第31話 豆芝の狙い

 桜木はベンチに座りながら、後半戦を見ていた。

 彼女はなぜ、自分がベンチに下げられたかわからなかった。

 練習試合を通すのなら、選手として挑戦し続ける。

 それが一番力になると考えていたからである。


 だが、それは間違いであると豆芝によって理解させられた。

 後半十分間に彼がチームへもたらした貢献は、絶大だった。


 それは、得点を取ったという事だけでない。

 チーム全体に、考えて動かせるという意識をもたらしたのだ。


「……凄いな、師匠は」


 桜木はポツリと、尊敬の言葉をこぼす。

 たった一人で、チームを変えてしまう存在。

 そんな人から学べていることがどれだけ貴重なのか。

 彼女はベンチに座りながら、改めて理解した。


 そこからの彼女は、一選手として彼のプレーを貪欲にみることにした。

 見て、彼から技術を盗む。そして、自分のものにしようとしたのである。


 それは、豆芝の狙い通りでもあった。

 彼から見て桜木は選手としての能力はある程度育っているとわかっていた。


 しかし、桜木には欠点があった。

 自分の立ち位置と相対する敵の立ち位置、ボールにばかり焦点を当てているのだ。

 それが故に、彼女は前線にいるときはボールウォッチャーとしてチームに貢献できていない時間が生まれてしまう。前線から声を出すのは難しいかもしれないが、あるとないとでは大きな差が生まれるのは明白である。


 そして、指示を出すとしてもちゃんと相手が理解できるように伝える必要がある。「ディフェンスが来てるぞ」、「○○があいているぞ」と主語だけ言っても、ボールを保持する選手が理解できなければ意味がない。


 だからこそ、豆芝が指示を出すときは声だけでなく、体を用いてわかりやすく状況を説明しているのである。

 これは、桜木がグラウンドに出ていたら絶対に気が付かないことだった。


 だが、ここで疑問がわく。

 なぜ、自分に伝えなかったのかという点だ。


 意図を伝えてくれれば他の選手たちも勉強になるはずだと、彼女は考える。

 が、それをしなかった理由は最近の練習メニューで理解できた。


 それは、桜木や相馬といったサッカーができる組と、それ以外の差だ。

 最近体力トレーニングを頑張り始めた選手たちにコーチングをすることは難しい。そもそも、コーチングがあっているのか、間違っているとかはプロでも間違えることがあるほどであり、高難度の内容である。


 初心者に口頭で伝えれば、チームの収拾がつかなくなる。

 それを避けるために、豆芝は自分をベンチにして俯瞰的に状況を分析させることを課したのではないか。

 そのことに気が付くと、豆芝が求めていることを理解できるようになる。


 彼が求めていること。

 それは、相手との駆け引きだけでなく試合全体を見れるようにする力。

 そして、周りの選手たちに動き方の指示を出せる指揮能力だ。

 

 非常に高度で、難解で、とても難しい課題だと桜木は感じた。

 だが、それは――期待されているということの表れでもある。


 ――フィジカルもアジリティも全く足りていない私が、FWとして生き残るには。豆芝さんが示してくれた俯瞰視野を身に着けるしかない。それを行うには試合に出て行動をしなければならない。


 出たい、出たい、試合に出たい!


 桜木の身体がうずうずとうずき始める。どんどんと、やる気が強くなる。

 そんな中だった。ボールがラインを割ると同時に豆芝が手をあげ声を張り上げる。


「選手交代! 俺と南沢に代わって、桜木と森川!」


 豆芝の指示を聞いた二人が出ると同時に、森川と桜木がピッチに入る。

 その際、桜木は豆芝からこのようなことを伝えられた。


「俺なりに、見本は見せた。後はお前なりに昇華して見せろ」

「……わかりました。やってみます、師匠!」


 桜木は期待感を持ちながらグラウンドに入る。

 相手のスローインで試合が再開すると、早々に桜木へボールが渡される。


 ――視野を広く、ひろく、ひろく!


 必死に言葉を連呼しながら、彼女は顔を上げてドリブルする。顔を上げると、味方選手たちがどのような方向に走りたいか、視線の向きがどちらにあるか、敵がどこにいて、誰をマーク、プレスしようとしているかという様々な情報が入る。


 —―あぁ、難しいな。全然うまくいかないや。


 いきなり飽和的に増加した行動手段に頭を悩ませていると、死角から入ってきたタックルによって彼女は転倒する。コロコロ転がることで痛みを抑えたが受け身を少しでも間違えたら大怪我につながった可能性もある。


「頑張って、立ち上がるんだ……師匠みたいに、動くんだ!」


 彼女はディフェンスの最終ラインに合わせながら、周りを確認する。

 目まぐるしく変化する状況の中、桜木はひとつのことを理解する。


「水木さん、もう少し内側に入って!」


 桜木は自分で考えた構想を形にすべく、サイドを捨てる判断を出す。

 当然、相手の左WGはフリーとなり、動きやすさが増す。


「おっ、ラッキー!」


 水越はそれなりに精度の高いサイドチェンジを左サイドへ蹴りこんだ。

 少し走らせるサイドチェンジだが、相手選手の速度からすれば回収は容易だろう。


「なっ……!?」


 しかし、水越の予想は一人の選手によって外された。


 右サイドバックに入っていた長島だ。


「へへっ、回収したぜ! カウンター行くぞ!」


 長島は単独で右サイドを駆け上がる。水越が内側へ入っていることにより、サイドが広々と用いることが出来るようになっていた。


「オラオラオラオラァ!」


 長島が素早い速度でドリブルを行っていく。

 4-2-4の弱点である中央の薄さが攻撃に厚みを増させる。

 数的優位によって、長島はあっという間に相手サイドバックと対峙する形を作る。


 長島が右アウトサイドでボールをはじくと、水木が素早い速度でボールを貰う。

 そのままの勢いでサイドバックを置き去りにした彼女は、内角に侵入していく。


「いかせるかっ!」

「……」


 センターバックが対峙する中、彼女は上半身のフェイントを活かして相手を揺さぶる。抜いてくると相手に思わせたうえで、竜馬にパスを出しセンターバックの前に立つ。これで、相手センターバックは水木を躱す必要があるようになった。


「ナイス、水木ちゃん!」

 

 桜木は潰れ役を見事にこなしながら、うんと頭を縦に振る。

 相手センターバックがパスカットか、シュートブロックか悩んでいると、竜馬がシュートモーションを見せる。

 シュートが放たれると考えたセンターバックが足を出して防ぎに行くが、すぐに罠だと理解する。


「キャプテン!」


 つり出されたことで生み出されたフリー状態の桜木は、ボールを見つめる。

 縫い目が見えるほどに集中状態に入った彼女は、ゴールをぎんと見つめる。

 自分が蹴ったらどのようなコースに入るか、しっかりと頭の中でシュミレートしたうえで――


 右足を一閃した。

 がしゃんという音と共に、口角が上がり、体温が上がった。


「よっ、しゃぁああああああ!!!」


 桜木は喜びを爆発させながら得点に対して喜びを見せる。

 そんな彼女に、選手の数人がハイタッチに向かったり頭をなでに行く。


 だが、すぐに桜木はボールを回収した。


「まだだよ、みんな! 私たちの状態はまだ負けているから!」


 彼女は思っていた。豆芝の奪った得点は、意味がない。

 自分たちで取った点数で試合を考えなければ、本当の価値はないのだ。


 それを聞いたイレブンは、素早く自分の陣地へ戻った。

 相手チームの選手たちが少しうつむき始めている中、


「まだ、まだ、終われねぇよ……!」


 水越だけはふつふつと熱を滾らせていた。

 試合再開の笛が鳴った直後、水越は「ボールをよこせ!」と大声で要求する。

 試合中に声を張り上げることが全くないと認識していた選手たちは驚きながら彼にパスを出す。


「見せてやるよ、俺がエースだって証明をよぉ……!」


 水越は右足でボールを持ちながら、後ろにいる選手たちへ前線へ向かうように指示を出す。当然、油断していると思った桜木はボールを奪いに行くが――


「そんぐらいみえてるんですよ」


 水越は彼女を確認せずに、ターンで抜き去る。

 ツーステップの挙動で抜き去った彼は、ぐんぐん加速する。


 「いかせませんっ!」


 チーム最速の少女、菅原が対峙する。


「あんた、足速いからな。正直面倒くさいぐらいだ」

「まぁ、それだけが取り柄ですから」


 菅原は顔に汗を浮かべながらひへっと笑う。


「だからよ。俺もさっきのを使わせてもらうぜ」


 水越は顔を上げながら菅原の視線を見る。彼女はボールに目が言っており水越より視野に入る情報が少なくなっている。つまり、簡単に抜きされるということだ。


 水越はオーバーラップしてきた味方サイドバックにパスを出すふりして抜き去った。だが、ボールが一瞬だけ前に行きそうになる。


「い、いかせませんっ!」


 それに対し、怯えた表情の志保がプレスに行く。

 水越は少しばかり苦い顔をしながら一瞬だけ無理かと思い諦めそうになる。

 だが、すぐに切り替わった。


 それは、豆芝が見せた圧巻のプレイだ。自らが為せないような異常なセンスを見せられた彼は、ふつふつと熱をいだいていたのである。


「負けてられねぇんだよ、俺はぁ!!」


 水越は強靭な足腰を活かして地面を踏み、バウンドしたボールをアウトサイドではじく。足を出して止めに行っていた志保は反応が遅れ、抜き去られた。


「止めて、みんな!」

「本気の俺が、止められるわけねぇだろうが……!」


 水越はたった一人でサイドを抉りに行く。そこにいるのは、完全初心者の森川だ。


「い、いかせましぇん!」

「はっ、緊張しているじゃねぇか。そんなんで勝てるわけねぇよ」


 水越は平然とした顔で彼女をダブルタッチで抜き去った。


「なっ……! あれだけ走って、まだこれだけのスピードが……!」


 森川が驚いている中、水越はペナルティエリアを見る。

 内側には選手が数人入っており、ニアに入り込もうと選手の姿も見える。

 長身の志満が取れないボールをけるよりも、ニアが確実だ。


 そう考えた水越は右のインサイドでボールを蹴りだそうとする。


「うぉりゃぁぁっ!」


 そこに、一陣の風が通る。

 現れたのは、抜き去ったはずの森川だった。


「はぁっ!?」


 森川の異常な速さに水越が驚いていると、死んだボールに菅原が食いつく。


「相馬さん!」


 菅原は相馬にパスを出し、鋭くサイドを抉る。


「今日はあんま出番なかったから、抉らせてもらうよ!」

「菅原さんっ!」


 相馬はサイドを駆け上がる菅原の前方にパスを出した。ぎりぎり届くほどの距離にあるパスだ。ショートバウンドする可能性があり、難しいボールだが……


「私だって、私だって、練習したんだ!」


 彼女はそう叫びながら、逆足の左できれいに前方へ落とす。サイドバックを完全に置き去った彼女はGKと一対一の状況を生み出した。


「いかせねぇよ!」


 それに対し、後ろから相手選手がファウル覚悟で襲い掛かる。スライディングなどをくらえば怪我をしてしまうのではと思い、一瞬だけスピードが弱まった。


 一瞬生じた気の迷いに、相手選手が詰め寄りボールを刈ろうとしてくる。

 奪われたらまずいと思っていると――


「菅原さんっ!」


 後衛から超素早い速度で上がってきた森川がパスを要求する。


「なっ」

「なにぃ――!?」


 相手選手たちが驚愕する中、菅原はパスを出す。

 森川は下手なドリブルでサイドを抉り、ペナルティエリアに侵入する。


 森川はボールを見つめながら必死にドリブルしていたが、段々と近づくGKの距離に彼女は気が付いていなかった。このままだとボールが奪われてしまうだろう。


 それを理解した桜木は――


「森川さん! 声の聞こえるほうに思い切り蹴っちゃって!」


 桜木から聞いた声に従い、ボールを見ながら蹴る。トゥキックで蹴られたボールはショートバウンドしており、シュートを放つのは難しい。


 ――でも。私があの人に近づくには。私は、殻を破る必要があるっ!


 桜木は逆足でボールに振りかぶる。姿勢を倒しながら、覆いかぶさるようにボールの上側に足を当てる。ショートバウンドに上から圧力が加わったシュートは――


 がら空きのゴールに吸い込まれていくのだった。

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