第3章 第1話

 ランデル王子の、王太子即位を祝う宴会は続いている。

厨房では狩りに出掛けた貴族たちが持ち込む大量の獲物をさばいて調理することが求められ、城に残っている夫人たちからは、ひっきりなしに菓子と果物を要求されていた。

高い茶葉や日持ちのするクッキーなどの焼き菓子はすぐに提供出来るよう、高級な食器類とともに城内に保管されているが、いつもの常備量では追いつかない。

次々と舞い込む複雑な注文に、そうでなくてもギリギリの人数で回している厨房は、完全な人手不足に陥っていた。


「マノン! これを早く王宮にまで届けて頂戴! 急いでって言われてるのよ!」


 いつもは絶対に上級の使用人と私たちを会わさないようにしているミナであっても、これだけ忙しいとそうも言っていられない。


「さっさとしな! 向こうを待たせてるんだからね。さっきから催促ばかりしてお怒りだとさ!」


 焼き上がったパイが6つに、カトラリーまで足りないのか、厨房に置かれているあまり質のよくない質素な陶器の皿まで数十枚と、バスケットに詰め込まれたナイフとスプーン。

取っ手のついた陶器の瓶には、絞った果汁をブレンドした飲み物と水、絞りたての牛乳が二本ずつたっぷり満たされている。

それらを全て乗せたワゴンを、一人で運べと言う。

どれだけ一生懸命押しても、重たいうえに乱暴に扱うことも出来ない。

力を込め、最初の一歩を踏み出そうとした時、ロッテが私の隣に並んだ。


「私も手伝う!」


 二人がかりでワゴンを押し、ようやくそれは動き出した。

ガタガタと路面の悪い道を、上級使用人の待つ部屋の前まで運ぶ。

本来ならここでワゴンを受け渡して終わりになるのが、今日は私とロッテに、そのままここから一番遠い奥庭と呼ばれる庭園まで運べと言う。


「こんな重いの、とても私たちじゃ運べやしないわ。それに、とっても遠いの。あなたたちはこのワゴンをそこまで運んだら、中身を取りだして入れ替えるところまでやってちょうだい」

「はい。かしこまりました」


 私たち下級の召使いたちは貴族と顔を合わすこともないから、それぞれ自前の服を着ている。

しかし直接貴族と対面し世話をする上級の侍女たちとなると、全員がお揃いで仕立てられた、綺麗な制服を支給されていた。

隣に並んで立っているだけでも、その身分の違いは明白だ。


「さ、行くわよ。ついて来て」


 上級侍女たちがワゴンの中身を確認すると、その扉を閉める。

動かそうとした瞬間、それはガタリと大きく揺れた。


「あ、ちょっと待って」


 ロッテが中を開け、飲み物の入った瓶の位置を確認すると、すぐにそれを閉める。


「さ、行きましょ」


 私はロッテと並ぶと、重いワゴンを押した。

多少のでこぼこ道も、坂道だって問題ない。

段差や階段は、さすがに無理だと途中に控える兵士たちが持ち上げてくれる。

一番キツいのは、草の上だった。

ただただ広い大庭園の奥庭の芝生は見ている分にはとても美しいが、そこでワゴンを押すとなると、とたんに動かなくなる。

テントの張られた東屋のゴールまでもう少しなのに、そこからどうしてもワゴンは動かない。


「あぁ、もう! 仕方ないわね。中身を一緒にテント裏まで運んでちょうだい」


 侍女の一人が中を開け、パイの乗った大皿を手に取った。

もう一人の侍女もパイ皿を持ち、私もそれに手を伸ばす。

ロッテは牛乳の入った瓶を手に取った。

ゆっくりとくつろぐ貴族たちの視界に入らないよう、庭園の隅を大回りしてテント裏にそれを持ち込む。

用意されていたテーブルにパイを乗せると、白髪の老紳士が待ち構えていた。

ロッテはその耳のラインから白く長い髪をしている執事に、牛乳の入った瓶を渡す。

彼はしわがれたような重い声で言った。


「ご苦労。間違いはないか?」

「はい。間違いございません」

「では、計画通りよろしく頼む」


 私は侍女たちに命じられるまま、パイや食器を運んでいた。

ロッテはまだその執事と何かを話している。


「この中に入った指示に従えと?」

「今夜中に確認していただければ。こちらの求めに応じていただければ、確かなものにしてみせます」

「フン。相変わらず生意気な女だ」


 牛乳の入った瓶を受け取った初老の従者は、木立の奥に消える。

他に従う大勢の侍女たちは、運ばれたばかりのパイを切り分けるのに夢中だ。


「ほら。早く往復してちょうだい! 皆さまがお待ちかねよ」


 レンガを積んだ簡単なかまどに火がかけられ、湯が沸かされる。

鉄板の上にパイが置かれ、温め直された。

私とロッテは、ワゴンとテント裏を往復する。

今度は空になった瓶や使い終わった皿が、ワゴンに乗せられた。


「ちょっと。あなたたち」


 支給されたシワ一つ無い制服に身を包んだ侍女が、声をかけてくる。


「日が落ちたら、ここに戻って残ったお皿と食器を片付けておいてね。城内に入る許可は出してもらえるよう、お願いしておくわ」

「はい。かしこまりました」


 行きよりは幾分軽くなったワゴンを押し、もと来た道を帰る。

中身が入っていない分、運ぶ方の気は楽だ。


「また夜にも来なくちゃいけないのね」


 ロッテがうんざりしたようにため息をつく。


「あー。ミナが許してくれるかなぁ。入城の許可が貰えるなんて、名誉なことだけど」

「大丈夫よ。あの人、夜は帰りたい人だから」


 私はふと、気になったことを聞いてみた。


「ロッテは、さっきの人たちの中に、知り合いがいたの?」

「まさか! あんな人たちの間に、知り合いなんているワケないじゃない」

「でもさっき……」

「ねぇ、またあそこに夜一人で行くなんてイヤよ。ね、マノンは厨房で寝ているんだっけ?」

「厨房の、リネン室でね」

「そっか。じゃあ奥庭に行く時には、私にも声をかけて」

「分かった。一緒に行こう」

「うん。だけど、どうしてリネン室なの?」

「洗濯を任されてるから。たたみ終わったあとで、そのまま寝ちゃったことがあって、そのまま」

「あはは。洗濯したばかりのものに囲まれて寝ているんなら、快適ね」

「厨房の二階で、ネズミや虫に囲まれて寝るよりマシだわ」


 暖かな日差しが降り注ぐ。

どれだけ忙しくても下町で働くより、城内にいる方が一息つける時間はあった。

身の安全も確保されている。


「そういえば、ロッテはいつもどこで寝ているの?」

「馬小屋よ。あそこの藁の中に、シーツを隠してあるの」

「そうなんだ」

「ね、夜も一緒に片付けに行きましょ」

「いいよ」

「あーぁ。ミナさんに一人で行けって意地悪されなきゃいいんだけど」

「そんなこと言うかしら」

「言いそうじゃない! もし私がいなかったら、先に一人で行かされたと思ってね」

「うん」


 私たちは厨房に戻ると、ワゴンの中を取り出す。

洗い場には、これでもかというほどの汚れた皿が積まれていた。

普段は食器や鍋を洗うことのない調理師たちまで、料理長の指示で片付けにかり出されている。


「それが終わったら、すぐに明日の仕込みだぞ!」


 私は袖をめくり上げると、早速洗い物の山に取りかかった。

ふと顔を上げると、ロッテが果物の入ったバスケットを抱え、再び城内へと届け物に使わされていた。

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