サイトウ

「このピンクの部分を押すんだよ!」

2019年、夏。

静岡の片田舎、車窓から外を見る。首都圏の通勤電車よりも遅い速度で流れる景色は、樹海ともうすでに見飽きた大井川に低山ばかりだった。古臭い甲高いエンジン音と、やけに揺れる車内。カーキ色の床に、褪せた色の車内を見渡すといかにも田舎の電車という感じだ。

肘を金属の淵に置いて景色を見るのも飽きた頃。電車はブレーキを掛けた。


一歩電車の外に踏み出すと、真夏の熱気が俺を襲った。アスファルトの地面から跳ね返る熱。照りつける太陽から来る熱。すべてが自分の身体に集まってる様だった。

あんなおんぼろ電車でも冷房は効いていたんだなあと感心していると、電車はもう過ぎ去っていた。ふと目をやると、白いペンキがはげかけている柱には縦書きで‘‘朱崎しゅさき‘‘と書いてある。一瞥してから改札に向かって歩く。駅舎は木造と漆喰の、いかにも昭和といった感じで、駅員室はあるが本当に中に駅員がいるかどうかはわからない。ほぼ無人駅といった風貌だ。

意外にも改札はsuicaに対応しているようで、そこだけ切り取ってタイムスリップしたみたいだった。

軽快な電子音と共に改札を抜けると、開けた駅前ロータリーに出た。ロータリーには一台のタクシー、数台しか車が止まっていない砂利の駐車場。見るからに老舗で、シャッターがおろされてる謎の売店。帰省する人を待っているであろう老夫婦がいた。他にも遠くには山々が連なって見える。

まずは、このリュックに入っている着替えやらなんやらを祖母の家に置いてから行動しよう。重くて仕方がない。

祖母の家は確か、駄菓子屋を経営していた気がする。詳しく調べたわけじゃないけれど、資産運用の一環で駄菓子屋はかなり良いらしい。子供の頃に…たしかよく駄菓子を食べさせてもらったことがあった気がする。

祖母の家への道はボロボロになっていた。軽トラが通ったのがわかるようにひび割れていて、アスファルトの黒い質感は完全に褪せていた。なんだか悲しい。

脇にはイネ科の雑草が生えてて、歩くと膝の近くにチクチク刺さる。不快だ。

でも、不快なのは、本当に草が触るからだろうか、それよりも昔の頃の思い出と違うからか。

不思議だった。記憶の中と形が同じ線路脇の道を歩くのは、顔と名前が一致しないような、喉まできた言葉が引っかかっているような気持ち悪さだった。

日差しが降り注ぐ中、一歩一歩地面を踏みしめ、坂の片面をレンガもどきが補強している道に出た。

記憶が正しければもうすぐだ。

坂道を登り終えて、道の脇を見ると寂れたガードレールと黄緑色に輝く木の葉が印象的で、歩き続け数軒の民家を過ぎた後、やっと視界の端にそれを捉えた。懐かしさを感じる暗い程々な赤色のオーニングに、木造の民家の一階を改造した店部分が薄っすら見える。中の広告が薄い青色の年季を感じる自販機。二階の木彫りの看板には”だがしや”と書いてある。

もう少し近づいてみると、入口が見えてきた。スナック菓子が垂れていて、他にも飴とラムネ菓子を混ぜたみたいなお菓子の袋が繋がってぶら下がっていた。入口近くのアイス用冷蔵庫もそのままだ。中にはチューペットが入っている。

少し寄っていこう。そんな思いで、二階に続く階段ではなく、駄菓子屋の中に入っていく。駄菓子のカーテンを手で押しのけて、先を覗くとそこには、少女が立っていた。

黒髪のちょっとぼさぼさな短いミディアムヘアーで、顔立ちは横から見てかなり中性的だ。服は…

「あれ、見ない顔だね」

低い声だけれど、どこか少女性がある声だ。

こっちに気が付いたようだった。半袖のワイシャツに黒いショートパンツを履いている。華奢な体格だ。

振り向いて真正面から顔を見ると、とても…かわいい。顔立ち的に同年代だろうか?

「あ、はい。東京のほうから来ました」

「へー」

「えっと…地元の方なんですか?」

「あ~…」

彼女は人差し指を口元に当てて、少し考えているように見えた。

「半分そうかな?部分的にそうかも」

頭の中で疑問符が浮かんだ。少し考えたが、ちっともわからない。

困惑した様子を見かねて彼女が俺の顔を見つめてくる。

彼女の顔をまじまじと見ると、少し青みがかった綺麗な瞳と、愛嬌のある顔立ちが際立った。

「えっとね〜…毎年夏とかにここに帰ってくるけど、別に地元ってじゃないかな。暮らしてるのは東京だし」

「なるほど、すいません」

「いやいや、僕もわかりづらい言い方してごめん」

彼女は軽く頭を掻いて、微笑みながら謝罪してきた。その微笑みにすこしキュンとした。

そんなタイミングで、店員専用とテプラが貼ってある扉から、祖母が出てきた。祖母は子供の頃から全く変わっていない。

「あら、タカヒロ。もう来てたの」

黒髪の彼女が祖母に顔を向ける。

「あれ、佐藤さんの知り合いなんですか?」

「えぇそうよ、知り合いというか身内なんだけど」

「悪いやつではないし、仲良くして頂戴ね」

「ばあちゃん、その人は?」

「四条ちゃんよ、いい子だから仲良くね。毎年来てくれるからあなたより孫っぽいのよ~」

「そういうの本人の前で言うの良くないよばあちゃん」

ちょっとイラつく。

この自分の性格も遺伝なのかもしれない。

「じゃあ…よろしくね。佐藤さんと混ざるから、タカヒロ…くん?」

「よ、よろしくお願いします。孝弘と言います」

「よろしくね〜、僕の名前は四条、そら。こっちも下の名前で呼ぶし空でいいよ」

空は、甘く微笑んだ。


早速この土地の洗礼を受けてから、一区切りついたところで、ここまで歩いて少しのどが渇いてきた。

「ばあちゃんラムネ取ってー」

昔からラムネが好物で、よく飲んでいた。

駄菓子と別に隅に佇んでるドリンク用の冷蔵庫を指さした。

「いいけど、ちゃんとお金払ってね」

「いいじゃん、せっかく帰ってきた孫を気遣ってよー」

「年金ぐらしも余裕ないのよ。はいどうぞ」

冷蔵庫の扉を開けて、ラムネの瓶を二本持って来た。

「二本?」

そう聞くと同時に、祖母は空に一本手渡した。

「タカヒロの奢りだから遠慮なく飲んでね」

「え?酷くない?」

「なにいってるのよ、せっかくできた人間関係。それこそ気遣いでしょうよ」

祖母はニコニコしている。

「じゃあ…お言葉に甘えて…」

なんなら空もちゃっかり受け取っている。

と、ラムネを受け取りにトボトボ近づく。

「何円?」

「二本で360円ね」

「高っ!」

祖母はニヤニヤしながら、俺が財布から取り出した小銭を受け取った。

なんだかんだありながらも、やっと喉の渇きを潤せる。

そんな、視界の端。ラムネ瓶を見つめたまま無言で立っている空が見えた。

電撃が走った。やはり、関係というのは第一印象が大事だ。つまりここで格好良くラムネ瓶の開け方を教えてあげれば、頼れる人というイメージがつくかもしれない!

「ラムネ瓶はね」

空は俺の声を聞いて、キョトンとしてこちらを向いた。

「このピンクの部分を押すんだよ!」

とラムネ瓶のプラスチックの部分を手のひらで押す。

ピションという音とともに押し出されたビー玉が泡に包まれて落下する。

あぁ…決まった。そう思ったその瞬間。


爆発するような祖母の笑い声が聞こえた。

視界をラムネ瓶から二人に移すと、2人ともうずくまっていた…爆笑で。

空が、鈴を転がす様に笑いながら、語りかけてくる。

「僕…感謝の言葉考えてただけだよ…?」

血が頭の中から下っていく。耳が少し膨らむ感じがする。ああ…めちゃくちゃ恥ずかしい。

「タカヒロ…あんた最高だね、自慢の孫なだけあるわぁ」

かすれるような声で祖母が話す。笑いすぎて近くの陳列棚に腕を置いて重心を取っている。

「四条ちゃん、たしかにわるいやつではないの、でも…」

祖母はまた俺の顔をみて、そこで堪えられず噴き出して喋れていなかった。

恥ずかしすぎて死にそうだ。いますぐ消えてしまいたい…。

「すみません…忘れててください…」

空も俺の顔を見て、一瞬見たら俯いて小さく笑っている。

手に持っているラムネ瓶に結露で出来た水滴で覆われていて、炭酸の音をパチパチと小さく発していた。

二人が笑い終えた頃。恥ずかしさを隠すために、陰鬱な雰囲気のままラムネを見つめていると、空が話しかけてきた。

「タカヒロ君めちゃくちゃ面白いね、しばらくここにいるの?」

「はい…いや、夏休みの間は大体この地域にいる予定ですけど…」

自分で言っててすこし辛くなった。

「ほんと?じゃあ僕とライン交換してよ〜」

「あ…全然いいっすよ…」

項垂れながらスマホを取り出す。普段なら可愛い女の子とラインを交換出来るなんて、と喜ぶだろうがあまりそんな気持ちにはなれなかった…

「どうぞ」

とQRコードが表示されたスマホを読み取りやすいように見せる。

「ありがと~」

空もポケットからスマホを取り出す。液晶が不安になるくらい割れていた。怪我とかしないのだろうか?

彼女のアイコンは三毛猫の写真で、背景は綺麗な海のイラストだった。

「じゃあ僕は家に帰るから。またね」

駄菓子屋の出口を歩きながら手を振ってくる。振り返して彼女を見送った。

「じゃあまた」

空が外に出て視界から見えなくなると、どっと疲れたような気がした。

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