1-11_【日常】フェイ、帰る

カルミア歴1238年 春


フェイ・クーシラン(19)



「長らくお世話になりました。ありがとうございました」


 結局、フェイは五日間もミュセナ家に滞在した。思った以上に長期の滞在になってしまったことに恐縮し、また感謝も込めて彼は頭を下げた。


 ―― 帰ったら爺ちゃんにも礼を言わないとな。


 フェイは机に齧りついて文字ばかり追っていたかつての自分を反省し、新たな経験を得るきっかけを与えてくれた祖父に感謝していた。


「いえいえ、私どもも楽しかったですよ。 また遠慮なさらず訪ねて来てください」


「また来てね、先生!」


「また遊ぼうね!」


 見送りにジキラントとキリアナも来ていた。元気に挨拶するミケリアとジキラントの後ろでキリアナも控えめに「ばいばい、先生」と別れの挨拶をしていた。


「ありがとうございました。また、おじゃまします!」


 改めて礼を述べ、フェイは帰路についた。



 十数日の旅程を終え、自宅のある都市レイジンにフェイは帰ってきた。

 レイジンは国内有数の貿易港のある都市であり交通の要所でもある。元々はブジラ民族という海の民が築き上げた都市国家であったのだが、聖王カナリアスの父王によって征服されてからはアストランディアの一都市として繁栄していた。


 町の中心部分は高い石の壁によって囲まれている。かつてこの都市が一つの国であった頃の名残である。この壁の内側が都市国家レイジンであった。


 都市国家から一都市に変わって以降、アストランディアの繁栄に比例して増え続けた人口は壁の内側に収まりきらなくなり、徐々に壁の外にも民家や商店が立ち並ぶようになる。

 民族も元々の住人であるブジラ人の他、支配民族のカルミア人や大昔に奴隷として連れて来られたサルタン人やマナラン人、西に隣接するシログリア地方からやって来たシログ人、北に隣接する地方から畜産物を売りに来るハシド人。雑多で活気のある都市である。


 フェイの自宅は市壁の内側にある。市壁の門は門番も居らず、門も開きっぱなしである。行き来も自由で、壁の内外でそれほど経済的に大きな格差があるわけではない。しかしやはり主要な機能は都市の中心にあるため、多少は裕福な者が内側に住む傾向はあった。


 自宅のある壁の内側に入る前に、フェイは外側にある一軒の食事処に寄る。


 ―― 昼食時だし、たぶん居るよな…?


「こんにちは」


「お、らっしゃい!」


 店の大将の威勢のいい声を聞き、店内を見渡したフェイは一番奥の席に、毛量の多いボサボサ髪に筋肉質の厳つい男を見つけ、「あ、いたいた」と近づいて行く。


「お久しぶりです、イーガフさん」


 イーガフと呼ばれた男は食べ終わった皿を前に、盃を傾けて昼間っから飲んでいた。イーガフの対面にフェイは腰を掛ける。


「おぉ、フェイ!旅に出てたらしいな」


「えぇ、オレンナという町までちょっと… イーガフさん。昼間っから飲んでるんですか? ってことは、何か良いことでもあったんですか?」


「おぉ!聞いてくれよ、フェイ! 良い役者を見つけたんだよ!新人なんだけどな、アレクシス・トロンってやつだ。あいつぁ良いぞ!華がある!」


 イーガフという男は小さな劇団に所属する貧乏な劇作家である。フェイとは、イーガフが時代劇を手掛けようとした際にフェイの祖父ゼドに歴史考証を直談判しに来た時からの知り合いであった。

 駆け出しの無名の作家が高名な学者に何の約束も伝手も無く、いきなり自宅に突撃してきたことにゼドは笑い、依頼を引き受けて歴史考証をおもに孫のフェイに任せたのだった。以来、二人は良い友人関係を続けている。


「それは良かったです。 でも随分飲んでるようですけど、お金と胃のほうは大丈夫です?」


 自身も劇団も金欠であるため、常に資金繰りに苦労しているイーガフはいつもストレスで胃を悪くしていた。そんな金欠イーガフに、演劇好きのこの店の大将はいつもタダで昼食を食べさせている。しかし流石に酒代は別である。

 イーガフには何か良いことがあると、こうして一人、普段は飲まない酒を飲む習慣があったのだ。


「大丈夫、大丈夫。 祝い酒だよ。俺と、未来の名優アレクシスにカンパーイ!」


「はは… まぁほどほどに… これ、お土産です。シログリア産の良い薬草で作られた胃薬です」


「お、ありがとう!助かるよ」


 バッグから薬を取り出すとイーガフに手渡す。


「じゃあ、僕はこれで」


「おう!またな、フェイ。 今度旅の話聞かせてくれよ、参考にするから」


 立ち上がりながら「えぇ、勿論」と返事をし、フェイは店を後にした。


 大通りを出て、門をくぐって壁の内側に入り、暫く歩いて懐かしい我が家に着いたフェイは玄関に手を掛けて「ただいま」と扉を開けて家に入った。すると「おかえり、フェイ」と奥の部屋の扉が開き、廊下に女性が顔を出した。


「ただいま、ベルティア。 ありがとう、留守中に爺ちゃんの相手してくれて」


「いいのよ、お茶飲んで世間話してるだけだし。お爺様の話おもしろいしね」


 留守の間、祖父の様子を気遣ってくれていた恋人のベルティアに、フェイは少し屈んで軽く口づけをする。


「えっと…ベルティアにお土産が…」


 と、バッグを降ろして開けようとするフェイにベルティアは「ありがとう、でもまずはお爺様に元気な顔を見せてあげたら?」と勧めた。

 ははは…と、ちょっと照れながら笑ったフェイは「そうだね」と言って祖父の部屋の前まで来、扉をノックして声を掛ける。


「ただいま、爺ちゃん。 入っていい?」


「おぉ、おかえりフェイ。 入ってくれ」


 扉を開けるとゼドは椅子に腰かけたまま、にこやかな表情でフェイに笑いかけた。


「ヴィランは元気だったか?」


「うん、元気だったよ。 ヴィランさんも爺ちゃんのこと気にしてたよ」


「そうかそうか、元気だったのなら何よりだ。 それで、旅はどうだった?良い旅になったかな?」


「うん、色々なものを見せて貰って、考えさせられる旅だったよ。楽しかった。 ありがとう」


 そう言ってフェイは祖父から貰った旅費の入った革袋を取り出した。割と節約しての旅だったので、まだ半分以上は残っていた。

 残ったお金を返そうと革袋を手にしたフェイに、ゼドは手を挙げて制止する。それを見てフェイは、ふと思ったことを口にした。


「ねぇ、爺ちゃん。またヴィランさんに手紙書くでしょ? 今度も僕が届けるよ」


 と、革袋をちょっと上げて言うと、ゼドはそれでいいと言うかのように微笑んで頷き。


「では、また頼むとしよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る