私は彼女とキスをする
小日向葵
私は彼女とキスをする
「あたしさー」
それは学校帰りに寄ったカラオケボックスの、薄暗い個室での出来事だったから、その顔がどこまで本気なのかは判らなかった。
学校指定のブレザーを、脱いで畳んで鞄の上に置きながら、菜々美は言った。
「恵理のことが好きなんだ」
「へ?」
データ端末を持ったまま、私は固まってしまう。
菜々美とはよくこうやって二人で遊びに行く。ショッピングもカラオケも、話題のスイーツを食べに隣町に行ったこともある。無二の大親友だと思っている。
「だからね。あたし、恵理のことが好きなの」
「ちょっ、ちょっと待って」
次の曲を入れていないカラオケは、勝手に最近歌われた曲のランキング発表を始めた。画面の明滅が照明代わりに、ちかちかと菜々美の顔を色々な色で照らす。
菜々美は赤いネクタイを左手で緩めながら、私ににじり寄る。
「それはなに?冗談?」
「本気」
「えっ?えっ?でもほら、菜々美こないだ委員会の先輩に告られたって」
「断ったよ」
「えええ」
確か菜々美に言い寄った先輩は、成績優秀スポーツそれなり、ルックスも悪くなくフリーでいるのが謎なくらいの好人物だったはず。
画面の照り返しで見る菜々美の顔は艶めかしくて、私の右手はついブレザーの袖のボタンをまさぐってしまう。落ち着かない。
「それでね、先輩に告られて判ったんだ。あたしが本当に好きなのは恵理だって」
「あ、あー、その、うーんと」
「やっぱ変かな」
ぽつりと菜々美は言って、にじり寄るのをやめた。
「女同士じゃ、やっぱ駄目かな」
「駄目っいうか、なんていうか。友達としては好きだけど」
「友達じゃ嫌だ」
「ううう」
菜々美の声は、とても冗談を言っているようには聞こえない。ここまで深刻そうな声は、初めて聞いたかも知れないくらい。
「でもさ、つまりあれでしょ?菜々美の言う好きってその、恋人としての好きだから、その、抱き合ったりとか、キ、キ、キ」
「キスしたい」
「やっぱり」
私はデータ端末をテーブルに戻して、コーラの入ったグラスを手に取る。ストローを吸うと、溶けた氷で味の薄いコーラが口に昇って来た。
「やっぱ変だよね」
落胆したように菜々美は言う。
「睦美姉ちゃんに相談したけど、大爆笑されたし」
「相談、したんだ」
睦美さんは今大学生の、菜々美のお姉さん。仲良し姉妹だとは知っていたけど、相談したか……
「でもあたし本気なんだ。恵理の子供産みたい」
「いや無理だって」
「気合いでなんとかならないかな」
「いやー、気合いとか根性でどうにかなる問題じゃないと思うよ」
「ほんとはさ」
菜々美は横を向いた。
「ほんとはずっと黙ってようかと思った。恵理の隣にいられたら、それでいいと思ってた。でも先輩に告られてから、ひょっとして恵理もいつかこうやって、誰かに連れられて行っちゃうんじゃないかって。あたしの前からいなくなっちゃう日が来るんじゃないかって。そう考えたらあたし、もう我慢できなくて」
「菜々美……」
「ごめんね、こんな話して。気持ち悪いよね。ただの友達だと思ってたのに、こんな話」
「ううん」
私は必死に言葉を探す。
「気持ち悪いなんて思わないよ。好きになってくれてありがとう、嬉しいよ」
「うん……」
「でも菜々美、私のどこがいいの?勉強も運動も得意じゃないし、ぼんやりしてるって家族には言われてるし、でっぱりもへこみもないし」
「そこがいいんです」
菜々美が正座した!
「恵理を見てると、とても落ち着くんだ。自分が自分でいられるっていうか、優しい気持ちになれるんだよ。小さくって柔らかくっていい匂いがする。声が好き。笑顔が好き。なにもかも、泣きたくなるくらいに好き」
「ありがとう」
私はそんな菜々美を背中から抱き締める。
「でも私、まだ恋とか愛とかよく判らないの。だから、菜々美のそういう気持ちには、まだ答えられそうにないかな」
「うん……」
「でもね、友達として菜々美とはずっと一緒にいたいと思う。頑張って勉強して、同じ高校に入れてとても嬉しかったもの」
「うん」
「だから、今まで通り仲良くしてね。私がドジやっても怒らないでね」
「うん、怒らない」
菜々美の様子が落ち着いてきたので、私は内心ほっとした。
「じゃあさ恵理、ひとつだけお願いしていい?」
「なあに?」
菜々美は正座したままこちらに向き直った。その瞳には大粒の涙が溢れていて、今にもその感情が決壊しそうにも見えた。
「……一度だけでいい、キスしたいよ」
「えっ」
「一度だけ!……一度だけで。それで、もう諦めるから」
「……諦めちゃうの?」
私は口にしてから、自分が何を言い出すんだと驚いた。菜々美もびっくりしている。その驚く顔を見て、ああ、私の好きにもきっと、菜々美の好きに近い部分があるのかも知れないな、と思った。
「諦めちゃって、いいの?」
「……諦めたく」
菜々美が言い終わる前に、私は菜々美にキスをした。ごく軽く、本当に軽く。蝶が花に止まるように。そよ風が頬を撫でるように。
菜々美は泣くことも忘れたように、涙を浮かべた目をまん丸くしていた。私は、そんな菜々美に精一杯の笑顔を向けた。
家に帰ってから、お風呂の中で唇をさすりながら……私はとんでもないことをしたのではないだろうか、と思った。
明日、学校で顔合わせられるかな。ちゃんと話できるかな。気まずくならないかな。
でもあんな菜々美の顔を見たらなぁ。仕方ないよねぇ。
勢いって怖い。そう思った。、
私は彼女とキスをする 小日向葵 @tsubasa-485
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