メイズ・メモリー
惣山沙樹
01 頭痛
酷い頭痛で目が覚めた。
割れそうだ。痛い、痛い、痛い……。
すがるように手を伸ばすと、柔らかいものに触れた。それが、眠っている男の頬だとわかるには少し時間がかかった。
「えっ……」
こんな男の顔は知らない。色素の薄い肌。長いまつ毛。茶色で癖のある髪。そして彼は裸だ。
昨日、俺に何が起こった? どうやらここはベッドの上で、男と一緒に眠っていたということなのだろうか。
そして、昨日、どころか……思い出せなかった。何もかも。自分の名前も。住んでいた場所も。俺はたまらず呻き声をあげた。
「ううっ……うわぁっ……ああっ……」
すると、男が目を開けた。
「どうしたの……メイくん……」
メイ? 誰のことを言っている?
とにもかくにも俺は目の前の男に助けを求めた。
「頭が、頭が痛いんです……気が……どうにかなりそうで……」
「薬ならあるよ。落ち着いて。取って来るからそのままでいて」
男はベッドを離れた。俺は胎児のように丸まって男が戻ってくるのを待った。
「ほら、メイくん薬。起き上がれる? 飲んで」
「はい……」
のっそりと身を起こした時に気付いたのだが、俺は全裸だった。腹のところにブランケットがかけられていた。男に差し出された薬をつまみ、コップの水と一緒に飲み、また横になった。
「メイくん、効いてくるまでそっとしておくからね。何も心配しなくていい。僕ならここにいるから……」
俺は目を閉じた。ズキン、ズキン、ととめどなく頭痛が襲ってきた。早く意識を手放すことができたら楽だろうに、一向にそうならず、俺の頭はぐるぐると思考を巡らせていた。
――なぜ、ここに? 俺は、誰?
与えられた薬がおそらくロキソニンであるということも。ベッドやコップや水という単語も知っていた。それなのに、自分のことが何一つ分からないのだ。そして、一緒にいたこの男のことが。
「あなたは……誰ですか?」
「えっ……ジュノだよ。昨日は何度も名前呼んでくれたじゃない?」
「俺、思い出せないんです……自分のことも、あなたのことも」
「確かに酔ってたけど……そんなに?」
「本当です。自分が誰か、分からないんです……」
ジュノと名乗ったその男は俺の髪を撫でてきた。
「うん……今はまだ混乱してるのかな。大丈夫。落ち着いて」
それから、ジュノさんは俺にキスをしてきた。
「えっ……」
「ごめん、嫌だった? 昨日は沢山してくれたから、つい……」
「済みません、本当に覚えてないんです」
ジュノさんの瞳は、透き通るような琥珀色だった。なんて綺麗なんだろう。
「あの、お、俺……」
「そうだね。僕が知っている限りのことを話した方がいいか。とりあえず、順を追って説明するね?」
ジュノさんは語った。俺とは昨晩、ショットバーで出会ったという。俺はメイと名乗った。それから意気投合。ジュノさんの家に来て――セックスをした。そして一夜明けたのだとか。
「証拠見せようか? ほら……」
ジュノさんがゴミ箱から取り出したのは、使用済みのコンドームだった。
「えっ、マジで?」
「そうだよ。昨日君と僕はこのベッドでセックスした」
「覚えてない、です……」
メイというのがどうやら自分の名前らしいのだが、全くそんな気がしない。無理やり身体を起こすと、身体の節々がきしむのを感じた。ジュノさんとセックスをしたのは間違いないのだろう。
「あの、鏡、見たいです」
「分かった。洗面所行こうか」
ジュノさんに連れられて行った洗面所の鏡には、少し鬱陶しい長さの黒髪の男の姿が映っていた。ツリ目で眉は細い。鼻筋はすっと通っている。二十代前半くらいだろうか。俺はぺたぺたと頬を触った。
「これが、俺……?」
「本当に記憶を失くしちゃったみたいだね。どうしようか……」
ベッドに戻り、ジュノさんと見つめ合った。
「あの……ジュノさん。俺とあなたは、昨日会ったばかりっていうことですよね」
「そうだよ。だから……メイくんのこと、ほとんど知らない」
ふと気付いた。
「ねえジュノさん、俺の持ち物は?」
「ああ……服がリビングに置いてあるよ」
痛む頭を抑えつつ、俺はジュノさんの後を着いてリビングに向かった。
「あっ、財布!」
デニムのポケットに、革の財布が入っていた。すぐさま取り出して、中身を見た。
「現金だけ……カードとか、何もない」
「メイくん、あとはこれかな?」
ジュノさんが、財布が入っていたのと他のポケットから、黒いキーケースを取り出した。中にはカギが一本だけ。
「ジュノさん、これだけじゃ……何もわからないですよね」
「スマホも持ってないね。気付かなかった」
行き詰まった。
「俺、俺、これからどうすれば……」
頭痛はマシになるどころか酷くなってきた。俺はぐっと奥歯を噛み締めた。ジュノさんが言った。
「とにかくさ、体調戻るまでじっとしてなよ。ベッド行こう」
「はい……」
ベッドに横たわった。ジュノさんが隣にきて、俺の手を握ってきた。そこから伝わる温もりのお陰で、いくらか気分が落ち着いてきた。
「大丈夫だよ、メイくん、大丈夫……」
そうして、手を握られたまま、ひたすら時が過ぎるのを待った。
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