RAI-GOH 魔封少女代理人

枕 蔵人

第一話「誰かが何かを狙ってる」

 薄曇りの夜の出来事であった。

アルバイト中の大学生である鶴木つるぎ 剣一けんいちは悪夢のような出来事に追われていた。


 配達帰り、人気のない埠頭で『それ』は彼に襲い掛かった

 乗っていた配達用のバイクで逃げれば振り切れたであろうが、気が動転していた彼は驚きのあまりにバイクを転ばせ、着の身着のままで一目散に逃げ出してしまった。

普段であればとっくに息が上がっていたのであろうが、得体の知れない『それ』への恐怖心が、彼の足を動かし続けた。


 剣一を追う悪夢とは海老とも蟹とも蠍とも似つかない、建設機械のように巨大な甲殻類の怪物であった。

敵とみなしたのであろうか、それともエサとみなしたのであろうか。彼は不幸にも怪物の今夜のターゲットとなってしまったのだ。

怪物は軋むような唸り声をあげながら前腕で障害物をなぎ倒しながら、彼を猛追していた。

 その怪物の巨大な機関車が迫りくるようなプレッシャーに、彼は恐怖した。


 しばらくして怪物をいったん振り切ると、忘れていた疲労感が一気にこみあげてきた。流石に息も絶え絶えであった。

最初に襲われた場所から随分走ったが、あたりの景観はさほど変わらず似たような倉庫が立ち並んでおり、街灯こそ点在しているものの薄暗い雰囲気であった。

 姿こそ見えなくなったが、いまだにその気配は彼の背中にじっとりとまとわりつていた。これ以上走る体力はもう残っていそうもない。作戦変更。彼は物陰に隠れて怪物をやりすごすことにした。


 怪物は前腕や尻尾を振り回して障害物をなぎ倒しつつ、見失ったターゲットを探していた。幸いなことにそこまで頭は良くないらしい。

助けを求めようにも周囲に人影はない、彼は一人でこの悪夢と対峙しなくてはならない現実を呪った。

(こういう時に頼んのは…とりあえず110番だよな?)

 彼はスマートフォンを取り出した。

しかし、この状況をどう説明しようか。『サソリみをてぇなデカいバケモンに追われてる』などと直截に伝えたところで信じてもらえるだろうか。それともなにか適当な口実を考えた方がいいだろうか。

 ぐるぐると思案しつつ、110番をプッシュしようとしたその時である。

彼のスマートフォンから通知音が響いた。それはどうということはないスパムメールの通知であったが、怪物に自分の位置を知らせるには十分な音であった。

隠れていた物陰が払いのけられ、怪物の尾が彼目掛けて振り下ろされようとしている。

 万事休す。彼は思わず絶叫した。

「ぅあああぁぁぁぁぁぁぁ————————っ!!!!」


 怪物の尾が彼を押しつぶすことはなかった。直前、怪物がどこからともなく攻撃を受けてひるんだためだ。見上げると、そこには雲の切れ間から出た月を背景に、角笛のようなもの持った外套姿の少女が現れていた。

 一度ひるんだ怪物は再び前腕の鋏を向け、こちらへ突っ込んできた。しかし今度は、目の前に現れたもう一人の少女によって遮られた。少女はステッキで防壁を繰り出し怪物の突進を防ぐ。

「大丈夫ですか!?」

「あ、ぁぁ…」

 剣一は呆然としたまま、空返事を返した。

「そこまでよ!」

 怪物を挟んだ対角線上から啖呵を切ったのは、頭に小さなコック帽をつけた刃渡り数十センチほどの刃物を持つ少女であった。

「ベイフロントの夜を脅かす魔物よ!今日という今日は…」

 口上を言い切るのを待たず、怪物は目の前の少女に尾を振り下ろす。


 …土煙が晴れた先に、少女はいまだ健在だった。

 すんでの所で後方に避けられ、怪物は彼女を仕留めそこなった。

「…いい加減やめたらどうだ?その口上。そんなの聞き入れる相手じゃないっての」

 角笛の少女【ソル・シェ=ガーラ 】があきれたように言い放つと、彼女は剣一を救った時と同じように角笛から衝撃波を放って怪物をけん制した。目論見通り、怪物はガーラからの攻撃に気をとられてしまった。

 その隙に体勢を立て直したコック帽の少女【ソル・シェ=カトラール 】が再び怪物へと吶喊する。怪物のふるった右腕を飛び越え、左腕をくぐり抜け、華麗に躱しつつぐんぐんと距離をつめていく。

「クィル!」

「おっけい!」

 カトラールが剣一の目の前の少女、おさげ髪の【ソル・シェ=クィル 】に呼びかけると、クィルはそれに呼応してステッキを振るった。

先端にペン先のような意匠を持つそれで空をなぞると、その筆跡にそって足場が現れた。

 クィルが作り出したその足場を駆け上がり、カトラールが怪物へと一気に肉薄する!

「とぉりゃああぁぁああああ——————————!!!!!!!!」

 一閃。カトラールが刃を振るうと怪物の尾が切り落とされた。

怪物が悲鳴を上げる。

「KIShirrrrrrrrshaァァァァァアアアアア嗚呼阿阿阿!!!!!!!!」

怪物が前腕をカトラールに向けてふるうも、カトラールにまたも回避され、続くガーラの援護射撃でそれ以上の追撃は封じられた。


 カトラールが先陣を切り、ガーラが援護、そしてクィルがそれを支援する。

彼女らの連携は、一朝一夕では成り立たないほど完成されていた。

彼女ら自分の妹ほどの歳の少女たちの背中が、今の鶴木剣一には大きく見えた。

「さて、そろそろ…」

「仕上げだよ!」

ガーラとカトラールがそれぞれ構える。

「「フォルミュール=ヴィクトワーレ!」」

 ガーラが角笛から重く響くような音を響かせると、怪物の足元が崩れて砂のように変化した。怪物は足をとられて身動きが取れない。

直後、カトラールは刃に炎をまとわせ、それを怪物へと飛ばした。怪物はもだえ苦しむ。

「KIShsharrrrrr!!!! KIShsharrrrrr!!!! KIShsharrrrrr!!!! KIShshaァァァアアア!!!!」

「…ボストン風味に仕立ててアゲル♪」

 カトラールは得物をねぶってキメ台詞?を吐くと怪物へと刃を向け切りかかった。

しかし、トドメはガーラの方が一瞬早かった。

ガーラが角笛から甲高い音を響かせると、怪物へと雷が振り下ろされ、怪物が爆ぜた。

 カトラールが刃を振るうよりも先に、怪物は倒された。


「ちょっとぉ!オイシイとこだけ持ってかないでよぉ!」

「競争ってわけじゃないだ。別に誰がヤったっていいだろ?」

戦いを終えた三人組が変身を解き、剣一にその正体を現した。

「…お前、カナデか?」

剣一は驚愕した。彼を救った妹ほどの歳の少女【ソル・シェ=ガーラ】の正体は鶴木つるぎかなで、彼の妹その人だった。

 そしてその他の二人、カトラールとクィルの正体もまた奏の同級生、御厨みくりや みくと藤牧ふじまき あやであった。妹の交友関係にはさほど明るくない剣一も、彼女らと三人でつるんでいる様子をよく目にしていた。

 性格も趣味もバラバラ、部活動が一緒という訳でもない三人がつるむ理由が彼にはよくわからなかったが、今のこの瞬間合点がいった。

「無事でよかったです。どこかケガとかしていませんか?」

「ソイツなら大丈夫だろ、多分」

剣一を気遣う彩をよそに、奏は普段から兄にそう接するようにつっけんどんな態度で言い放った。

「奏!お前…っ」

剣一は一人先んじて立ち去ろうとする奏を呼び止めた。

奏は呼びかけに応じ足を止めたが、目線を合わせようとはしない。

「お前…いつから」

奏は剣一を横眼に見ながら言った。

「…パパやママに言ったらタダじゃおかないから」

  ——————————————————————————————————————


 ベイフロントは大小5つの人工島群の総称である。5つの人工島は複数の公共交通機関で結ばれており、島内には住宅地、オフィス、学術研究、商業、その他公共施設なども整備されていた。開発されつくした本土に代わる臨海副都心であるベイフロントは、地域経済の中心地であった。鶴木剣一の通う大学と住処もこのベイフロントにあった。

 元々は当時の交際相手との同棲を見越し、開発初期に建てられた集合住宅で少し築古になるものの広めの物件を借りていたが、引っ越し直前にあえなく破局。持て余していたところに妹の奏が『こっちの方が学校が近いから』という理由で転がり込み、それ以来二人暮らしをしていた。


 朝、奏はうつらうつらとダイニングテーブルにつくと、用意されていた朝食のトーストを食べ始めた。

 生来奏は口数が多い方ではなかったが、寝起きの彼女は特に無口であった。二人は特段会話をすることもなく黙々と朝食を食べ進めていた。

 彼らにとっていつも通りの静かな朝。しかしあんな出来事があったせいか剣一はなんとなく落ち着かなかった。

 彼はトーストを食べ進める妹を眺めていた。いつもと変わった様子はない。彼には目の前にいる妹が人知の及ばぬ力を振るい、怪物を倒した事がいまだに現実とは思えなかった。

 怪物を倒し、自分を救ったあの力はいったい何なのか。一体いつからあんな力を身に着けたのか。あの怪物は何なのか。疑問は尽きなかったが、彼は切り出すタイミングをつかめずにいた。


「……何?」

「ぅえ!?」

剣一は素っ頓狂な声を上げた。口火を切ったのは妹の方だった。

何も言わずにじっと見つられては訝しく思われるのは当然の事であった。

「あー…アレだよ……」

剣一は答えに窮した。

「そう!雰囲気!なんか雰囲気変わったよな!……なんかコスメ変えた?」

「……寝起きだよ?化粧なんかしてるわけないじゃん」

化粧に関する知識は彼に皆無であった。二人の間に再び気まずい沈黙が流れる。

剣一が何か他の話題を探してテレビをつけると、ちょうど妹の母校の話題であった。

「オッ!連日コイツの話題で持ちきりだなぁ!お前んとこの学校のサッカー部、また金星だってなぁ!特にこのエースストライカーが入ってから……」

「そいつ嫌いなんだよね」

話題のエースストライカーがTVに映ると、奏は兄の会話を遮りつつTVを消した。

「……なんか、嫌な事でもあったか?」

「別に、なんか胡散臭いなって」

剣一が心配そうに尋ねたもののあいまいな答えが返ってくるのみであった。

…二人は気まずい雰囲気のまま朝食を食べ終えた。


 思い返せば剣一はこれまで自分の妹について、ことさら深く知ろうとはしてこなかった。

奏がいつもスマートフォンで何を見ているかも知らないし、想像もつかない。

家族として一緒にいる時間が長かった以上大まかな趣味趣向は把握しているし、それ以上のことを詮索する意味はないと思っていた。

 だが、いつの間にやら奏は超常的な力を身に着けて、仲間たちと怪物退治をしていた。しかもその戦いぶりから察するに、戦い始めたのは昨日今日ではなく、もう長い間あのような魑魅魍魎と戦っている事は容易に想像がつく。

 奏は今、どれだけの秘密を抱えているのであろうか?彼の胸中では複雑な感情が渦巻いていた。

「しかし…」

剣一は妹の部屋で独り言つ。

「変身アイテムを忘れて学校に行くヒーローがいるかよ…なぁ?」

彼は手に持ったアイテムに語り掛けた。

 彼がいつものように借りパクされていた私物を探して妹の部屋に立ち入ったところ、雑然とした部屋の中で異彩を放つ、ペン立てに突き刺さったそれを発見した。

ちょうど鍵のような形状のそれは、彼女の超常的な力に関わるものだと一目でわかる、幻想的な雰囲気をまとっていた。

「…届けてやるか」

大学の講義は午後からであったが、少し親切をしてやることにした。

(話のきっかけにもなるだろうしな…)

剣一は予定より早い身支度にとりかかった。


——————————————————————————————————————


 ベイフロントの広い幹線道路を、剣一は愛車のハンターカブで走り抜けていた。

目指すは奏の通う学校…ではなく郵便局であった。

自宅の戸締りをしていた際、彼は自宅の軒先に奇妙な小包が置かれているのに気が付いた。いわゆる『置き配』というやつだろう。

 しかし彼にはその荷物について、全く心当たりがなかった。「きっと誤配送だろう」と思った彼は郵便局へと荷物を持って行ってみることにした。

(折角午前中はのんびりできると思ったのに…やること増えてく一方じゃねぇか)

 心中で悪態をついていると、チリン…チリン…とどこからか風鈴のような音色の音がするのに気ついた。

それは決して大きな音ではなかったが、バイクのエンジン音や風切り音にもまぎれること無く、はっきりと彼の耳…というより頭に直接に響いてきた。

信号待ちでバックの中をまさぐると、音色のもとは妹の忘れ物であった。

(…どうなってんだこれ)

不審に思いながらも、もうすぐ信号が青に変わるのに気づいた彼は忘れ物をバックにしまうと、一路郵便局へと向かった。

 バイクを止めるために地下駐車場に入ろうとすると、入口で一目散に地上へ逃げ出す一匹の猫とすれ違った。

普段であれば気にも留めないどころか、気づきもしなかったかもしれないが、あの日以来なんとなく神経質になっていた彼の心はにわかに動揺した。

(なんだ…?)

 地下駐車場に入ると妹の忘れ物から響く音も一層強くなった。

 さざめく心を押し殺し、一層、また一層と降りていくと、すれ違う猫の数もまた増えていき、頭に響く音も次第に大きくなった。ついには『群れ』といえるほどの数の猫とすれ違った。通路の横幅一杯に広がったそれらはまるで何かから逃げているようにも見える。

 その様子は先日の自分の姿を、剣一に彷彿とさせた。

(一体何なんだ…!?)

異様な光景に剣一は足がすくむような感覚を覚えた。

一体あの猫たちは何から逃げていたのだろうか?

次の曲がり角に差し掛かるところで彼は一度バイクを止め、その角からその先の様子をうかがった。


 彼の視線の先に、彼の疑問の答えはあった。

 それは様々な生物がツギハギされたような禍々しい姿の怪人であった。怪人はしゃがみ込んで、無数の野良猫を弄び食い散らかしている。ぎょろりとした目がこちらの存在に気づいた。

(ヤバイ!!!!)

剣一はバイクを180度反転させ、今しがたすれ違ってきた猫たちに続くように地上へと急いだ。


(ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!!!!!!!!!!!!!!)

 剣一は地上へ向けて全速力で地上を目指した。ハンターカブのエンジンがうなりを上げる。

すでに途中で先ほどの猫の群れを追い越すほどのスピードだったが、それでも今の彼には遅く感じられた。

バックミラーにはすでに先ほどの怪人の姿が写っている。

(チクショウ!なんで俺ばっかりこんな目に…)

 怪人のターゲットは完全に剣一に変わっていた。怪人は地下駐車場の坂道をものともせず、今にもバイクに追いつかんばかり速力で彼のバイクを猛追していた。その姿は、人というよりまるで獣のように思えた。

(よし、出口だ!)

 剣一の視線の先に日の光が見えた。

しかし、あと一歩のところで怪人は剣一のバイクを飛び越し、剣一の目の前に立ちふさがった。

それは前に遭遇した甲殻類の怪物よりもはるかに小さかったが、何ら遜色ない威圧感を放っていた。

(やられるかっ!?いや…)

 剣一がスロットルを戻すことはなかった。

今回のヤツは前に遭遇した奴に比べればはるかに小さい。このまま突っ込めば跳ね飛ばして、押し通ることができるんじゃないか?剣一の胸中に闘志が湧き上がる。

(頼むぞ…俺のハンターカブ!)

一か八か、覚悟を決めた剣一は目の前の怪人へとバイクで突っ込んだ!


 愚策であった。怪人はいともたやすく片手でバイクの前輪を受け止め投げ飛ばし、剣一はバイクもろとも壁面へ叩きつけられた。

頭を激しく打ち付けられて意識がもうろうとし、あまりの激痛に息が詰まる。

床をなめるように這いつくばったまま視線だけを前に向けると。先ほどの怪人がにじり寄ってくるのが見えた。しかし最早抵抗どころか逃げることすらかなわない。

絶体絶命である。その時———

『———鶴木、剣一だな?』

目の前に垂れさがった受話器から彼を呼びかける声がした。


 目の前に垂れ下がった受話器は公衆電話のものだった。先ほど叩きつけられた衝撃で電話から外れたのであろう。

剣一は恐る恐る受話器を手に取る。

「…アンタ誰だ?」

『今はどうでもいいことのはずだ。今から俺の指示に従え。』

声の主は年老いた男のようだ。電話口から聞こえた声は重く、低い声だった。

「…どうでもいいってことはないだろ!」

『今朝お前のもとに小包を届けたはずだ。持っているか?』

男は問答無用で話をつづけていく。

「人の話聞けよ!」

『中身を開封しろ!それがあればこの状況を切り抜けられる。』

…そう言われれば今の彼には縋る他なかった。

彼は言われた通り小包を開封し、中身を取り出した。

 中に入っていたのは何らかの機器であった。

 光沢のない黒色をしたそれは、バイクかピストルのグリップだけを切り出したような形状をしており、先端には何らかのメーターと、差し色のようにいくつかスイッチのようなパーツがついていた。

『お前の妹、奏のソルシェルタクト を持っているな?』

「そるしぇ…なんて?」

『ソルシェルタクトだ。鍵のような形をしている。』

鍵のような形、という比喩でピンときた。彼はバックから妹の忘れ物の取り出す。

「これか!」

『よし、それを先端に差し込め。』

「先端って、どこに…」

怪人は警戒しつつもじわじわと距離を詰めてくる。

しかし剣一は焦りからか電話口からの説明をうまく咀嚼できずに、もたついてしまっていた。

『…メーターがついてる方だ。』

「ここか!」

ソルシェルタクトを先端の差し込み口に入れる。

…特に何も起こらない

「…何も、起こんねぇぞ!」

『差し込んだら反時計回りに捻じるんだ。』

指示通りにするとタクトの形状がステッキほどの大きさに変化した。

ちょうど柄のようにも見える機器からのびるそれは、まるで刀の鞘のようにも見えた。

「よし、あとは抜刀しろ!」

「…よし!」

 タクトから刃を引き抜くと、刀身がまばゆい光を放ち、剣一は目をくらませた。

そして光は見る見るうちに剣一の全身を包みこんでいった。

「これで、お前も戦える」


 剣一が再び目を開き、まず自分の両手を見ると、彼の両手に金属質の籠手が装着されていることに気づいた。そしてそのまま自分の顔面を触ると、人肌とは程遠いごつごつとした質感がした。

 剣一が車のサイドガラスで自分の姿を確認すると、曲線が複雑に入り組んだ鈍く光る極彩色の甲冑が彼の身体を固めていた。

手にした片刃の剣と相まって、その姿はまるで鎧武者のようであった。

(すげぇ…なんだこれ…?)

 剣一が呆然としていると怪人がついに襲いかかってきた。

彼はとっさに身構える。そして、怪人の繰り出してきた右ストレートを片手で受けた。全速力の原付を片手で受け止めて見せる怪人の右ストレートを、剣一は、なんと片手で受け止めて見せたのだ。

つづく左ストレート、右フックをいなしつつ、剣一は怪人と取っ組み合いになった。防戦一方ではあったが、その一方で、彼は決して力負けはしていなかった。

 彼は確信した。『これならやれると』と。

 怪人を振りほどくと、剣一は攻守交替と言わんばかりに怪人を激しく殴打した。一発一発殴打するたびに、自分の拳が怪人の体に深く刺さる手ごたえを感じた。

 怪人はやぶれかぶれで飛びかかってきたが、剣一はハイキックで撃墜した。地面にたたきつけられた怪人をダメ押しとばかりに踏みつけにかかるも、怪人は横に転がって回避した。


 …ここにきて剣一は自分の手に持った得物の存在を思い出した。

 剣一は手にした刀で切りかかった。型もなにもなくがむしゃらに振るった刃だったが、それでも怪人はじわじわと気圧されいった。

 怪人の身体には無数の刀傷ができ、その痕はチリチリと焼けていた。人とは似ても似つかない怪人の表情からは困惑が見て取れた。


 怪人が再び剣一に襲い掛かった。剣一は再び刃を振るって応戦したものの、いずれもすんでのところで回避されてしまう。次の瞬間、怪人の低いタックルが剣一の意表を突き、刃を手からこぼして怪人にマウントポジションをとられてしまう。怪人は剣一の胸部を中心に殴打した。そのあまりに激しく続く殴打に、着こんだ鎧からダメージがじわじわと響いてくる。

 剣一は一瞬の隙をついて身を丸め、怪人に両足で蹴りを繰り出した。怪人の体が剣一から剥がれ、よろめく怪人に剣一が三度刃を振るった。

 両者とも、一進一退の攻防が続いていた。


『そろそろケリをつけろ、剣一。』

先ほどの電話の主が兜から語り掛けてきた。

「ケリをつけろって…一体どうやって!?」

『指示したとおりにすればいい。メーターが振りきれるまで引き金を引け。』

 指示通りに引き金を引くと見る見るうちにメーターの針が動いていき、それに従って彼の持つ刀が過熱していった。パーツの継ぎ目からは熱気と湯気が立ちのぼり、グリップを通じて熱と激しい振動が伝わってくる。

『メーターが振りきれたら引き金を放していいぞ。』

「ホントにコレで大丈夫なんだよな!?」

不安になった剣一は呼びかけるも応答はない。

 指示通りに引き金を放すと刀身が力が伝播するように、根元から徐々に赤く発光し始めた。それは血のように赤黒い光だった。

『よし、後は切りかかるだけだ。外すなよ』

 剣一は改めて中段の構えを取り、怪人へと刃を向けた。それは次の一撃で確実に仕留めるという決心の表れであった。

刀身全体が真っ赤な光に包まれると、面頬が開いて廃熱口から熱が噴出し、前立を模したバイザーの奥の瞳が光った。

 刀の先にいる怪人はにわかにフラついていた。すでに相当弱っているらしい。

「しゃあっ!」

 剣一は気合を入れ直した。

 怪人は千鳥足から体勢を立て直すと、剣一へ向け真っ直ぐ突っ込んでくる。

 チャンスは一瞬。刀の切っ先で赤黒い光の軌跡を描きつつ、すれ違いざまに刀を振り下ろす。直後、袈裟切りになった怪人の体がぐらりと崩れて爆ぜた。

 剣一は鎧を脱いで変身を解き、怪人のいた跡を見つめた。

『初めてにはしては上出来といったところだな。鶴木 剣一。いや…今は“ライゴウ”と呼ぶべきか。』

  

「ケンイチ!」

 呼びかけられた方を向くと、そこには地下駐車場の坂道を駆け下りてくる制服姿の少女がいた。それは彼の妹、鶴木 奏であった。

 奏は剣一のもとへ駆け寄った。

「ハァ………ハァ………ハァ………カハッ゛!ォェッ゛!エッ゛ホ!エッ゛ホ!」

 変身していない奏は日ごろの運動不足がたたって虚弱そのものだった。剣一のもとへたどり着くころにはえづき咳き込み息も絶え絶えで、二の句も継げないありさまであった。

「………大丈夫か?」

 剣一は心配そうに妹の顔を覗き込む。

「………こっちの………セリフ………エッ゛ホ!」

「あぁオレ?…俺は大丈夫だよ!ほら、見ての通り!」

 剣一は力こぶを作ってはにかんで見せたものの、客観的に見ればとても大丈夫そうには見えない有様だった。

 着衣は擦り切れ乱れて、煤汚れでぐちゃぐちゃなうえ、身体は煤汚れだけでなくいくつか擦り傷や打撲痕がついていた。剣一の様子からは明らかに何かに襲われた痕跡が見て取れ、それでいて「大丈夫」と言われてもまったく納得いかない状況だった。

「ハァ………ハァ………ハァ………なんで?………」

「あー…アレだよ……」

 剣一は答えに窮した。

 今日の出来事を説明しようにもどこから説明すればいいかわからなかったし、そもそも彼自身今の状況をきちんと飲み込めているわけでもなかった。妹のことでさえまだ今一つ整理がついていない状況で、自分の身にも起きた出来事の数々に、剣一の胸中に困惑が再びこみあげてくる。

『今は“ライゴウ”と呼ぶべきか。』

 突如として彼に託された力。妹と同様の超常的な力。そして今日の闘い。それは自分が『ソル・シェ=ガーラの兄』という立場を超えて、あの怪物たちと関わっていかなければならない事を意味していた。これからの自分の運命に何が待ち受けているのか、今の彼には想像もつかなかった。

「まぁ…大丈夫だよ!」

あくまで虚勢を張る兄の姿に、奏は怪訝そうに剣一を見つめた。

「あ!そうだこれ…ペン立てにブッ刺さってたぞ」

剣一は妹の目の前に手のひらを広げて忘れ物を突き出した

奏は兄の手のひらからそれを受け取ると、兄の目の前でへたり込んだ。

「…ヘトヘトだな。向こうのベンチまで歩けるか?ここだと車の邪魔になるぞ。」

「いや………いい………ガッコー戻んないと………」

奏は呼吸を整えて、再び立ち上がると覚束ない足取りで駐車場の出口へと向かった。

 剣一も大学へ向かうべく横倒しになったバイクを立て直すと、エンジンをかけ直した。幸いなことにまだ動く。

「よかったら送って行こうか———っ!?」

奏に呼びかけたものの返事はない。すでに駐車場に妹の姿はなかった。

ひとまず二人は、いつもの退屈な日常へと戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る