競走馬のシンボリルドルフと同じ名前なんだね』と指摘されることもあったが、豊本人は言うほど競馬に興味がないためそこでの会話はどうしても『そうなんだよね』で終わってしまう。
親の名前が少し変わっているくらいどうでもいい。これまで豊はそんな様子でいたが、一度気になり始めてしまったからか、ずっと頭の中でもやもやと違和感が燻り続けているのだ。
それから学校に提出する書類に保護者のサインを貰う度に、父の名前の由来が気になった。
何故こんな名前なのか。これで父親の兄弟姉妹も西洋風の名前なら、そういう名付けをしたのだと判断出来るが、他の兄弟姉妹は日本人によく居そうな名前であることも、豊にとっては疑問だった。祖父母がたまたま派手な名前をつけようとしただけなのか、それとも実在する競走馬から取られたのか。そういったことがますます気になってしまったのである。
それから数日後のある日。夕食後に母と共に片付けをこなしてから時間ができたため、豊は思い切って父であるルドルフに聞いてみることにした。
中学二年の弟は入浴中であり、小学六年の妹は宿題をするといって部屋に行った。母は台所で何やら他の用事をしている。手伝うかと聞いたが断られてしまった。ここから入浴までの時間の間に父に聞いてしまおうというわけだ。
よし、と小さく決心した豊は、リビングのソファに座ってチャンネルを変えながら、何も見たい番組がないとぼやく父に声をかける。
「あーあのさ、父さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「ん? なんだ豊。いいぞー俺で答えられることならな。勉強の内容は無理だぞ?」
「あ、いや、勉強のことじゃないんだ。ちょっと前から気になってることで……」
豊に目線を向けたルドルフは、テレビの音量を下げてから、操作していたリモコンをローテーブルに置き、話を聞き入れる体勢を整えた。豊はその様にほっとしつつ、ルドルフの言葉に返事をしながら、彼の隣のスペースに腰を下ろす。
「えっと、答えにくいことだったら答えなくてもいいんだけど、ちょっと気になってることがあって」
「うん。なんだ? とりあえず言ってみろ。答えられないならそんときは言うから」
真面目に答えてくれるルドルフに押されて、豊は、妙な緊張感を抱きながら徐に口を開く。
「あの……さ、父さんって、なんで『ルドルフ』って名前、なの?」
「えっ」
「ふふっ」
明らかに動揺した様子のルドルフの声に続いて、母の吹き出すような声が聞こえた。別に聞かれていること自体は大丈夫だが、そんなに面白い質問だっただろうか。
豊は、不安な気持ちを抱えながらも、言葉を続ける。
「変な質問してごめん。でも、父さんって、ハーフとかでもないし、外国生まれとかでもないみたいだし、この、今更だけど……気になって。クラスメイトからも指摘されたし……」
「……『新堀くんのお父さんって外国人なの?』みたいに?」
「そう、そういうこと」
「そっかぁ……」
「あ、でも、父さんが言いたくないなら別に――」
驚きに目を丸くするルドルフの様子から、慌てて『話さない』という選択肢も提示し直したが、ルドルフから発された言葉は、豊にとっては想定外の内容であった。
「やっと聞いてきた! 漸く聞いてくれたか豊!」
「――え?」
「
「はいはい良かったわねぇ、聞いてくれて」
「うん!」
母の名を呼びながら大仰なジェスチャーで喜びを表現し、その言葉に元気よく頷く。このノリは同い年の夫婦というより親子のようだ。なんだか妙な光景だとか、そんなに聞いてほしかったのだろうかだとか考えながら沈黙していると、ルドルフはローテーブルに置かれた酒を一口
「いやぁ、名前の由来かぁ、そうだよな、俺どう見ても日本人顔だし気になるよな。よし、説明しよう」
「……うん、あ、ありがと」
「で、えっと……何で『ルドルフ』って名前かっていうとだな。色々話せば長くなるんだが、まぁ、まず単純な由来は競走馬の『シンボリルドルフ』なんだよ。『シンボリルドルフ』。知ってるか?」
「あー、うん。なんか、最近ゲームとかアニメとかで見るし。やっぱりその馬が由来なんだ」
「そうそう!」
豊の脳内には、競走馬を擬人化したという有名ゲームが浮かんだ。ゲームについて詳しいことはよく知らないが、ここ数年流行しており、中学時代にもそのゲームをやっている同級生がいたことを覚えている。その中で、先述の馬と同じ名前のキャラクターがおり、初めて見たときは父と同じ名前なことに驚いた覚えがある。
その際にざっくり競走馬の方についても検索してみると、これまたすごい経歴の馬だったという解説記事が多くヒットした。皇帝だとか無敗で『三冠』を成し遂げたとか、七冠馬にまでなったとかいう解説を読み、『よく分からないけどすごいこ』というざっくりとした感想を抱いたのだ。
やはり、父の名前は競走馬から取られていたのだということに驚いたものの、大いに納得した。しかし、そうなると父方の祖父母が競馬好きの印象がないことが豊に疑問を抱かせる。孫の自分が知らないだけだろうか。いや、そうなると兄弟姉妹の名前が普通なのが逆に変なようにも見える。
1人であれこれ考える豊に、ルドルフはにやにやと口角を上げる。
「なんだ、納得いかんか?」
「いや別に……えっと、父さんの名前が競走馬からきてるのは納得したよ。でも、そう思うと、誰が父さんにその名前つけたんだろうって思って。祖父ちゃんや祖母ちゃんは競馬好きって感じがしないけど、他に競馬好きな親戚でもいたの?」
「いや? 競馬好きなのは俺ぐらいだよ。ついでにいうと、俺シンボリルドルフと同じ生年月日なんだよね。だからその……例え競馬好きが親戚にいても、彼を由来にして俺の名前は付けられないと思うんだよな」
「え、あ、そうか……」
ルドルフが軽く首を振って否定した。続けての説明に、豊は納得する。確かに全く同じ日に生まれているのに名前が被っていたら奇跡的な偶然でしかない。しかしどうやら奇跡的な偶然という訳でもないようだ。
そう思うと、ますますよく分からなくなる。
「えっ、じゃあ、誰が名前を……?」
「ふふふ……それはね、なんと、俺です!」
「は?」
「俺が! 自分で! ルドルフって名前をつけました!」
「……………………は?」
力強く発されたルドルフの言葉に、豊は思考が停止しそうになりながら、たっぷり間を置いてから素っ頓狂な声を上げた。表情も驚きにゆがめられ、気持ちは過剰に乱される。そして離れたところでは母、亜希子が笑いをこらえている。
豊は混乱したままあれやこれやと思考を巡らせる。ニックネームやハンドルネームならともかく、本名を自分で決めたって何の話をしているんだ、まさかルドルフは本名じゃないのか? いや、父の保険証などの名前も『新堀ルドルフ』だった。その名前は流石に本名なはず――ここまで考えて、ふと思いついた。
「……もしかして、改名とか、してるの?」
豊の同級生にはキラキラネームと呼ばれる名前の人物が何人かおり、中にはいつか名前を変えることを希望している子もいる。改名する際は多くは派手な名前や珍名から普遍的な名前にするというパターンだろうが、逆だって有り得なくはない。
思いついた可能性を口にすれば、ルドルフはにこりと笑ってから力強く言い切った。
「正解!」――と。
その言葉に豊は驚愕から一瞬黙り込んだ後、大層大きな叫び声を上げた。
「えっ、えぇえええええええ!? 改名!? なんで!? 何でそんなことを!?」
「これも深いわけがあってなあ……」
「そりゃ祖父ちゃん祖母ちゃんから競馬の気配しないわけだよ! うっそでしょ!?」
「ちょっと豊声大きいわよ! 気持ちは分かるけど」
「ごめん! でも、いや、だってまさか父さんが改名してるなんて思わないじゃん! ねえ!」
声を荒らげる豊と、その様子を見てケラケラと笑い声を上げるルドルフと、豊を叱る亜希子。そんな状況の中に突如騒音と、性質の違う二種類の声が響く。
「兄ちゃんうっせーよ! なんだよでっかい声出して!」
「なになにどしたのなにかあったの!?」
リビングに飛び込んできたのは、風呂上がりでパジャマに着替えたばかりの弟
そんな二人も、両親からこれまでの経緯を聞けば圭太も動揺を見せ、瞳は長兄に勝るとも劣らないくらいの大声を上げ、『なにそれなにそれ』と焦りを見せている。
「なにそれなにそれお父さん元々違う名前だったの!?」
「そうなんだよ~」
「元の名前はなんてーの!?」
「元はな、
「えーっ! ふつーだ!」
ソファに座るルドルフの傍らですごい、信じられないと騒ぐ瞳を視界に捉えながら、豊は少々呆然としていた。『健介』なんてよくある名前、特に変える理由も見受けられない。それは圭太も感じたらしく、頬をポリポリと掻きながらぽつりと呟く。
「なんで、そんな普通の名前から『ルドルフ』にしたわけ?」
「おっ、圭太~そこ気になる?」
「いや、そら、そうでしょ……『健介』からの『ルドルフ』は流石に……。逆ならともかく……」
「うんうん! わたしも気になる! だって『ルドルフ』の方が変わった名前だもん!」
「だよな~よーしじゃあ色々話しちゃうぞ~」
圭太と瞳の、それぞれ異なる調子で放たれた言葉に、ルドルフは破顔して、どこから話そうかと逡巡する様子を見せる。
瞳がルドルフの横に腰を下ろした。父親の両側が兄妹に塞がれている様を見て、圭太は適当に床に腰を下ろしあぐらをかく。それを見て、豊は一瞬場所を変わろうかと問いかけたが、圭太がやんわり断ったため、改めて父の話を聞く体制を整えた。
さて、父が言うには、元々『健介』は自分の名前を『ルドルフ』に改める発想は一切なく、自分の息子に『ルドルフ』という名前をつけるつもりだったという。
それを聞いて、豊達は大層目を丸くした。その言葉が事実なら、自分たちの内の誰かが『ルドルフ』になっていたということか。
その言葉に、ルドルフは大きく頷く。
「というか、俺は豊に『ルドルフ』って名前をつけたかったんだよな」
「えっ、そう、なの」
「うん。だって競走馬の『シンボリルドルフ』は牡馬……オスだからさ。結婚して男の子が授かったら『ルドルフ』って名前にするって決めてたんだよね。んで、亜希子ちゃんと結婚して暫くしてから赤ちゃんできたって知って、そこからまた性別が男の子って分かってからは、もう俺は『息子の名前はルドルフにするぞ!』って気持ちしかなかった訳よ」
「えぇ……そうなんだ……」
力強く語るルドルフに豊は複雑な面持ちで言葉を返してから、亜希子に目を向けた。圭太もやや抵抗感を見せるような態度で父の話を聞き、亜希子に言葉を投げかける。
「……父さんはこんなこと言ってたみたいだけど、母さんどう思ったの?」
「そりゃ反対したわよ。母さん、競馬分からないし、分かっててもそんな名前は流石にね……。それに、所謂ハーフでもないんだから、ルドルフってねぇ……って思ってたのよ」
「やっぱ、そうだよね……」
「えぇ? でも、今は結構変わった、ハデな名前の子とか外国人さんみたいな名前の子多いよ? わたしのクラスにもトムくんとかリズムちゃんとかいるよ?」
圭太の疑問に、瞳はえぇ、とそんなことを言った。実際、近年はキラキラネームなどと呼ばれ変わった名前の子供も多いが、しかし、だからといって亜希子は『キラキラネーム』として安易に受け入れることはできなかったようだ。
「それはそうだけど、母さんはできれば日本人って分かる名前にしたかったのよ。あと、おじいちゃんおばあちゃんになってからもおかしくなさそうな名前でね」
「ふーん、そうなんだぁ」
台所の方にいた亜希子は、ポットで湯を沸かしながらそんなことを返す。因みに、どうやら彼女はコーヒーを飲もうとしているらしく、せっかくだからと他の家族の分も準備してくれるそうだ。
手伝うべきかと迷った豊だったが『お父さんの話を聞いてなさい』という言葉に、礼と謝罪を述べてから体勢を戻した。豊は改めて父の話に耳を傾ける。
やはり世間一般的に考えて、純日本人で『ルドルフ』は変わった名前と思われるだろう。そう思うと、亜希子が反対するのも致し方ない話だ。それに、年老いてからも違和感の少ない名前にしたいという気持ちも理解を得られそうなものだ。
しかし、『健介』は諦めなかった。どうしても息子に『ルドルフ』という名前をつけたかったため、彼は自身の競馬仲間にこの名付けについて意見を聞くことにした。
しかし、『健介』の気持ちとは裏腹に競馬仲間の意見は厳しいものだった。
『なんでその名前にするんだ』『名前負けしないか?』『そもそも競走馬から取るのはやめた方がいいんじゃないか。競馬に悪いイメージをもつ人もいるし』『どうせなら騎手や調教師の名前からとれよ』――とそれはそれは散々な言われようだった。ギャンブルである競馬に対して印象が良くない人もいるし、そうでなくとも、馬が名前の由来というのはいかがなものかと考える人物もいるかもしれない。それを思えば、とある友人が言った『騎手から名前をとる』というのはありだろう。伝わる人には伝わるし、そうでなくとも日本人の名前として違和感は少ないものになるだろう。
それでも『健介』は諦めなかった。競馬仲間にここまで言われても意見を変えることはなかった。そんな夫の強情さに疲弊してきていた亜希子だったが、やはり子供のことを思うと素直に頷く訳にもいかなかったのだろう。亜希子は藁にもすがるような思いで己の両親や義理の両親にこのことを伝えた。
すると、彼女の両親及び義理の両親はどちらも亜希子の意見に大きく賛同した。『ルドルフ』という名前は日本人の名前にしてはちょっと違和感があるのではないか、馬から取らなくてもいいんじゃないか等々……概ね、今まで亜希子や競馬仲間から言われていたことを強く指摘されたものの、それでも『健介』は絶対にルドルフにする! と主張して譲らなかったのだが……ある日の話し合いの最中に、ふと『健介』の母親がこんなことを口にしたのだ。
「そんなにその『ルドルフ』がいいなら、健介がルドルフになったらどうなのよ」
「……え?」
それは、『健介』の母にとっては何気ない言葉だったのだろう。あまりにも強情でしつこい息子に嫌気がさしたような、そんな気持ちから発されたその言葉は、本当に、何気なく、さらりと吐き出されたものである。大声で発されたわけでもなく、下手すれば父あたりの声にかき消されてしまいそうなそんなか細さすらあった。
しかし、その言葉を『健介』は聞き逃さなかった。何故なら、それは『健介』にとってはまさに青天の霹靂だったからである。
「…………それだ……」
「え?」
「それだあぁああああああぁああ!!!!」
『健介』の絶叫が、部屋中に響き渡り、同席している親族がびくりと体を震わせたり目を丸くしたりする。先述の発言をした母も、息子の絶叫に大層驚愕し硬直しているようだった。
また、中には『健介』が叫んだ理由が分からず目を白黒させる者もいた。
周囲のそんな反応を全く気にとめる様子はなく、『健介』は一人高揚しながらしゃべり始める。
「ありがとう母さんなんでそれ思いつかなかったんだろう!!! 確かにその方がみんなも納得がいくよな!!! というかそもそも俺シンボリルドルフと同じ昭和56年3月13日生まれだし!? 馬好きになるか分からん息子に背負わせるより、俺が背負う方がいい!!! その方が自然!!!」
満面の笑みで大きな声を張り上げた『健介』は母に近づきその肩を掴むと力強く礼を述べた。母及び周りが呆然とする中、気分が良くなったらしい『健介』はわぁわぁと騒ぎながら今度は亜希子へと向き直る。
「亜希子ちゃん!」
「えっ、あ、はい?」
「今までごめんな! 俺のこだわりで子供の名付けで無駄に揉めて……子供に『ルドルフ』って名付けるのはやめるよ!」
「えっ、あっ、ほんとうに……?」
「うん! その代わり、俺が『ルドルフ』になる! 『ルドルフ』に改名する!」
「……えっ? ……ぇええっ!?」
周囲の親族が『健介』の言葉に驚愕する中、その中心にいる彼本人は、なんてことないようにキラキラとした笑顔を浮かべていた。
それからのことだが、ひとまず『健介』の改名については保留された。本人は『ルドルフ』と呼んでほしいようだがいきなりの改名は却下され、ひとまず『一部から呼ばれるあだ名』に落ち着いた。
そして問題の子供の名前はどうするのかというと……代わりに騎手から名前を拝借したいと言った『健介』の気持ちが汲まれた。亜希子も思うところがないわけではなかったが、正直もう疲れていたし、馬から取られるよりはいいと考えたのだ。それに、騎手が由来なら、競馬に詳しくない人からすれば『普通の名前』に見えるであろう。
これにはお互いの両親もなんとかぎりぎり肯定的な反応を見せた。『まぁ、スポーツ選手から名前を取ってると思えば……』『よっぽど変な名前じゃなければ……』といった感じである。
その後夫婦で話し合いが行われた結果、長男の名前は有名な騎手を由来とし『豊』になったというわけだ。
因みに、『圭太』と『瞳』も騎手が由来である。何も知らない人からすれば一般的な名前だから、名付けられた本人も、亜希子や親戚も特に文句はない。
「――そんで俺は、ルドルフってあだ名を数年使って、定着してから正式に改名の手続きをしたって感じ。大体分かった?」
「う、うん……分かったけど……なんというか、予想外……」
「ねー! わたしもびっくりした!」
それぞれ驚く豊と瞳の傍らで、圭太はぽつりと呟く。
「でもさあ、そんなことして祖母ちゃんたちショック受けなかったの?」
「んー、正直言うとちょっとショック受けてたみたいだな。それまでのあれこれがあるとは言え、せっかく親がつけた名前を変えるなんてー……みたいな? だからうちの親は、未だに俺のこと『健ちゃん』なんて呼ぶときもあるし。あと、呼んでも『ルー』とか……」
「あー、そう言われると……。なんか、気にしてなかった」
「お前ら親の呼ばれ方全然気にしてないもんな。別にいいけど」
ルドルフの言葉に、豊と圭太は祖父母と父のやりとりを思い出す。確かに、はっきり『ルドルフ』と呼んでいる機会は意外と少なかった気がする。それを今まで気にしたことがなかったのは、親からの特殊な愛称と思ってスルーしていたのだろう。
子供達が三者三様の反応を示していると、亜希子がコーヒーやココアを持ってきてくれたので、みんなありがたくいただくことにする。
亜希子は、ルドルフにマグカップを手渡しながら当時を思い出すように口を開く。
「それにしても、あの時はまさか本当に改名手続きするとは思ってなかったけどね。あだ名で終わると思ってたのに、本当に『ルドルフ』になるんだから、びっくりしたわ」
「いやぁ、だってなんだかんだ気に入ったからさ、この『新堀ルドルフ』って名前。仕事で初対面の人と話してても覚えてもらえるし、相手によっては一発笑いがとれるし。ほんと、豊に無理してつけなくて良かったよ。あぁ言ってくれた母さんに感謝だな」
祖母の気持ちを考えれば本当は息子の改名も止めたかったろうが……今更言っても仕方ない。礼を言ってマグカップを受け取ったルドルフは、なんだかやたらと満足げだった。
「しっかし、まぁ、あんたらにやっとこの話できてよかったよ。いつか喋りたいって思ってたからさ」
「……そっか。僕もまあ、疑問が解決してよかったよ」
薄く笑みを浮かべながらコーヒーに口をつけた豊は、ふと、あることを思いだした。
それは、小学生時代に『自分の名前の由来を調べましょう』という授業があったときの出来事である。
小学生のあのとき、豊は自分の名前の由来を両親に聞いた。すると二人は『いろんなことを学んで、豊かな人間性をもつ人になってほしかったから』――というようなことを言われた。豊はそれを言われて納得して授業で発表したわけだが……ルドルフの話を聞くと全く違う。どういうことか。
両親が秘匿した理由も分からなくもないが、ならば、自分があの日聞かされた名前の由来は全部嘘だったのか? そんな不安が湧き出るものだから、恐る恐る問いかける。するとルドルフは、あぁ、と言葉を零して申し訳なさそうに眉を下げて説明を始めた。
「それな、全部嘘っぱちって訳じゃないんだぜ? そういう意味も込めてる。……でもさ、学校で発表するって言ってる子相手にあの話はできないだろ? それに、『お父さんが競馬好きなので騎手から取りました』もちょっと言いにくくないか?」
「……そうかな」
言い淀む豊かに、ルドルフは少し考えてから言葉を続ける。
「まぁ、こっちの気にしすぎか。競馬は悪いことじゃないし、騎手は隠すような職業じゃない。素晴らしい職業だよ。でもさ、競馬ってギャンブルだからマイナスイメージ持つ人もいるわけでさ……一応警戒したわけよ。『お父さんがギャンブル好きなんて! なにかあるかも!』って思われたら良くないし、もしそれでお前がなにか嫌な思いしたら、俺も亜希子ちゃんも嫌だから」
「そ、そうなん、だけどさ……」
「ま、いいじゃねーか何でも! 豊って変な名前じゃないしさ! ほんとにいっぱい勉強して色んな体験して豊かな人間になってほしい的な意味もあるんだぜ! な!?」
「分かってる、分かってるよ、大丈夫だから……」
距離を詰めて必死に弁明するルドルフに苦い笑みを返しながら、豊は思った。
もし自分が将来子に名前をつけて育てるようなことがあれば、由来まできちんと説明できるような名前にしてあげよう……と。
父さんは外国人? 不知火白夜 @bykyks25
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