時の記念日に寄せて

夢美瑠瑠

第1話

※今日のアメブロへの投稿の再掲です。



 three dimenson 、3Dというのは現実世界の空間的な、タテとヨコと奥行き、その三つでできている”三次元”構造を言って、3Dダンジョン というのは、ロープレとかでおなじみ。


 よく、「四次元の世界」とか言う場合は、これプラス「時間」というパラメターを1次元の要素として加えるわけですね?


 SFには、タイムトラベラーというタイプの超能力者がいて、時間旅行者のことです。


 ボクはSFでも生半可ですが、ウェルズという作家の、古典的なタイムマシンの話が、そういうカテゴリーのハシリかと思う。


 「ドラえもん」のタイムマシンは有名で…机の引き出しにタイムマシン、というイメージは日本ではお馴染み過ぎるフォーマット。


 「時をかける少女」という何度も映像化された名作もあって、一度、テーマにしたオマージュもの?を、創作で書いてみたい気がします。筒井康隆さんのことはもとより、知悉通暁している分野で?面白くなる気もします…


 大昔に、始皇帝という中国の偉い人が、「不老長寿の霊薬」というのを求めて、徐福という家来をボクの住んでいるあたりに寄越したという逸話があるが、こういうのはまあ、栄耀栄華を極めた独裁者ならではの余裕の産物で?普通はまあ、時間や未来という抽象的であやふやなものにまで着目できない。


 谷崎潤一郎の「悪魔」という小説に、一人で暇を持て余している一高生?が、「ベルクソンの純粋持続というのがあったな、あれは?」とか埒もないことを考えているくだりがあるが、純粋持続というのもよほど暇な人が発想しそうな概念と言えばそんな気もする。


 イマジネーションの翼を大きく広げて、とか異次元のコンピュートピア、とかいうような表現の似つかわしい、夢のある作業?の、アートやら芸能やらも、第三次産業とかそのあとの技術革新で、森羅万象のうちの無数にまあ「無駄」?な要素を考えたり生かしたりする余裕やら、時間ができてきて、漸く、文化やらそういうホモサピエンスらしい営為のための、本当の意味での「文藝復興」、そういう時代が訪れつつある…これはまあ、小松左京さん的な「バラ色の未来像」で、まあ物事には光やら闇やら、オモテウラ、理性と知性もあれば、邪悪や残忍も humanity の要素であり、単純には「ゴルディアスの結び目」を一刀両断はできないが?


 が、時の神様のクロノスとかアイオーンとかいうのが神話にもあって、日本にも大時の神というのがあったりして、時間は時間として認識する必要もあって、当然に水時計や砂時計日時計もあって、今日も水時計にちなんだいわれの日らしいが、ただ、ここからは私見というか、例えばアインシュタインが相対性原理を発見したり、時代のパラダイムの転換みたいなものは、次第に人類の目に映る、時間や空間というものも、定常宇宙論やユークリッド幾何学の時代とは趣を異にしてきているとか、生半可ですが、そういうのを…シンクロニシティと、ユングなら言うのかもしれない、と思ったりします。


 ボクの父がだいたい100歳くらいで(生きていれば)、200年前だともう江戸時代で、地球開闢以来に歴史というものは一見ずっと停滞中で、遅々として進んでいないみたいでも「激動」しているのが現実かもとか思います。



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