『Deep River』

@minatomachi

第1話

福岡の街は、その日も変わらずに人々の営みを続けていた。天神の交差点で、人々が行き交う中、伊藤真紀は一人、途方に暮れていた。彼女の心に突き刺さるような痛みが、冷たい風と共に吹きつける。


その朝、真紀は夫の清志が交通事故で亡くなったという知らせを受けた。突如として訪れた悲劇に、彼女の心は凍りつき、時間さえも止まったように感じた。清志の存在は、真紀にとって日常そのものであり、彼なしではその日常が意味を成さないことに気付かされた。


葬儀の後も、真紀の心の中には空虚感だけが広がっていた。家の中は清志の思い出で満たされており、彼の笑顔や声が今も耳に残っている。夜が訪れると、彼女は独りベッドに横たわり、涙を流すことしかできなかった。


友人たちの励ましも、彼女の心には届かなかった。誰もが口を揃えて「時間が癒してくれる」と言ったが、時間は彼女にとって無情なものであり、癒しなどもたらさないように感じた。


ある日、真紀は書店でふと目に留まった一冊の本を手に取った。遠藤周作の『深い河』。そのタイトルと表紙に惹かれ、彼女はそのまま購入し、自宅で読み始めた。


物語の中で、主人公たちがそれぞれの苦悩を抱えながらも、ガンジス川で再生の希望を見出す姿に、真紀は強く心を動かされた。彼らの痛みが、自分の痛みと重なり合い、まるで自分自身がその物語の中にいるかのように感じた。


その夜、真紀はふと思い立った。「私もガンジス川に行ってみよう。清志の思い出を胸に、再生の希望を見つけるために。」


インターネットでインド旅行の情報を調べ始めた彼女は、ガンジス川での再生の儀式について詳しく知ることができた。心の奥底で、新たな希望が芽生え始めるのを感じた。


「ガンジス川の流れに身を委ね、清志との思い出と共に新たな人生を歩み始めるために。」


真紀は、インド行きの航空券を手配し、旅の準備を進めた。彼女の心には、清志の笑顔と、ガンジス川の流れに再生の希望を見つけるという決意が刻まれていた。


旅立ちの日の朝、真紀は清志の写真に向かって静かに語りかけた。「あなたのことを忘れない。でも、私は前に進まなければならないの。」


その言葉を胸に、彼女は空港へと向かった。福岡の街が徐々に遠ざかる中で、真紀の心には新たな希望が芽生えていた。


インドへの旅が、彼女にとって再生の旅であることを信じながら、真紀は飛行機に乗り込んだ。ガンジス川の流れが、彼女の心の傷を癒し、新たな人生の一歩を踏み出させてくれることを願って。


この旅が、真紀にとってどのような変化をもたらすのか。それは、彼女自身が見つけ出すしかない答えであり、ガンジス川の流れと共に彼女の心もまた、再生の旅を続けるのであった。

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