5話 孤児院襲撃
前世の夢から目覚めると、見慣れた孤児院の天井が目に入った。
天井に手をかざす。
細くて骨ばった指先だ。指を握ったり開いたりしてから腕を降ろした。
窓から差し込む月明かりに照らされた木目をぼんやりと眺める。
俺の前後左右にはベッドが並び、いびきや寝返りの音が幾重にも鳴り響いていた。
騒々しくも穏やかな夜だ。
陽が昇るまで眠ろうと、ふたたび目を閉じた矢先、前庭に人の気配がした。
ゆっくり、俺のいる大部屋へ近付いてくる。
貧民街では盗みや殺しは日常茶飯事だ。
先日の夜更け、門前でコソコソ蠢く影がいた。人族の雄どもで、貧民街の住人である。
純粋に何をしているのか気になった。
俺は雄どもの背後から声をかけた。
「孤児院に何か用ですか?」
振り返った雄どもは石のように固まった。
四対の瞳は、どれも獲物を狙う光を宿している。
一体の雄が短剣を手に、俺の腹めがけて突進した。
剣先が腹に食い込む寸前、俺は敵の手首を捻りあげ、反対の手で喉を潰した。
雄は声を上げることもできず、頭から地面に倒れる。
他の雄どもは後じさり、路地の暗闇に消えた。
雄どもの正体は人買いだった。仔らを連れ去り、欲しがる人族に売るのだという。
子どもたちを守ってくれてありがとうと、アリスは俺の手を両手で握った。
ごくたまに身ぎれいな人族が仔を買いに孤児院を訪れる。そいつらと人買いがどう違うのか、アリスに尋ねるも困った表情をされたので、それ以上尋ねるのをやめた。
結論、孤児院の長の許可を得ず、夜半に訪れる客は排除すればいいのだ。
静かに上掛けをめくり起きあがった瞬間、窓ガラスが割れた。耳障りな音とともに、ガラスや木の欠片が飛び散る。
窓枠を乗り越えた侵入者は黒いマントをはためかせ、俺に殴りかかった。
顔の前で腕を交差させる。重い衝撃に、いきおい俺はベッドから転げ落ちた。
すぐさま片膝立ちになるも、頬に侵入者の拳がめり込む。
「……っ!」
鈍い音が頭蓋に響いた。口の中に血の味が広がる。
折れた奥歯を口の中で転がしながら、俺は侵入者を凝視する。
背丈は俺と同じくらいである。
目深に被ったフードで顔は見えず、全身を覆うマントで骨格が隠されていて、歳や性別を判別することができない。
人買いは複数で孤児院を襲う習性がある。これだけ暴れて仲間が現れないということは、侵入者はひとりだということだ。
狙いが仔らではないのだとしたら、こいつの目的は何なのだ?
俺が折れた歯を吐き出すと、侵入者は窓際に退き、その場で小さく跳ねた。
いつでも俺に襲いかかれると言わんばかりの仕草である。侵入者の足踏みにあわせて床板がギシギシとリズミカルに軋んだ。
「オルグ……?」
雌の仔が瞼を擦りながら起き上がった。
「もう、うるさいなあ」
「あれ? まだ外、暗いじゃん」
続々と他の仔らも目覚め、寝ぼけ眼で周囲を見回す。
最初に目を覚ました雌の仔が、頬を腫らした俺と黒ずくめの侵入者を認め、不安げに顔を歪ませる。
「え、オルグ、顔が……」
侵入者の注意が仔らに向いた。
俺は侵入者めがけて突進する。黒ずくめの腰をすくい上げ、窓から放り出した。
間髪入れず、俺も前庭へ躍り出るも、足がもつれる。
「うわーーん、こわいよぉ」
「アリスを、院長を起こしに行くぞ!」
屋内では、仔らがてんでバラバラに騒ぎ出している。
侵入者は逃げる素振りをみせず、拳を身体の前にかざした。拳から肘までは黒い光沢を放つ金属に覆われている。金属が発する魔力で侵入者の腕が歪んで見えた。
侵入者は中指を立てる。自身が有利であることを示したいようだ。
油断している相手には隙ができる。
俺は侵入者に勘づかれないよう、ズボンのポケットに手を忍ばせた。月に雲がかかった隙を見逃さず、俺は侵入者にむかって走り出す。
「無駄だっての」
侵入者は両腕で顔をガードしながら、俺を嘲笑った。若い声だ。聞き覚えのある声だと思いながら、俺は侵入者の腕に右手を押し当てる。
すると黒い腕と俺の手が同時に光った。
「うわっ! なんだ!」
閃光が収まる。
魔石と腕の形をした黒い金属が地面に転がった。
「魔力切れかよ……オルグ、てめぇ、なにしやがった!」
何をしたかと言えば、俺の血で作った魔石に金属が
それよりも、なぜこいつは俺の名を知っている? 前世と『オルグ』、どちらの記憶を探っても、見当たらないのだが。
首を傾げていると、侵入者は唾を飛ばしながら叫び、フードをめくった。
「このイアン様を忘れたとは言わせねえぜ!」
若い人族の雄だ。片目が潰れている。残った目は血走っていた。
かつて『オルグ』とともに盗みを働いていた雄の仔だ。俺が盗みに加わらなくなってから、数人の仔らとともに姿を消した一人である。
そもそも侵入者が身元を明かしては具合が悪いだろうに、よほど俺が覚えていないことに腹が立ったとみえる。
俺は金属を拾い、イアンから距離をとる。
頭に血が上っているのか、イアンは武器を奪われても慌てた素振りを見せない。
「……お前、何しに帰ってきたんだ?」
散々孤児院の文句を言って出ていったのに、なぜ戻ってきたのか。俺は純粋に不思議に思った。
イアンはこめかみを引き攣らせ、
「帰ってきたわけじゃねぇよ。仕事だ、仕事」
「孤児院を襲うことがか?」
「てめぇ、何様のつもりだよ。質問してんのは俺様だ。ガントレットに何したのかって聞いてんだよ!」
「お前に教えてやる義理はない」
「……ああ、そうかよ。なら言いたくなるようにしてやんよ!」
イアンは勢いよく腰から短剣を抜いた。
腹を空かせた魔獣のごとく、
「口きけるようになってから、いやに善人ぶってよぉ。バカ面で俺のあと追いかけてたときは可愛げがあったのによぉ。ババアやガキどもに媚び売って英雄ヅラしやがって……そうやって人のモン盗むのがてめぇの本性なのによぉ」
短剣からは魔力を感じない。ただの金属だ。
素手でイアンを仕留めるには距離がありすぎる。
『オルグ』の肌はやわらかく素手では剣を防げない。
ないよりはマシかと、俺は黒い金属――ガントレットの金具を腕に巻きつけ、魔力を流した。
ガントレットの黒い表面が、ぬめり気を帯びた輝きを放ち、内側が俺の肌にピタリと張り付いた。
途端に視界が揺れ、膝から崩れ落ちそうになる。
よろめく俺に、イアンは高笑いをした。
「お前、バカ? 訓練してねえ奴が神器の魔力酔いに耐えられるわけねえだろうが!」
イアンは短剣を逆手に持ち俺を切りつける。
とっさに俺は片腕で刃を受け止めた。
短剣はガントレットにぶつかるや否や、金切り音とともに真っ二つに折れる。
「は?」
イアンは目を見開いた。
装着者の魔力を吸い上げることでガントレットは強化されるらしい。
深呼吸して魔力の出力を抑える。めまいが落ち着いてきた。
驚愕するイアンの腹に、俺は体重をかけた拳をめり込ませる。肉の感触ではなく、金属の砕ける音がした。服の下に鎧を仕込んでいたようだ。
「……ぐっ、はあ!」
イアンは身体を折り曲げ、よろめいた。
魔力を少し吸わせただけで、この威力。
指を曲げ伸ばしする。動かすごとに金属が肌に馴染んだ。
俺はイアンの胸ぐらをつかみ、血走った片目を覗き込む。
「なぜ孤児院を狙ったんだ?」
イアンは宙づりにされたまま、無言で俺を睨みつける。決して屈しないぞと言わんばかりである。
今ここでイアンを殺すのはたやすい。
しかし殺せば孤児院を狙った理由が、わからずじまいになる。結果、第二、第三の侵入者が襲いかかってくるのは
ここで目的を吐かせておく必要がある。
「誰に頼まれたんだ?」
イアンの瞳が微かに揺れた。
孤児院に金目のものはない。
襲って何になるというのか。
もしや俺が標的かと仮定してみれば、ベアトリクスの顔が思い浮かんだ。
しかし彼女ならみずからの手で俺を仕留めようとするだろう。
気は進まないが、骨の一本でも折るしかない。
孤児院の裏手には鬱蒼と生い茂る雑木林がある。
俺はイアンを宙吊りにしたまま、暗がりへ足を向けた。
「……裏切り者が、いい気になんなよっ」
どこから取り出したのか、イアンが地面に向かって何かを放り投げた。
途端、辺りに煙が充満する。
強烈な臭いに、俺は思わずイアンから手を離してしまった。
「オルグ! てめぇは俺がぜってえブッ殺してやる! それまでせいぜい英雄ごっこを楽しむんだな!」
イアンは煙と闇に紛れ姿を消した。
けたたましい高笑いが俺の脳裏にこびりついた。
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