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美大の人は教えてくれた。
「あの人、有名なギャラリーの主人だから」
「ギャラリー?」
「美術系知らない子はわからないか。絵を売買している人。如月くん、あのお母さんに絵のやり取りをずっとしてもらってたからねえ……」
カチリカチリとなにかがはまってきそうな気がした。
マンションの上層からキャンパスを投げ捨てたとき、如月さんは私が止めに行かなかったら、そのまま一緒に飛び降りていた……あの人はなんにも悪くないはずなのに、なにかに追い詰められていた。
絵を描けない自分には価値がないと思い詰めていた。そんなことはない。あの人は口が悪いし、意地が悪いし、態度が悪いし、子供舌だけれど。でもあの人は自分自身の不甲斐なさを誰よりも自覚していて、自分の底意地の悪さもどうにか飼い慣らそうとしていた。自分をどうにかしようとしていた。
そんな人を高層マンションに閉じ込めていたのか。そんな人をひとりぼっちにしていたのか。そんなの。そんなのって……。
いくらなんでもあんまり過ぎる。
私は線香をあげ、如月さんの眠っている棺桶を一瞥してから、帰ることにした。
……前は七日間あったのに、今は五日間しかない。お願いだから、如月さんと話をさせて。あの人をこれ以上死なさないで。
お願いだから、これ以上、あの人から奪うのを止めて。
私は日記を書いた。
【如月さんが死にませんように。如月さんが追い詰められませんように。如月さんは楽しく人生を生きられますように。如月さんが好きな絵を描けますように】
それはもう、目標でも目的でもない、ただの祈りだった。
きっとなにも知らない人から見たら、なんだこれはと引くだろう。でも私は至って真面目だった。
あの人は頑固者だし、意地が悪いし、口も悪いし、態度も悪いし。いいところを一生懸命見つけ出そうとしても、パッとは出てきてくれないし、どうしてこんな人を好きになってしまったのか、私だってわからない。でも。
あの人の横顔が好きだった。物を見るときの一途な目が好きだった。その目を奪わないで欲しかった。
私は次の日、どうかループをさせてほしい。如月さんと話をさせて欲しいと祈りながら眠りに付いた。
お願いだから、死なないでと。そう何度も何度も祈りながら。
****
次の日、私は慌ててスマホでカレンダーを確認した。
……最初の一日目に戻ってる。やっぱり、七日間から五日間に周回する日が変わったんだ。そう思いながら、私は急いで着替えた。
アプリで美月に連絡を飛ばす。
【今日から一週間サボるから、授業のノートよろしく】
【いいけどどうしたの?】
【ちょっと戦ってくる】
【なんて????】
当然ながら困惑気味な美月だったけれど、私はそれを無視して、朝ご飯にパンを生で囓って荷物をまとめた。
あの高層マンションは檻だ。どうやったらあの母親に会えるのかはわからないけれど、私は如月さんに会わないといけない。
あの人が何度繰り返しても死んでしまうのを、変えないといけない。
……死なせてあげるのが、あの人の本望だなんて。そんな人生は嫌だ。生きていて楽しいことなんてないって、そんなのは嘘だ。もし楽しいことがひとつもないんだったら、どうして如月さんは、依頼以外の絵を描くんだ。
それはあの人が依頼以外で描きたくて描きたくて仕方がなくなったから描いたはずなのに、それすら否定されてしまう人生なんて、必要ないじゃないか。
通い慣れた道。見慣れた街並み。まだ高層マンションにキャンパスは落ちてない。まだ掃除のためにオートロックは開けっぱなしになってない。通勤で通るひとが開けたのをいいことに、私はそのまま駆け出した。
既に何度も何度も通った如月さんの家で、私はお向かいの田畑さんにも聞こえるような大声を上げる。
「おはようございまーす!! 如月さん!! 如月さん!! おはようございまーす!!」
ガンガンガンガンガンダンダンダンダン。
ドアを叩きまくり、声をがなり立てて、必死で呼びかける。
落ちないで。飛び降りないで。そう必死で取り繕いながら、私は顔に笑顔を貼り付けた。
さすがに手が痛くなってきて、だんだん感覚がしなくなってきた。どうしよう。また飛び降りていたら。
そう思って身が竦んだところで、やっと扉が開いた。
「うるさい」
「あ……ああ……ああああ……ああ……………っ!」
いつもの無愛想な声。いつもの不機嫌な顔。いいところなんて本当に見つからないのに、それでもその悪態に私は安心して。
いつかのときのように泣きはじめた。それを困り果てた顔で、如月さんは見下ろしている。
これを最後にしたい。そう頭の片隅に留めながら、私はひたすら泣いていた。
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