白蓮は名ばかり

「白蓮」って、心が清らかでけがれがないことの喩えになるらしいけど。

うちの白蓮様は全然ちがうね。

見よ、目の前の光景を。


無惨に破られ、泥にまみれた私の衣服。ちょっと目を離したらこれだよ。

歌合から帰ってきてご機嫌に過ごしてる私が気に入らなかったのかな、今までで一番あからさまな嫌がらせだ。


でも大丈夫! 桜花は万能な設定だからね。



まずたらいに水を汲んで、じゃぶじゃぶ踏んで泥を洗い流す。春先の水はまだ冷たい。

本当に身分の高い平安貴族は汚れた服は使い捨てたり低い身分の人に下賜したりしてたらしいけど、私には代えの服はないので洗うしかない。


そしたら絞って、なるべく目立たない所に竿をかけて干す、と。

ちょっと不苦、何してんだって目をしてないで手伝ってよ。

乾くまで一日以上はかかるかな。花冷えすると上着がないのは痛手だ。その上火鉢までケチってくれないんだから、徹底したいじめようだね。


やっと乾いたら、破れたところをチクチク縫う。幸い、労力もケチったのか仕事はそう多くはない。

うん、きれいな縫い目だ。さすが桜花。

でもまだ泥の染みが残って見苦しい。よし、染めよう。


驚いたことに染色というのも貴族のたしなみに含まれていたらしい。うちの邸には染殿そめどのという専用のスペースがある。

その一角を拝借して。

紅とか藍とかの壺が置いてあるけど勝手に使ったら叱られそうなので――


「姫様」

「ん?」

「お母上から贈られた紅や藍は、お使いにならないのですか?」

そう聞くのは不苦だ。

そう。私はちゃんとした染料を持ってる。

それは出家した母が送ってきたものだ。たぶん、幼い私をひとり俗世に残してしまったことへの罪滅ぼしなんだと思う。


「うーん、もったいないし、それにあれ白蓮様にあんまり見せたくないんだよね」

「そうですか。」

渋い顔を作って見せると不苦はあっさり引き下がった。


ということで、庭に出て使えそうなのを探す。

お、あったあった。ヨモギだ。

ぷつぷつと収穫。両手にいっぱいになったら、まあこんなもんだろう。染殿に戻って水で煮る。

布はほんとは染めむらができないように下処理をするらしいけど、今回はむしろむらがあった方が目をつけられなさそうなのでわざとそのまま。ヨモギの即席染料も適当に作っておく。

何もかもがいいかげん。それくらいがちょうどいいのだ。


たらいに入れて染めて、水で洗って、と繰り返す。やあ、重労働だ。

不苦は霞の方の仕事に呼ばれて行っちゃった。ほんとに苦労かけるねえ。……いや悪いのは私じゃなくてあの白蓮か。


たまに誰か覗きに来る気配があるけど振り向かずにいればそのうち出ていく。疎ましい居候が汗水垂らしてる姿を見るだけで楽しいんだろう。

とはいえ現代日本から来た人間からするとこれはなかなかいい運動になるし、寒さも忘れられる。

幼稚園で絞り染め体験をしたときのことがふと思い出されて笑えてきた。


手足を動かしながら考える。

これからどうしようか。

始めは食いはぐれないように何がなんでもこの邸に居座ろうと思ってたけど、いつまでも嫌がらせが続くようなら気が滅入っちゃうなあ。

出ていくルートも考えた方がいいかもしれない。


踏み洗いする音が狭い空間に充満する。

身体的には疲れてきたが、精神はなんだか整ってきた気が。


「お従姉ねえ様」


む?


弱々しい声に振り返ると染殿の入り口に霞が立っていた。

足を止める。水はまだぐるぐると波打っている。

「霞、どうしたの?」

霞は何やらぐずぐずと言い淀んでいる。用があるなら早くしてほしいんだけど。見てわからないかな。

待ち兼ねてたらいから足を引っこ抜く私。ぴしゃりと水滴が床を打つ。


それにしても両者の違いといったら。

髪をくくり、下女のように貧相な着物をたくしあげた私。

姫君らしく、美しいかさねを襟元に覗かせた霞。


私が背を向けかけると、

「その!」

霞は半歩ほど踏み出して追いすがってきた。

はあ、と、私はこれ見よがしに溜め息をついて振り返る。

「あのね、わからないかな。」

霞の目をまっすぐに見て言った。

「霞と話したことが北の方様に知られたら、私はもっと睨まれるの。」

霞はうぐっと口を閉ざす。

憐れむなら好きなだけ憐れむがいい。だけど。

「私に関わらないで。」


突き放すように背を向けた。

衣を絞る音が霞の存在を薄くする。

そろそろいい頃合いだろう。


「……ごめんなさい。」

霞は一言そう言うと足早に立ち去った。

まったく。


絞った衣を広げて干す。うん、泥の跡も見えないし、いい感じにむらがついてる。

あとは乾くのを待つだけ。うーんと体を伸ばして空を見上げた。抜けるような青空だ。

世界ってこんなに鮮やかなものだったのか。

スマホもない、テレビもない、SNSもない。だけど世界は広い。


ん? なんか視線を感じるような……気のせいか。

さっ、着替えよう。

片付けを済ませた私はさっぱりした気分で自分の部屋に戻った。





すばるは物陰に頭を引っ込めた。

危うく桜花に気づかれるところだった、と激しく打つ胸を押さえる。

鼓動を速めるのは見つかりかけた驚きと、そしてもう一つ。


昴は近衛府中将の嫡男にして、霞の兄、すなわち桜花の従弟である。


「お慕い申し上げています。」


ずっと言えずにいる言葉を口の中で転がす。

昴は桜花を恋慕していた。

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