第11話 判断材料

どこの病院でどんな分野の医者にみてもらえばいいのかも分からなかったので、区の保健師さんの存在はありがたかった…。

保健師さん曰く、いつも心理士さんと会っている会場に月に一度医者が来て、発達についてみてくれるとのことで、予約をとってくれた。

ここでようやく一話の冒頭に戻ることに。

医者の着眼点は当たり前だが想定外だった。

今回もテストなどはなく、くーちゃんと話すのみだったのだが

『距離感が5歳にしては近いね。普通5才だともう少し、初対面の人に警戒したり、親の後ろに隠れたりするんだけど、笑顔で至近距離まで近付いてきてお話、したからね』

とのことだった。

『ADHDの傾向性がありますね』

と、すぐに見抜いてくれたが、まさか初対面で初めて交わした会話の言葉ではなく、距離の取り方も判断材料になるとは思いもしなかった。

というか、傾向性とは…?

そうかもしれないけど、断言できないということだろうか…?

『現時点では、投薬やセラピーなどが必要とは思えません。幼稚園に通うこと自体が彼にとってのトレーニングになると思います。

幼稚園で、お友達をたたいて怪我させたり噛みついたりするなどの衝動もなく、担任がつきっきりで一日中彼を見なければならないなんてこともないなら、特に必要ないと思いますよ。これから様子を見てはどうですか?年中から年長にかけては、とても成長する時期ですし』

とのことで、特に教室に通うことも薬を飲む必要もないとのことだった。

『あとは、知性が助けることもあります。彼は知能が高いので。』

とも言われて、ハッとした。

くーちゃんはよく迷子になる子だった。

公園で階段を登るときに、次男をベビーカーからおろして、次男と手を繋いで畳んだベビーカーを運んでる間に、先に登りきっていなくなったこともあるし、スーパーではお菓子売り場に行ったあと、しょっちゅう迷子になっていた。

″知性が助ける″という表現がしっくりきたのは、迷子になったときに必ず迷子アナウンスがなったことを思い出したからだ。

4才の時から、サービスカウンターや店員をみつけて自分の年齢と名前を伝えられる子だった。

衝動的な行動を知性が助けてくれるというのは、こういうことなのかもしれないと思った。

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