3話 オルグ、ベアトリクスに魔獣と疑われる

 俺は椅子に座ったまま身動きがとれなくなる。


「……殿下。俺は人間です」   

「嘘おっしゃい。その回復力が何よりの証拠よ」


 鋭い刃先が俺の顎をクンと上向かせる。

 ベアトリクスは見たこともないほど冷たい表情で俺を見下ろしていた。

 

 オーガである俺を倒そうと挑んできた冒険者たちのなかには、胸を貫いてもすぐさま起き上がる者がいた。総じて魔力の高い人族だった。

 ベアトリクスはステルラ帝国の皇女だ。

 俺よりもさまざまな人族に出会っているだろうし、知識も桁違いに多いことだろう。

 治癒力が高いだけで俺を魔獣だと疑うだろうかと、訝しんでいると、ベアトリクスは俺を睨んだまま、襟元からペンダントを取り出した。

 ペンダントトップは小さな赤い宝石で、中心がまるで呼吸をするかのように明滅を繰り返していた。


 俺は目を疑う。赤い宝石から放たれる微かな魔力に覚えがあった。


 死の間際みずから取り出し、アルティミシアに握らせた、俺の心臓――正確には心臓を魔石化したものである。

 今の今まで気配を察知できなかったのが信じられない。よくよく目をこらせば、心臓を固定する台座は魔力の放出を抑制するミスリルが使用されている。

『オルグ』では微弱な魔力を感じ取ることができなかったようだ。


 ベアトリクスはペンダントトップを弄りながら、

「綺麗でしょう? 魔獣が近くにいると、光り輝くの。お前と出会ってから微かに反応していたわ。最近になって、やっと確信が持てるまで輝くようになったの。魔獣よ、お前はここで何を企んでいる?」


 俺はゆっくり瞬きをした。

 ベアトリクスはアルティミシアの記憶を有しているのか否か。五年を経た今でも俺は希望を捨てられずにいる。

 俺を親の仇のように睨みつけるベアトリクスに、魔獣暴食公グラトニー・ロードの生まれ変わりだと明かすのは危険極まりない。


 俺だけが殺されるのならまだしも、孤児院の仔らやアリスが俺の正体を知っていて匿っていたと疑われ、罰せられるのは避けたい。

 人族の皮を被った俺をここまで生かしてくれた巣を守らねば、アルティミシアに顔向けできないからな。


 レイピアの先が顎の皮膚を切った。

 ピリッとした痛みが俺を現実に引き戻す。

 俺はズボンのポケットから赤い石を取り出した。

 見た目は俺の心臓を結晶化したものと似ている。


「この石が魔力を発しているので、反応したのかと」

「……貸しなさいっ」


 ベアトリクスは、俺の手のひらから石をふんだくった。血のように赤い石を宙にかざし、角度を変えて検分する。


「……魔石ね。魔獣の体内からとれる稀少品よ。それも魔力吸収ドレインが付与されている物なんて、そうそうお目にかかれないわ」


 ベアトリクスはペンダントに魔石を近づけた。ベアトリクスの胸元で光り輝く俺の心臓は明滅を繰り返し、やがて光を失った。代わりに俺が差し出した赤い石が輝きはじめる。


「溜まっていた魔力がこんなにも早く吸われるなんて、ありえないわ。この石、どこで手に入れたのよ?」

「……俺がここに捨てられたときに持っていたものだそうです。それ以外は何もわからないのです」


 俺は目を伏せた。

 ベアトリクスの視線がつむじに突き刺さる。


「魔獣であれば即座に人族を襲っているかと」

「知恵のある魔獣は人に化けることができるそうよ。そうして何年もかけて、人心を掌握し油断させて食らうのだとか。……五年前だったかしら。その頃からお前は私に気があるようだったわ」


 剣を交える時以外には、気取られないよう距離をとって観察していたつもりだが、なかなかどうして勘が良い。

 そういえばアルティミシアにもよく背後をとられていた。

 懐かしさに口元が緩みそうになり、俺はあわてて唇を噛み締める。


「私をアルティミシアだと勘違いして、襲ってくる魔獣がいるのだけど……。そんなに私ってアルティミシアに似ているのかしら」


 俺は思わず顔をあげた。

 俺がオーガとして生きていた時代より、魔獣は格段に数を減らしているのか、この五年、帝都で魔獣の気配を感じたことはない。


「殿下、いつから魔獣に命を狙われているのですか?」


 ベアトリクスは目を細め険しい表情をする。

 俺は負けじと、ベアトリクスを見つめ続けた。

 

「……五、六年前からよ。最初は姿を見せなかったけれど、最近は堂々と命を狙いにくる輩もいるそうよ」

「――どのような魔獣ですか。種族は?」


 俺は必死にベアトリクスを問い詰めた。

 ベアトリクスは威勢の良さをひっこめ、気まずそうに口を開く。


「……いろいろよ。最近は、ゴブリンだったかしら。護衛たちが邪魔で私みずから斬り殺すことができなかったのが、今思い出しても腹立たしいかぎりだわ」


 魔獣は王宮内に出現し、アルティミシアの名を叫びながら、ベアトリクスを狙ったらしい。当然、ベアトリクスには護衛が付いている。すぐさま騎士団員や宮廷魔術師たちが盾となり、魔獣を退治したのだそうだ。


「そうですか。よかった……」


 人族にとって、数百年の年月は気が遠くなるような歳月だ。しかし、魔獣にしてみれば瞬きするほどの年月でしかない。俺のように、ベアトリクスをアルティミシアだと勘違いする輩がいても不思議ではない。

 アルティミシア、ステルラ帝国の建国の母にして英雄。彼女は魔獣を殺しすぎた。

 その恨みが連綿と彼女の一族を蝕むのは、致し方ないことだ。

 アルティミシアはもしもの未来を予測して、俺に一族を託したのかもしれない。


「ところでお前、この状況が理解できているのかしら?」


 ベアトリクスはレイピアの切っ先をふたたび持ち上げた。

 

 魔石は高級品らしい。

 英雄や冒険者でもない俺が持っているのは分不相応である。

 この主張には、まあそうかと納得できる。

 しかし、魔石は魔獣から取れるもの。よって俺は魔獣である、とはならないだろう。

 

「魔獣が同族を殺して魔石を殿下に献上するなんて、そんなまどろっこしいことをするとは思えないのですが」

「魔獣は己の欲を満たすためならなんでもするのよ。獣なんだから」


 なるほど。一理ある。

 ベアトリクスは想像力が豊かだ。


「尋問中に私の心配をして、情を通わせようとする魔獣がいるなんて、考えただけでも虫唾が走るわ」


 ベアトリクスは腕をさする。

 何を言っても無駄だとここで諦めてはおしまいだ。

 俺は前のめりになる。


「殿下はステルラ帝国の至宝です。宝より優先すべきものはないではありませんか」

「……そうやって、私に媚を売ってごまかそうとしても無駄よ」

「どうすれば信じてもらえるのでしょうか」

「そうね……私の靴にキスなさい」


 俺の前にブーツの先端が差し出される。


「魔獣は決して人に屈しない生き物よ。なんなら私たち人族を見下しているもの。お前が魔獣であるなら、私の前で跪くことはできないはずよ」


 ベアトリクスの推測はおおむね正しい。

 魔獣は人族を見下している。この点については同意するが、不本意ながら、人族のなかには魔獣を使役する者がいるのも事実だ。

 魔獣使いテイマー

 五百年前、俺を使役しようとした輩はすべて胃の中に納めてやった。ベアトリクスがその存在を知らないあたり、この時代には死に絶えた術なのかもしれない。

 話題が逸れた。

 俺は魔獣の記憶を持った人族だ。ゆえに魔獣のことわりに縛られはしない。


「どうしたのかしら。無理なら無理とおっしゃ――え?」


 俺は床に膝をつき、迷うことなく土がこびりついた爪先に唇を近づけた。しばらくそのままでいたが、爪先がひっこんだ。

 俺は顔を上げる。

 ベアトリクスが不満げに顔を歪めていた。

 言われたとおりのことをしたのに、何がいけなかったのだろうと、俺は首を傾げる。


「……お前、人族としての誇りはないのか」

「そんなもの、持っていても腹は膨れませんよ」


 人族として、魔獣としてこうあるべきだという得体の知れない矜持きょうじは、時に失いたくないモノを守る妨げになる。

 なりふりなんて構っていられない。俺はもう何も取りこぼしたくはないのだ。


「私に説教をするなんて、良い度胸してるじゃない」


 ベアトリクスは不機嫌な様子から一転、口角をあげた。


「侍女よりも忠誠心の厚いこと」


 俺はその場で片膝を立て、頭を下げた。見よう見まねの礼だが、ベアトリクスは満足したようで、

「魔獣が人族に情を抱くなどありえないものね。……疑って悪かったわ。これからも皇帝家に忠誠を誓いなさい」

「はい」


 床を見つめたままでいると、魔石が視界の端に転がった。足音とドアが開く音がする。

 ベアトリクスの気配が完全に消えたと同時に、俺はホッと肩から力を抜いて床に尻をついた。

 つぎはぎだらけのズボンのポケットの生地をひっぱると、赤い石がゴロゴロと床に転がる。  

 手のひらに巻いた包帯に血がにじんでいた。表面には細かな赤い粒がこびりついている。

 一か八かで己の血を固めて作った甲斐があったというものだ。

 『オルグ』は人族の身体でありながら魔獣の性質を引き継いでいる。厄介な生まれ変わりをしたものだ。


「魔石か……いくらで売れるんだ?」


 闇市を通せば買いたたかれるであろうが、それでも孤児院の仔らに食わせるモノを得る足しには、なるだろう。俺は血の結晶を窓にかざした。内部で、赤い光りが弾けては消える。


「魔獣は人族に情を抱かない、か」


 であれば俺は魔獣であった頃から魔獣ではなかったということになる。それなら俺は何なのだ?

 いくら己の血の塊をのぞき込んでも、答えは見つからなかった。

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