今日の愛は大盛りで

与野高校文芸部

今日の愛は大盛りで

 静寂に包まれた校舎に、規則正しい足音のリズムが響く。

かかとを離して階段を上ってみる。なんだか、礼儀が正しい行動であるような気がした。

 隅にまとめられた埃。雑に行われたであろう床の水拭きの跡。それらを見ても、何も思い浮かばなかった。

「リク、リク」

 廊下の先から、「彼」の声がした。

「……学校来るの、早いね」

「リクに、話したいことがあってさ」

 そういって、「彼」はこちらへと急ぐ。

「珍しいものを見つけたんだ」

「ああ、そう」

 昔とは違う、少し濁ったような目。腕についた、いくつものカサブタ。

 聞きたくない。この場から離れたい。そう思っているのに、足を動かせない。

「……ごめん、でも、聞いてくれるかな」

 ごめん。「彼」の口から、こんなセリフを聞くだなんて。

 少ししてから、「彼」は再び口を開いた。

「アゲハチョウ」

「アゲハチョウ?」

 思いもしなかった言葉だった。しかし。

「アゲハチョウがさ、死んでいたんだよ」

 この言葉を聞いた瞬間、何かが壊れてしまったのを感じた。

 僕は昔から、生き物が好きだった。「彼」はそれを理解しているはず。でも、忘れた。忘れてしまったんだ。

 ――変わっちゃったね

 小さな頃から、僕らは親友だった。僕にとっては「彼」が全てだった。「彼」が好きな食べ物、色、ゲーム、漫画、教科、曲。世界の美しさを教えてくれたのは、いつも「彼」だった。

でも、時間が経つにつれて、僕と「彼」との間には壁ができてしまった。

 僕には「彼」以外の友達ができなかった。でも、「彼」の周りにはいつも人がいる。

 ただ「彼」と一緒にいたい。「彼」がいないと、僕は透明なままだ。

 今までふんわりと感じ続けていたもの。ただ、それを口に出してしまえば、全て終わってしまう。何となくそう感じて、口に出すことができなかった。

「放課後、一緒に見に行こう」

「いや、大丈夫」

「リクだけしか誘わないから。いいでしょ」

「……」

 ――どうして?

 分からなかった。何もかも、分からなかった。


 放課後。

 今朝の「彼」の言葉が、頭から離れなかった。まるで、呪いにでもかかってしまったかのようだ。

 僕に話したいこと。珍しいもの。アゲハチョウの死体。

 その時、僕の頭に一つの仮説が思い浮かんだ。

 ――よかったね

 ……そう、よかったんだ。

「ユウキ……」

 思わず、口からこぼれてしまった。

 もしあの時「見に行くよ」と答えていたら、ユウキは喜んでくれたのだろうか。

 誰もいない帰り道。少し暗くなった空。

僕は腰を下ろし、■■■■■。


 翌日。

静寂に包まれた校舎に、規則正しい足音のリズムが響く。

 隅にまとめられた埃、雑に行われたであろう水拭きの跡。なんだか、それらが腹立たしかった。

「リク」

 ユウキの声が耳に入ると、僕の心臓が大きく音を立てた。

「どうしたの」

「大きな虫の死骸を見つけた」

 ユウキは言葉を続ける。

「二匹、並んでいた」

 まっすぐな目で僕を見つめた。

「……どう思う」

「どうって、別に」

「だって、お前は」

 ユウキは視線を足元に移し、少し震えたような声で言った。

「ユウキが楽しいのなら、それで十分だよ」

 昨日は動かすことのできなかったこの両足が、まるで誰かに操られているかのように軽く動いた。

「楽しいって、そんな」

 そう言い放つユウキの姿には、見覚えがあった。

 それを見ると、なんとなく心地が良くなった。


 放課後。

 これは、僕を捨ててでもやらなくてはならないこと。

 ただ、捨てきるのは、もう少し後がいい。……なんていうのは、ワガママだろうか。

 ■■■■■■■■■■。

 翌日。

「小さな虫の死骸が、たくさん集められていた」

 いつもと同じ場所で、ユウキは言った。

「……どうしてかな」

「どうしてって」

「どうして、こんな」

 ユウキの顔を見なくても、どんな表情をしているかが分かった。

 キラキラの笑顔だ。そうに違いない。

 正しいことのはずなのに、胸が少し痛い。

「ユウキ、嬉しそうだね」

「……」

歩き始めて、ふと思った。

 ――毎日こんなに朝早くから学校に来れるのなら、前からそうしてくれよ。


 ■■■。

これは「愛のおまじない」。

 愛を込めて、■■■。


 翌日。

「たくさん死んでいた。もう訳が分からなかった」

「……」

「リク、今日、一緒に帰ろう」

「いや、そんな、申し訳ないなあ」

 そう言い放った瞬間、視界が揺らぎ、頬に少しの違和感を感じた。

「リク、最近変だ」

「そっか」

 ――ごめんね


 ■■■。

 今日の愛は大盛りで。


 翌日。

 金曜日。一週間が終わる。

 ただ、今日の朝はユウキに会っていない。

 どうしてか。

 明日は、僕たちが好きなカードゲームの新弾の発売日。きっとユウキは……もうやっていない。

 来週は、僕たちしかやってないような規模の小さいゲームのアップデートの日。次のコラボは……ユウキは知らない。

 昨日は、会ったっけ。あれ、一昨日は。

 急に手がくすぐったくなってきて、こすった。

 クラスが笑いに包まれている。誰かが面白いことを言ったのだろうか。

 ――優希……

 面白いぐらい、涙が止まらなかった。訳が分からなくて、面白かった。

 

月曜日。

 気持ちのいい朝だ。

自由に飛んでいる小さな虫。道路を横切る野良猫。

 列になって歩く小学生。僕と同じ制服を着て騒ぐ人々。

 校庭で死んでいるカラス。

「やばあい」

「俺、グロいの無理なんだよな」

「なんで死んでるのかな」

 ――死。

 死、死だ。

 ――噓だ。

 殺した。殺した。殺した。

 ――僕が?

 毎日の放課後に。

 ――違う。

「リク、ごめん、俺のせいで」

 ユウキが言った。

「……違うんだ」

 気づけば、僕は走り出していた。

 ただ、走った。

 知らない。噓だ。違う。

「リク」

 声がする。

 期待していた。そうしてはならないのに。

 でも、「彼」は。

「話をしたいんだ」

「僕は違う、僕は」

「知ってんだよ、リクだろ。全部、リクがやったんだろ」

 ……

「俺が、リクに沢山の生き物を殺させたんだ」

「違う、違う」

「嘘だったんだ。リクと話したかったんだ。アゲハチョウが死んでるっていえば、ついてきてくれるだろうって思って」

「ああ……」

「そのせいで、リクに誤解させて、リクにあんなことを」

「違う」

「教えてほしい」

「……俺のこと、どう思う」

 振り返ると、そこには懐かしい姿があった。

 昔と同じ、僕で埋め尽くされた目。腕に通ったいくつもの汗の跡。

 誰の玩具でもない、鳥の巣のような髪。誰とも触れていない長い指。

 そこには確かに、優希がいた。

 焼き肉が好きで、淡い青色が好きで、カードゲームが好きで、スポーツじゃないゲームが好きな、長谷川優希が。

「優希」

 その名を口に出した瞬間、涙が溢れた。ただ、嬉しかった。

「僕は、優希がいないとダメみたいなんだ」

「ダメって、何が」

「嬉しいよ、届いたんだね」

「届くって、何が」

「少しワガママを言っていいかな」

「リク」

「ずっと、僕と一緒にいてほしいんだ」




 あの後、俺は感情のままに動いた。

 後悔などしていない。むしろ、清々しい。

 面倒なことは終わった。俺は「彼」と前へ進むだけ。

 ……いや。

「お、優希きた、寝坊かよ」

「違う違う」

「だよな、だって朝はいたもんな」

「あ、そうだったのか」

 賑やかな教室。

「それよりさ、いいニュースがあるんだ」

 面白い仲間たち。

「ムラタリクと、縁切ってきた」

 俺は、「彼ら」と前へ進む。

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