第1話 華街
灯籠に明かりが灯れば夜が来る。
「おにーさん、今日は私を買ってくれない?」
「そこの男前の旦那、今晩はウチで飲んでいかないかい?」
行き交う人々に遊女や、飲み屋の店員が声を掛ける。
夜なのに賑やかで、提灯や灯籠が明るく昼間のようだと思った。
華街は昼間よく人が行き交う大通りから外れた所にあり、俗世とは切り離されたかのような場所だ。
遊女は大体が女がなるが、それとは別に男も自分を売る所がある。
そこは華街の路地を何度か曲がった所、もっと俗世とは切り離されたような歪な場所。
男なんて需要がないと思うだろう?
ところが、世の中には変わった奴はたくさんいるらしく、それなりに利益があるのだ。
遊女がいる華街が表なら、こちらは裏の華街といった所だろう。
「葵、今日は君に贈り物を持ってきたんだ。」
そう言って俺の馴染の客は、いつもの手順が終わった後来たときに持ってた袋からゴソゴソと何かを取り出した。
「この間、仕事で西の方に行ったんだ。その時小間物の店で売られていた物が目に留まってね。」
ほら。と目の前に差し出されたそれは、どう見ても女物の簪だった。
綺麗なべっ甲で、飾りには青い蝶々と花が付いている。
「葵は髪が長くて綺麗だろう?だから似合うと思って。」
正直趣味じゃないし、ほかの客も似たようなものを渡してくるので欲しくもない。
だけど、俺はプロだ。それにここでは本当は要らない。
「すごく綺麗。ありがとう。」
ニッコリと嬉しそうに笑えば、その客は満足したらしく俺の方が綺麗だと言った。
俺はすぐさまその簪を髪に付けてみる。
「あ、葵……」
客が俺に手を伸ばしたその時、廊下から壁をコンコンと叩く音がした。
「長代様。そろそろお時間です。」
そうだ。この客は長代とか言う奴だったと、心の中で思う。
「もうそんな時間か…?」
ここの店は1日分のお金を払っていない客は時間が決まっており、大体一刻となっている。
「長代様、また来てくださいますよね?」
別れるのが惜しいという風に表情をつくれば、必ず会いに来るよと力強く手を握られた。
そうして、長代という客が帰ると俺は部屋の片付けを禿に頼み、客室ではない自分の部屋に戻ることにした。
「はぁ……。疲れた。」
確か今日の予定はあの客で最後だったはず。
楼主に確認しようと廊下を歩いていると、タタタと角の先から誰かが走ってくる音が聞こえた。
「うわぁっ!あっ!葵さん!」
角を曲がってきたのは同じ若衆の奴だった。
なにやら焦っている様子で、息が切れてハァハァと苦しそうだった。
「どうした?そんなに急いで。あんまり五月蝿く廊下を走るなよ。」
まだ他の客がいるのだからと注意すれば、そいつは内緒話をするかのように身を屈めて声を小さくして言った。
「足抜けですよ!足抜け!」
「!」
足抜けとは、借金の返済が終わってないのに勝手に逃げ出すことだ。
この華街には囲いのような高い壁があり、その壁の先端は登りにくいように内側に反り返りがしてある。
それに、入口は一箇所しかなくそこには門番が四六時中居て、遊女や若衆以外は入場時に切符を渡される。それを退出時に返さなければならず、脱出は困難で、もし逃げようものなら置屋も躍起になって探し回り捕まれば罰を受けなければならなかった。
「門には来てないって事なんでどこかの店で匿ってもらってるのではと、皆確認しているんです。」
その見回りを自分は頼まれたと。
「逃げられる訳ないのに、本当こっちまで忙しくなるから勘弁してほしいですよね。」
捕まったらその遊女は大変だろうに、その事は心配する素振りはなく、ただ迷惑そうにするだけだった。
「あ、葵さんも見回り手伝ってくださいよ。」
「嫌だよ。これから休みに行くんだから。」
面倒なのと、もう休憩の気分だった俺は即座に断る。
「頑張れ。」
ポンとそいつの肩を軽く叩いて通り越す。
「えーっ?!葵さん!」
そんな俺の後ろ姿に残念そうに叫ぶのを無視して、楼主にこの後の予定を確認したら、足早に部屋に戻った。
数日後、逃げた遊女が見つかったとそいつから聞かされた時は、『ああ、やっぱりか。』と思った。
どうやら、1人の客が手引をしたらしくその客は罰として、もう華街に出入りする事は叶わなくなったらしい。
「嘘で塗り固められたものに、その客は本気になっちゃったのかね……。」
俺はボソリと、部屋の窓から空を見上げて独り言を呟いた。
窓からみた空は、青く広くて自由に鳥が飛んでいて絶望の様な虚しさが心に広がっていく。
見ているのが辛くて、窓を閉めると夜に備えて準備を始める。
これが……、いつもの華街の日常だった。
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