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次の日……とは言っても、違うか。
目を覚まし、スマホに手を伸ばしてカレンダーを確認する。
……たしかに、一週間巻き戻って、一週間前の同じ日になっていた。
私は制服に着替え、学校に行くふりをしてから、学校のアプリグループに連絡を入れた。
【祖母が危篤のため、しばらく休みます】
しばらくしたら、担任から返事が返ってきた。
【お大事に。もし忌引きになりそうなら、すぐに連絡しなさい】
【ありがとうございます】
内心おばあちゃんごめん、と謝った。今での電車で一時間はかかる場所までフラダンス教室に通えるくらいに元気なうちのおばあちゃんは、健康診断でも年不相応に健康的だ。
お母さんがパートに行く頃合いに私は家にとんぼ返りすると、急いで私服に着替えて走りはじめた。
一週間前は何度も通った道だけれど、体はまだ歩いてきた道を覚えていないのだろう。私は走りながら、キョロキョロと高層マンションを探した。
……あった。私はオートロックを見張った。今は地元の小中高の登校時間はとうの昔に過ぎ、通勤時間がはじまりつつある。でもここの高層マンションの住民はサラリーマンはあまりいないんだろうか、いまいちオートロックの開閉が起こらない。うちのマンションだったら、通勤ラッシュ時は頻繁にオートロックが開閉するというのに。
掃除にやってくる管理人さんを待っていたんだったら、如月さんとの接触に間に合わない。もうちょっとしたら、あの人はキャンパスを叩き落としてしまう。
そう思って「どうしようどうしよう」と悩んでいたら。
オートロックが不意に開いた。うちの市制定の燃えるゴミの袋を見て、私は喉で「ああ」と言った。どうも今日のゴミの日でゴミ捨てに来たらしい。私は見知らぬゴミ出しに来た人に「ありがとうございます」とお礼を言ってから、急いでエレベーターに乗り込んだ。
急いで。急いで。如月さんがキャンパスを捨ててしまう前に。
……彼がマンションから投身自殺してしまう前に。
私は祈る思いで如月さんの家の前に到着すると、怖々とチャイムを鳴らした。
手を組んだ。お願いだから出て。お願いだから死なないで。
「……はい?」
「あ……」
不機嫌さを隠そうともしない如月さんは、ドアを開けた瞬間不機嫌に目を吊り上げた。
「なんだ、朝から騒々しい……」
「あ……あ……」
なにか上手いこと言える言葉はあっただろうに。
「ファンです!」でも「好きです!」でも……この場合の好きは「LOVE」ではなく「LIKE」だからなにも間違っては以内……言えばいいのに、私は如月さんを見た途端、言葉を失ってしまった。
メガネ越しにこちらを不機嫌に睨んでくる如月さん。先程までキャンパスの絵を描いていたのだろう、油絵の具の匂いを漂わせて、ドアノブを握る指先まで絵の具で染め上げた彼は、たしかに私としゃべって、私を見ている。
投身自殺していない、生きている如月さんだ。
とうとう感極まった私は、ボロボロと泣き出してしまった。それに如月さんはムッとした顔をする。
「なんなんだ君は。なんで僕の顔を見た途端に泣くんだ」
「えっと……えっと……如月さんに会えたのが嬉しくって」
「はあ?」
「えっと……私、あなたを見て、あなたを知りたいと思って、ここに来ました」
「はあ……?」
言葉を吐き出した途端、私は「しまった」と思う。
こんなの堂々としたストーカー宣言だ。でもな。如月さんは絶賛スランプ中な中、下手に彼の「ファン」と名乗るのも「絵が好き」と言うのも、なにかが違う気がした。
如月さんをどんどん追い詰めた原因、高層マンションの一室に閉じ込められている原因を知りたいからこうして押しかけてきたのに、このまんまじゃ気難しい如月さんのことだから、警察を呼んで私を退散させようとするかもしれない。
どうしよう、どうしよう。
なんとか他の言葉を探そうとする中、やがて溜息をついた。
「こんなところで泣かれると迷惑だ。僕は本当になにもしてないのに、これじゃ僕が泣かせたみたいになる。さっさと家に上がって、それから帰ってくれ」
「あ、はい……お邪魔します……」
「ん」
あれ……?
私はベソベソ泣きながら、とりあえず如月さんについていった。
どうして上げてくれたんだろう。絶対に追い出されると思ったのに。そして家の中に入ると、この前……周回前……に来たときよりも、油絵の具の匂いが濃いことに気付いた。
やがて、大きなキャンパスが壁に立てかけられ、生乾きのまま絵が描かれていることに気付いた。この絵は間違いなく、私が拾ったキャンパスだった……まだキャンパスは割れておらず、その絵も完成させる気があったんだろうと、ほっとした。
如月さんに「絵が好きなのか?」と尋ねられ、私は小さく頷いた。
「お父さん、会社で絵を描いてますんで。広告画家、らしいです」
「そうか。インスタントのコーヒーならある」
如月さんはたくさん稼いでいるせいなのか、あちこちからお中元をもらって、そのお中元箱は隅っこに積まれたままだった。インスタントコーヒーを入れたお中元箱も積まれたまんまで、それを発掘してくると、カップにそれを入れてお湯を注いでくれた。
クリームだって、お中元箱に付属でついてきた奴だ。生活感のカケラもない人は、そうやって食べ物管理しているのかと、思わず愕然とした。
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