展開が速すぎる

どうやら最初の返歌を間違えたようだ。

式部卿の恋文が来てから十余日。


ひさかたの 雲居にしのぶ 花の雲

あまぢ晴るれば 気も晴れなむに

『雲に隠れてしまっている桜の花(のようなあなた)。(その雲がなくなって)空が晴れれば、心もきっと晴れるだろうに。』


これが式部卿の最初の手紙。

これに対して私の返歌が、


雲晴らす すべ知らざれば かひなくて

はかなき花は 雨に散るべし

『雲を晴らす術を知らないので、どうしようもなく、儚い花は雨に散ってしまいそうです。』


これは喜与の代詠である。

それに返ってきたのが、


雨降ると めぐき花をや 守らばや

身やは惜しまむ むら雲分かむ

『たとえ雨が降っても、私は愛しい花(=あなた)を守りたい。(私の)身は惜しくはない。雲をかき分けて進もう。』


……これって、うちに突入してくるってことだよね。

ぜったい初っ端の返歌間違えたよ。だってあれ「私をこの過酷な邸から連れ出してください」さらには「そうしないと死んじゃう」って言ってるようなもんじゃん。それにノリノリでノッてきてるじゃん。

喜与があの歌を提案してきた時点で止めとけばよかった。違和感感じてもそのまま流してしまう前世からの悪癖が憎い……。


それはともかく。ほんとに来ちゃったんだよね、式部卿。返歌も送らないうちに。

展開が速すぎる。

あ、でもさすがにまだ夜に来た訳じゃないから安心してほしい。偵察といったところかな。



ある日の朝。

立派な牛車がやってきた。やんごとなき式部卿の車だと言う。

大黒柱の中将とその嫡男の昴は内裏に出勤中だし北の方と霞はどこぞの神社にお参りに行くとかで留守だ。私は一人お留守番というワケ。

ハブられた私、可愛そう~。

ともあれ自然、私が応対するしかない。

式部卿、タイミング狙ってきたよね。私が出て来ざるを得ない状況にするために。平安男子の恋に関する情報収集能力は侮れない。

もしかしてこの前垣間見してきたのも式部卿だったのかな。透垣すいがい越しに人影が見えたときはさすがにびっくりしたな。


おっと話を戻そう。

御簾越しに対面する。

うっ、眩しいっ。向こうの方が明るいので式部卿の姿がよく見える。イケメン。

この前より少し血色がよくなったようだ。それとも何かな、私に会えたから一気に元気になったとか言うつもりなのかな。


「今日はどういったご用事で。」

私はいつもの調子で声を出す。嫌われたらどうしようなんて考えない。

それにもともとの素材がいいからどんなに荒げても可愛い声なんだよね。


式部卿はちょっと、ほんとにちょっとだけ硬直してから、ふっと柔らかいオーラを発する。

ふわりと漂う香の匂い、嫌いじゃない。


方違かたたがえのために一晩だけお泊めいただけないかと思いまして。」


出たよ方違え! これは油断すると危ないやつだよ!

式部卿はことしないって信じたいけどね。


「中将殿とは多少の親交もありますし。」

声はf分の1揺らぎだ。

「どうかお願いします。」

顔は眼福だ。


「もちろん、お断りする理由などございませんわ。」

私はしとやかに頷く。こうなったらしょうがない。

結婚はまだ考えられないけどこの式部卿、うまくいけばこの家から出るための足がかりになるかもしれない。

恋心を利用するのは忍びないが、その気持ちを恋じゃない方向に持っていくことはできないだろうか。


「お部屋を準備して差し上げて。」

私の指示を受けた侍女は一礼して退室していった。

残されたのは私と式部卿、あと一応女房が一人。北の方側の見張り役であろう。ともあれ年頃の男女が二人きりになるよりはマシだ。

「お部屋が整うまで少々お待ちくださいませね。」

私は御簾の向こうへ微笑みかける。見えているのかいないのか、

「痛み入ります。」

と式部卿は小さく頷いた。

そして、


春ふけて 数なき花は 散りぬるを

音に聞こえし 君がき花


『春も深まり、取るに足らぬ多くの花々は散ってしまいましたが、噂に聞いていた通りに美しいあなたの花です。』


朗々と歌を詠んだ。

「お庭の桜が見事ですね。」

そう言ってちょっと微笑むその笑みは、それこそ花が咲くようで。

庭の桜はとっくに散っているけれども、ついこくりと頷いてしまった。

同時に気づく。これは私に向けた恋歌のうちだ。

『噂に聞いていた通り美しい花』が私。会ってみたら期待に違わず美しかったと。ついでに『数なき花』を出すことでほかの女には興味がないとも言っている。

それを庭の桜になぞらえるとは。さてはやっぱり垣間見したな。


やばっ、何か返さなきゃ。返歌はスピード勝負って言うからね。

うぅ、女房の視線が痛い。間違えても恋歌だなんて悟られないように……いや待て私と式部卿って恋仲なのか?


現代小説なら時計の針がチクタク鳴るとこだろうが平安世界に機械時計はない。

えぇい、どうにでもなれ!


と、覚悟したとき。

「旦那様のお帰りです。」

侍女の声が響き渡り、同時に御簾の向こうに忙しげな足音が聞こえてきた。

「式部卿殿、大変失礼致しました。いらっしゃるとも知らず……」

早口の声は我が叔父、近衛府中将。

「不束な姪が何か粗相をしていなければ良いのですが。――これ、もう下がりなさい。」

最後の言葉は私に向けたもの。

正直救われたけど。なんだか癪に障るな。

けれどもそんなことを顔に出す私でもない。

「それでは失礼いたします。」

頭を下げるとさっさと御簾に背を向けた。


「美しい姪御さんですね。」

「はあ、そうですかね。それより方違えをなさると。」

「……ええ。親戚の家に行かなくてはならないのですが折悪しくも方塞がりで。」

「それは大変な。どうぞごゆるりとお過ごしください。」

そんな会話が遠ざかっていく。私は特に感慨もなく自室へ下がった。

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