異世界盗作、何を得た?
@negimasuki
1.異世界へ行って落胆することだってある
課題のレポートを終わらせるため、
今から3年ほど前、高校生だったタクヤはとある漫画賞で賞を受け、雑誌にも掲載された。
受賞後タクヤは、何度もネームを描いては鏑木にダメ出しを受けた。まだ地方に住んでいたタクヤに、それはメールで送られてきた。最初は量の多さに困惑し、そして内容の厳しさに苦悩し、タクヤの漫画への熱意は摘み取られていった。
そもそも受賞の理由は、物語の面白さというよりは画力を評価されてのものだった。鏑木から原作者と組んでの連載を持ちかけられたこともあったが、タクヤは
そんな漠然とした思想の行き着いた先が今だ。鏑木との連絡もいつしか途絶え、進学したタクヤは、普通の大学生となんら変わりないキャンパスライフを送っていた。まだ残っていたはずの漫画への衝動は、新しい生活によって塗りこめられてしまっていた。
「ふぅ。思ったよりかかったなぁ」
タクヤは書き終えたレポートのファイルを保存した。スマホの時計は22時を少し回った時刻を示していた。
「風呂どうしようかなぁ」
タクヤは大きく伸びをした。
その時だった。カタカタっと物音がした。
「なんだ?」
腕を降ろして立ち上がろうとすると、地面がはっきりと揺れだした。
「うわっ」
タクヤはよろめきながら机にしがみついた。揺れは徐々に大きくなったが次第に収まっていった。その間数十秒だったが、タクヤにはもっと長く感じられた。
「地震か・・・結構大きかったな」
倒れたものなどないか部屋の中を見回したが、殺風景なワンルームにはそもそも動きそうなものがあまりなかった。少し時間が経つと落ち着きを取り戻し、タクヤはドアの外の廊下にあるキッチンを見に行こうとした。
すると、バタンっ!と大きな音がした。クローゼットの中からだ。タクヤは神経が波立つのを感じた。しかし怖ろしさはすぐに引き、心配が押し寄せてきた。
今の地震でどこか壊れたのだろうか。傷でもついていたら自分のせいになるのか?などと考えながら、クローゼットの折戸を中央から両脇に押し開けた。
中が上下2段になっていて奥行きが深いのは、押し入れを転用したからだ。タクヤの借りたアパートは木造のリノベーション物件だった。部屋や外装は洋風で新築のようだったが、こんなところにその名残があった。
ハンガーパイプが渡された上段はなんともなかったが、下段を覗くと音の原因がすぐにわかった。
左隅で、奥行より少し小さな正方形の板が、床に倒れていた。下段には冬用の布団を買って入れる予定で、物は何も置かれていなかった。タクヤは以前に下段の中を覗いたことがあったか、思い出そうとしたができなかった。内見のときに見ていればこの部屋を選んでいなかったかもしれないと、少し後悔した。
タクヤは慎重に板を持ち上げて中棚の上に移動させた。板の倒れていた床に傷はついておらず、ひとまず安心した。
しかし、問題は板が塞いでいたものの方だった。そこには板とほぼ同じ大きさの横穴が口を開けていた。膝をついてクローゼットに潜り込み中を覗いてみたが、奥に何があるのか窺い知れないほど穴は続いているようだった。
それはあり得ない状況だった。壁の向こうは洗面台のはずだ。それでなくても、優に住んでいるアパートを突き抜けてしまっているだろう。
タクヤは穴の中へ進んでみることにした。そんな判断をしたことに、自分でも少し驚いた。もしこんな展開のネームを描いたら、鏑木から主人公の行動の動機がどうのこうのと強烈な指摘が入るだろう。しかし今この穴が、普通からの逸脱を求める者への誘惑としてはあまりに強烈なものだと、タクヤには感じられていた。
右手がクローゼットの床を離れ、穴の中の地面に触れる。思わぬ冷たさにタクヤは手を引いた。手が濡れたではと思い、左手首に右の手のひらを擦りつけてみたが、そんなことはなかった。落ち着いてもう一度と、改めて前に進む態勢を取ったタクヤだったが、おもむろに後ずさりしてクローゼットを抜け出した。
タクヤは玄関横のシューズボックスから、スニーカーを取り出した。最近、新しい靴を買うまでよく履いていたものだ。それを持ってクローゼットの前に戻ると、腰を下ろして履いた。足をつかないようにしながらの動作に手間取ったが、何とかスニーカーに足を収めた。そして手を着きながら四つん這いの態勢になると、穴の中へ入って行った。
穴の中を進んでいると、ふと電気がないにも関わらず自分の手の様子がよく見えることに気付いた。そんな不思議さは、タクヤに恐怖を感じさせるより気分の高揚を生んだ。きっと靴を履いてきたことも正解だろうなどと考えていると、急に前方が白んだ気がした。そうかと思うと、あっという間にタクヤの目の前は光で満たされた。
「っんぁ」
声にならない音を出して、タクヤは顔を背けて目を瞑った。しかし顔の向きに関係なく光は、タクヤの瞼の向こう側にあるようだった。
しばらく目を閉じていると、やがて光が失われていくのが感じられた。明るさの変化が感じられなくなったとき、タクヤは目を開けた。前方に縦長の灰色がかった空間が見える程度で、それ以外は目を閉じる前と同じだった。ひょっとしたらどこかの俳優の頭の中に入ってしまったのかしら、などという呑気な夢想は、さすがに外れたようだった。
タクヤが前へ這っていくとほどなくして、扉があり、それが少し開いていることが分かった。扉を押すと小さく軋みながら開いた。そこは薄暗いながらも、周囲の様子が知れるくらいには明るかった。
ところどころ朽ちた床に、積もる砂利交じりのほこりと机の脚が見えた。タクヤは頭上を気にしながら部屋の中まで進み出て立ち上がり、手と膝に付いた汚れをはたき落とした。
こぢんまりした部屋は、それだけでひとつの小屋だった。ドアは外とを隔てるものしかなく、薄暗いのは窓から日差しがまったく入らないからだった。ベッドや机が部屋の大部分を閉め、振り返ってみると暖炉があった。奥に扉があり、そこへタクヤの部屋のクローゼットから繋がっていたというわけだ。
小屋の狭さもあり、机やベッドと暖炉との距離はやけに近かった。灰などが落ちていなかったので、そもそも暖炉として使われていなかったのかもしれないとタクヤは思った。
外へ出ると、すぐ左手には大きな壁が見えた。これが日当たりの悪さの原因だった。壁は家々を囲い込むように続いていた。どうやら都市の内側にいるようだと分かった。
タクヤは壁に背を向けて進んだ。住宅街と思しき地区の、くねくねと落ち着かない道を行く。すると、唐突に賑やかさと出会った。開けた通りの左右には露店が立ち並び、その間を多くの人が行き交っていた。
道行く人々は多くがくすんだ色のチュニックを着ていたが、中には鎧を着て剣を下げた者や、ローブを身にまとい杖をつく者もいた。それはタクヤのイメージする戦士や魔法使いの衣装そのものだった。ひょっとしてここはファンタジーの世界、異世界ってやつか?タクヤの胸は高鳴った。
早合点してはいけないと冷静さを取り戻そうとしながらも、そもそもここへ来た穴自体が不思議なものだったではないかと、考えるほどに、尋常ならざる世界であることへの確信は揺るぎないものとなっていった。
とにかく街を見て回ろう。
タクヤはそうと決めて、通りの中へ入って行った。
どれくらい歩き回っただろうか。タクヤは疲労と落胆を抱えて、近くの階段に歩み寄り
ここが現実とは異なる世界であることは間違いなさそうだった。
酒場を覗いてみると、冒険者のパーティと思しきいくつかのグループが、まだ陽の高いうちから酒を飲み賑やかにしていた。街の東側にはギルドのような建物もあった。冒険者たちが仕事の依頼が貼られているボードを見ている様子はゲームキャラのようだったが、入り口からこそこそ隠れ見る視線に気付いた男が睨んできたので、タクヤは慌ててその場を離れた。
異世界と言えば剣と魔法の世界。特に魔法を見てみたいところだったが、あいにくその機会は訪れなかった。街行く魔法使いらしき人を捕まえて魔法を使ってみてくれと言うわけにもいかず、遠巻きに眺めながらウロウロするのが関の山だった。
他にも市場や路地裏を覗いてもみたが、どこへ行っても財布を忘れて海外旅行へ来たようなもので、消化不良な心持ちと大きな疲労だけがあとに残った。
・・・自分には縁のないところだなぁ。
往来する人々を見ながら、タクヤはそんなことを考えていた。街の外にはモンスターがいたりするのだろうか。もしモンスターと出くわしたら自分はどうなるだろうか。きっとあっさりやられてしまうだろう。自分のような取り柄のない人間にできることは、何もないように思えた。
「・・・帰るか」
休憩して体の重さが少し取れたタクヤは、壁を頼りに立ち上がった。そしてふと、今まで座っていた階段の上が気になった。振り返って見てみると、100段以上はあるだろうか、高台の上まで壁沿いに続いている。
せっかくだからと、タクヤは上ってみることにした。何か面白いものがあるかもしれない。なかったとしても、あの高さから見下ろす街は壮観なはずだ。疲れてはいるが、この不思議な旅の終わりにはちょうどいい。
タクヤは時折、壁に手をつきながらも階段を上り切った。そこに見えたのは、荘厳な趣のある大きな建物だった。
「聖堂か何かかな?」
小さな広場を挟んだ向こうにあるその建物には、タクヤが見ている間にも人の出入りがあった。中へ入った途端に御用になることはなさそうだと、タクヤは広場を横切って建物の入り口をくぐった。
そこは図書館のようだった。数十は居るだろう人々が、壁に配置された棚の本を眺め、手に取ってページをめくり、あるいは机に着いて読んでいた。
本はさほど多くはなかった。広い建物の中のほとんどは、ひとりがけの席で埋め尽くされていた。外から見ると3、4階建てと思われたが、中に入ってすぐ高い天井を見上げることができた。
タクヤは周囲の様子を見回しながら、手近な本棚に近づいてみた。入り口の脇に設置されたカウンター越しに、司書と思しき女の人がこちらを気にしていたが、不審がっているわけではなさそうだった。
本棚に居並ぶ背表紙を眺めてみると、剣術の指南書のようなものばかりだった。タクヤは興味のない棚から離れて別の棚へと移ろうとした。
そこでハタと立ち止まった。文字が読めている。もう一度、本に目を戻してみた。やはり背表紙に書かれているタイトルがどれも理解できる。一見するとグニャグニャの記号に見えるものが、意味を持って頭の中に入ってくるのは不思議な感覚だったが、やっと異世界らしい体験ができたと心が躍った。
しかし図書館という場所柄、あまり喜びを表に出すわけにもいかない。顔の二ヤつきを抑え込んで、タクヤは隣の棚を見た。そこには魔法に関する書物が並んでいた。
ようやく静まりかけた気分がまた高揚する。タクヤは魔法が使えるかもしれないと、入門書らしき本を手に取ってみた。が、すぐに落胆した。読めない部分があったからだ。書いてあるグニャグニャの記号そのままにしか見えない場所がいくつもあり、意味を読み取ることができなかった。それは別の本を開いてみても同じだった。
ガッカリしながらもタクヤは他の棚を見て回った。数学や薬学など専門書が多かったが、建物の奥には物語の本が収められた棚もあった。タクヤは何の気なしに1冊の本を手に取ってみた。
英雄譚のようだったが、やはりこちらにも意味の分からない部分がある。それでもその本を持って、近くの席に座ることにした。異世界らしさに触れて忘れていた疲労が、再び押し寄せてきていたからだ。
何もなく休憩しているよりは、せめて本を読んでいるふりをしていれば周りに変な印象を与えることもないだろうと、手近なものを取ったまでだった。ところがページを開いて読み始めてみると、タクヤは一気に本の世界に引き込まれた。
意味を解せない部分というのは、この本においては固有名詞だけのようだった。名前の分からない英雄が、名前の分からない場所で、名前の分からない敵と戦うわけだが、それでも現実に起こったことのように描かれるファンタジー世界の描写は生々しい迫力があり、緊迫した駆け引きや激しい戦闘が目に浮かぶようだった。
「申し訳ありません。閉館の時刻です」
そう声をかけられ、本にかじりつくように読んでいたタクヤは、驚いて顔をあげた。そこにはカウンターの中にいた司書さんの顔があった。司書さんもタクヤの唐突な動きに目を丸くしていた。そんな相手の顔をしばらくぼんやりと見、そして周囲を見回すと、館内にはもう誰もいなかった。
「すいません。つい夢中になってしまって」
タクヤは気恥ずかしくなり、慌てて本を閉じた。
「いえ、大丈夫ですよ。本はこちらで戻しておきますので」
「あ、ありがとうございます」
司書さんが手を差し出すので、タクヤは本を渡した。それを受け取った司書さんは、胸の前に両手で抱えて本棚へ戻しに行った。なんとなくこのまま帰っていいものかと逡巡したタクヤだったが、司書さんが本を戻しながらこちらをちらりと見たので、それを合図に軽く会釈をして足早に図書館を出た。
外へ出ると、陽は傾き、鮮やかな薄オレンジの光が街を包んでいた。タクヤは図書館に入る前に見忘れていた、階段上からの街の景色に臨んだ。異世界らしいことはほとんど体験できなかったが、小さな冒険としては楽しかったなと一日の終わりに思った。
いや待て。一日が終わる?
その時タクヤの全身を怖気が走った。元いた世界はどうなっているんだ?戻ってみたら数分しか経っていませんでした、なんて可能性もなくはない。が、そうである保証はどこにもない。異世界の時間の流れが遅く、向こうでは数十年も経っていたという展開もあり得る。
タクヤは今さら急いだところで仕方がないと分かりつつも、階段を駆け下り、もと来た道を辿って小屋まで戻った。そして暖炉の扉を開け、膝をついてその中に入る。扉は背中を丸めて体をよじり、なんとか閉めることができた。
穴の中を進みながら、戻れなかったらどうしようかと不安を感じるまでもなく、来た時と同じように強い光が押し寄せてきた。タクヤは目を閉じた。そして瞼越しに光の弱まりを感じるとすぐに目を開いて、クローゼットの中を通って部屋まで這い出た。
靴を履いていたので膝立ちで机まで近づき、置かれたスマホを手に取った。その時計は6時近くを示していた。時間の進み方は似たようなものかとタクヤは安堵し、靴を脱いで手に持ち立ち上がった。
6時か・・・タクヤは思った。カーテンを引いた窓の外はまだ暗いが、すぐに明るくなってくるだろう。このまま徹夜で大学に行った方がいいか?提出するレポートの用意は?とりあえずシャワーを浴びるか・・・
だめだ、うまく考えられない。とりあえず少しだけ寝よう。タクヤは靴をゴミ箱の上に置いた。そしてベッドに倒れこむと、気を失うように眠った。
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