死神の眼『政界のドン 金丸信』

九郎

ある若き報道マンの回想

 唐突だが、のっけから質問を一つしよう。

「あなたが今までに出会った一番恐ろしい人は誰ですか?」

 この質問に、あなたはどう答えるだろうか。学生なら、学校のいじめっ子や不良だろうか。近隣で事件を起こしたレイプ犯や強盗犯、殺人犯、暴力団員かもしれない。社会には様々な恐ろしい人がいるが、俺が出会った一番恐ろしい人は政治家だ。


 東京の新宿区に、神楽坂という坂道がある。

 坂の下から上まで延々と商店街が続き、庶民的な食事処や喫茶店から高級な料亭まで様々な飲食店が並び、服や靴、本や文具の店、そして様々な会社がずらりと建ち並んでいる。

 そして、この坂道は車道が一方通行で、午前と午後でその方向が変わるめずらしい坂道としても有名で、総理大臣にもなった田中角栄の出勤と帰宅に合わせて一方通行の時間が決められたなどという逸話もある。

 もちろんそれは単なる噂話に過ぎないのだが、政治家の名前が出てくるだけで真実味が増して、人々がそれを本気にしてしまう。


 政治家とは国家を安定ないし発展させるための仕事に従事する人たちだ。彼らが右を向けば右に、左を向けば左にと、巨額の国家予算が動く。それゆえに、彼らは大きな力を持ち、権力と金をめぐる問題が常につきまとう。

 政治家とはそんな大きな存在ではあるが、実はわりと身近な存在でもある。彼らも政治家になる以前は我々と同じ一市民に過ぎず、未来の大物政治家も今はただの学生か、そこらにいる社会人だ。選挙期間になれば、ふだんはテレビでしか見ないような思わぬ大物政治家を街頭演説で見掛ける機会もわりとある。そんな時の彼らは立候補者や後援者と握手をし、手を振って、笑顔を振りまいている。あまり恐ろしげな印象はないだろう。


 政治家が恐ろしい存在だと知ったのは、とあるテレビ局で報道の仕事をしていた時だ。

 誰を取材するかも知らされずに、取材班の下っ端として連れて行かれ、着いた先の小部屋に金丸信がいた。政治の事などほとんど無知だった俺でも、子供の頃から何百回となくテレビで名前を聞いて育ち、この老人こそが日本を本当に動かしている政治家だという事ぐらいは知っていた。

 金丸信は、政界のドンと呼ばれた超大物政治家だ。田中角栄のように総理大臣を務めた事はなく、それどころか総理大臣になる事を拒否し、数々の総理大臣や閣僚たちを裏から操って、実質的に日本を動かしてきた陰の総理大臣だ。


 小柄で実年齢よりも老けて見えたが、その老人が目に映った瞬間に寒気がした。

(これが金丸信……)

 日本最後の大物右翼と呼ばれた赤尾敏の葬儀の取材で何十人ものスキンヘッドの右翼幹部たちに囲まれて恐ろしい思いをした事があったが、この金丸信というたった一人の老人から漂う恐ろしさはその時の比ではない。

「し、失礼します。ピンマイクをつけさせていただきます……」

 普段の取材ではそこまでしないのだが、身体が勝手に深々と一礼をした。震える手で金丸信のスーツの襟に触れた。そして、あらためて俺は間近で金丸信を見た。距離にして約五十センチだ。

(ああ、何だか気分が悪くなってきた……)

 小さな老人の眼を見ただけで、全身の精気を散らされたような気分になった。

 金丸信の眼は、死神の眼だった。表層だけは老人特有の濁った眼だが、瞳の奥底からは仄暗い死の埋み火が見えた。千人や二千人どころではない。一体、何人の人間の命を奪ったらこんな眼になるのだろう。まるで、冥界そのものを眼に宿しているかのような不気味さだ。

 同じぐらいの距離で、暴力団組長の眼を見た事がある。殺人犯の眼も見た事がある。彼らがいくら凶悪とはいっても、しょせんは人間に過ぎない。しかし、この老人は異質で、圧倒的で、人間の域を超越した何かに思えた。


 時間にすれば十数分だったかもしれないが、一時間以上もその小部屋にいたような気がした。記者が何をインタビューしていたのかすら記憶にない。あまりの恐ろしさに、これまでの取材では発揮した事がないほどの迅速さで器材をたたんで運び出し、すぐさま小部屋から撤収した事だけは覚えている。

「すげえ恐ろしかったです……」

 取材車に積んだ器材を片付け、俺は記者に言った。

「お疲れさん」

 記者は事もなげにそう言ったが、俺は一日分のエネルギーを使い果たしてぐったりしていた。


 後日、竹下登元総理大臣の取材にも行ったが、やはり一国を動かした人なだけあって、金丸信と同じような眼をしていた。

 実際に金丸信や竹下登が人を手に掛けたわけではないが、彼らの決定で巨額の国家予算が動き、それによって職を失い、生きる道を断たれた人も数多くいた事だろう。いざとなったら数千人の命を奪う決断をするというその覚悟が、総理大臣や政府首脳の政治家たちにはあるのだろう。そうした重責を担う日々を重ねていくと、あのような眼になっていくのかもしれない。


 余談だが、この時も俺は誰の取材に行くかを知らされていなかった。報道の現場では、取材班はわりと自由な服装が許されていた。しかし、俺はよりにもよって、龍の刺繍がほどこされたピンク色のスカジャンを着て行ってしまった。

「いい上着だね。とくに背中の“Japan”の文字がいい」

 竹下登は俺の服装を叱る事なく、満面の笑みで俺のスカジャンをほめてくれた。皮肉として言っている顔ではなかった。この人は、本当に日本が大好きなんだなと思った。

 後日、韓国の盧泰愚大統領が来日した際も、俺はスーツではなく、あえてこのスカジャンを着て取材に行った。


 国の舵とは、どれほど重いのだろう。

 そんな事を考えながらこの雑記を書いてみたが、政治の話はあまり好きではないし、これといってとくにオチもないので、この辺りで切り上げるとしよう。

 死神の眼になる程までに、その身を国に捧げた政治家たちがいた。彼らの判断ひとつで、千人単位の人たちの命が奪われた事もあっただろう。金丸信は金丸問題で失脚し、竹下登はリクルート事件で退陣を迫られて内閣総辞職をした。そして、これからもそういった事が続いていくはずだ。

 政治家を応援したくて書いたわけではない。批判をしたくて書いたわけでもない。日本史の教科書にも載らない、ウィキペディアにも書いてない、些細でどうでもいい貴重な体験をどこかに書き残しておきたかった。


 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


原著: 千筆会(匿名会員)

取材: 千賀地文月

編集: 九郎

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