第35話 奇策
「はああっ!!」
「うにゃっ!!」
迫りくるミイナに目掛けてコオリは氷弾を発射するが、先ほどよりも近距離にも関わらず、人間離れした動体視力と反射神経でミイナは回避する。
「とうっ!!」
「うわっ!?」
コオリに近付いたミイナは彼に飛びつき、そのまま地面に押し倒す。この時にコオリは握りしめていた杖を落としてしまい、彼の手元から杖が離れた途端に氷弾も消えてしまう。
ミイナに押し倒される形となったコオリは彼女を見上げ、ミイナの方は汗を流しながらも勝利を確信して笑みを浮かべる。しかし、それを見たバルルは声をかけた。
「今だよ!!やりなっ!!」
「やああっ!!」
「っ……!?」
コオリは服の中に隠し持っていた「小杖」を取り出し、それをミイナの顎に突きつける。こちらの小杖は学園支給された物であり、万が一の場合に備えて服の下に隠し持っていた。
まさか二本目の杖を隠し持っていたとはミイナは予想できず、この状況では彼女も反撃はできず、とても避けられる距離ではない。
「に、二本も杖を持っていたなんて……ずるい」
「……魔術師なら万が一の場合に備えて予備の杖を携帯する、これは魔術師の中でも常識らしいですよ。なにしろ一年生の授業で習う内容らしいですからね」
「っ……!?」
ミイナはコオリの言葉に驚き、彼女は魔術師でありながらそのような常識すら知らなかった。その理由は彼女が普段から授業をさぼっていたためであり、一流と呼ばれる魔術師の間では予備の武器を常に携帯しておくのは当たり前の事だった。
「そこまで!!勝者はコオリだ!!異論はないね!?」
「ううっ……分かった」
「ふうっ……疲れた」
いくら人間離れした反射神経と運動能力を誇るミイナでも顎先に突き出された杖を避ける事はできない。仮に杖ではなく、武器の類ならば相手の動きを先読みして避ける事もできるだろうが、コオリの場合は小杖から無詠唱で魔法を発動できる。
魔法の言葉を彼が口にすればそれに反応してミイナも回避行動を取れるが、無詠唱の場合は攻撃の予備動作が見抜けず、コオリが魔法を発動させた途端に彼女の頭が撃ち抜かれる。それを理解しているだけにミイナは素直に負けを認める事にした。
「……私の負け」
「よしっ!!よくやったね、コオリ!!」
「はあっ……」
ミイナから敗北の言葉を聞き出すと、コオリは力が抜けた様に腕を下ろす。ミイナは未だに自分がコオリを押し倒している事に気付き、流石に恥ずかしく思ったのか彼から身体を退く。そして倒れているコオリに手を差し出す。
「今回は私の負け……でも、次は負けない」
「ど、どうも……」
勝負を通してミイナはコオリの実力を認め、彼を立ちあがらせると笑顔を浮かべる。その一方でバルルの方はコオリの頭をに手を伸ばし、わしわしと頭を撫でる。
「よしよし、よくやったね!!これであたしも教師を続けられるよ!!」
「いててっ!?」
「むうっ……コオリに乱暴しないで」
「うわっ!?」
力任せにコオリの頭を撫でまわすバルルを見てミイナは何故か苛立ち、彼を抱き寄せる。ミイナに抱き寄せられたコオリは年齢の割にはふくよかな胸元に顔を突っ込む。
リンダも大きかったがミイナは彼女よりも一回りは大きく、その柔らかさにコオリは頬を赤らめる。その一方でバルルは誓約書を取り出し、それにミイナに署名するように促す。
「さあ、これに名前を書きな。約束だよ、今日からあんたはあたしの生徒だ」
「……分かった。でも、エッチな事はしないでね」
「あんた、あたしの事を何だと思ってるんだい!?」
バルルに言われた通りにミイナは署名すると、続けてコオリにも彼女は名前を書くように促す。二人分の署名を手に入れたバルルは急いでマリアの元へ向かう。
「よし、今日は二人とも疲れただろうから授業は無しでいいよ!!あたしは先生の所に行ってくるからね!!」
「あ、はい……気をつけて」
「行ってらっしゃい」
誓約書を手にしたバルルはマリアの元へ急ぎ、これで彼女は晴れてこの学園の教師として正式に認められるはずだった。
「ふうっ……一件落着かな」
「待って、まだ終わっていない」
「え?終わっていないって……わっ!?」
コオリがミイナに振り返ると何故か彼女は地面に横たわってお腹を見せていた。まるで動物が服従のポーズを取るかのような行動を行うミイナにコオリは驚くが、これが彼女なりのけじめらしい。
「私はコオリに負けた。だから勝った相手に従う……猫族の獣人の掟」
「ええっ……そんな掟があるんですか?」
「というわけで今日からコオリは私の飼い主……いっぱい可愛がって」
「どういう理屈ですかそれ……よ〜しよしよし!!」
「うにゃっ……くすぐったい」
とりあえずはコオリはミイナの猫耳を撫でまわすと、彼女はくすぐったそうな表情を浮かべる――
――翌日の朝、コオリとミイナは教室に赴くと難しい表情を浮かべたバルルが教卓の上に座っていた。普通ならば教師にも関わらずに机の上に座るという行儀の悪さを突っ込むべきなのだが、どうにも彼女の様子がおかしい事に気付いたコオリとミイナは顔を見合わせて首を傾げる。
「ど、どうしたんですか師匠?」
「元気なさそう……はっ、まさか今日は調子が悪い日?」
「え、調子……?」
「変な勘違いするんじゃないよ!!この馬鹿猫娘!!」
ミイナの言葉にコオリは意味は分からなかったが、バルルは顔を真っ赤に染めて怒鳴りつける。彼女は叱りつけた後にため息を吐き出し、二人に席に座るように促す。
コオリが席に座るとミイナは彼の隣の席に座り、バルルはそんな二人を見て腕を組んで考え込む。そんな彼女の態度に疑問を抱いたコオリは質問する。
「師匠、本当にどうしたんですか?具合が悪いなら無理しない方が……」
「あたしの身体は健康さ。ただまあ……ちょっとね」
「もしかして私達に関係する事で何か言われた?」
「え?」
ミイナの言葉にコオリは驚いて振り返ると、バルルはため息を吐いて頷く。彼女は昨日、学園長の元に訪れた時に難題を言い渡された事を話す。
「実はあたしらがこの教室を使い続ける事に問題があってね……」
「え?問題?」
「他の教師から抗議されたんだよ。たった二人しかいない生徒のために教室を一つ丸ごと貸し出すのは問題があるんじゃないか、とね。それにあたしも最近まで猫娘を追い掛け回してまともに授業もできなかったからね、その事もちょいと問題があると怒らてね……」
「それは可哀想、どんまい」
「誰のせいだと思ってるんだい!?」
この数日のバルルはミイナを捕まえるために奮闘していたが、その間に彼女は一度も授業をしていない。コオリに助言を与える事もあったが、彼女はまともな授業をしていない事を知った他の教員に問題視されている。
学園長も立場的にはバルルだけの味方をするわけにはいかず、他の教師の抗議を受けた以上はバルルに注意しなければならない。しかし、バルルとしても別に仕事をさぼっていたわけではなく、誠に遺憾な話だった。
「たくっ、他の教師共はあたしが遊び惚けているとでも思ってんのかね……こっちだって生意気な猫娘を捕まえるのに苦労してんだよ」
「それは嘘、私と追いかけっこしているときは割と楽しそうだった。私の行きつけの魚屋さんの従業員に化けて捕まえようとしようしたり、壺の中や箱の中に隠れて出てきて捕まえようとしていた時は笑った」
「割と楽しそうですね!?」
「ま、まあ……ちょっと面白半分にやった事は認めるよ」
バルルはミイナを捕まえるために色々な策を講じ、その際中に楽しい事はなかったと言えば嘘になる。しかし、彼女もできる範囲でコオリには指導を行っており、実際に彼女の指導のお陰でコオリは急成長を遂げた。
しかし、他の教師はコオリ達の事情を詳しく知らないので急に現れた得体の知れない女教師が教室を一つ貸し出し、しかも新しく入った生徒と学校の問題児の指導を命じられたのにまともな授業をしていないと聞けば黙っていられるはずがない。
「もしもこの教室を借りれなくなったらどうなるんですか?」
「その場合はあたしは解雇であんた達は他の教師に任せる事になるね」
「えっ!?どうして!?」
「魔法学園の決まりで一学年には教師は担当一人と決まってるんだよ。担当教師以外の教師もいるけど、そいつらは自分が得意とする専門分野の授業を請け負う事になってる。けど、生憎とこの学園には教師はもういらないらしいね」
生徒の指導を行う担当教師も、各分野の授業を行う他の教師も今の所は空きがないらしく、仮にバルルが借りている教室が使えなくなれば彼女は解雇となる。
学園長から言い渡された条件を果たして正式に教師になったにも関わらず、このままではバルルが去る事にコオリは不安を抱く。
「ど、どうにかならないんですか!?」
「いや、一応は話は付いてるんだよ。学園長がこの教室をあたしに貸したのは月の徽章を持つあんたのお陰だからね」
「えっ……月の徽章?」
「コオリ、月の徽章を持ってるの?」
バルルの言葉にコオリは驚き、一方でミイナも驚いた表情を浮かべる。月の徽章はコオリは入学時に学園長から受け取り、大切な物なので失くさないように大事に保管しているので今は手元にはない。
「月の徽章の生徒は特別だからね。あんたはまだ知らないようだけど、月の徽章の生徒の場合は無条件で学年を進級できるんだよ」
「えっ!?そうなんですか!?」
「普通の生徒は授業で評価を上げて星の徽章を貰わないと進級できない。だけど、月の徽章の生徒に限っては星の徽章が無くても進級できるんだよ」
「し、知らなかった……」
月の徽章にそのような特典がある事を知らず、コオリは自分が凄いものを受け取っていた事を知る。バルルは月の徽章を持つ生徒の担任を請け負ったからこそ空き教室を借りれた事を話す。
「あんたのお陰であたしはこの空き教室を借りる事ができた。だけど、あんたの場合は月の徽章が受け取ったのは学校に入る前だからね。事情を知らない教師からしたらいきなり入学生が月の徽章を与えられた事に疑問を持つし、学園長があんたを特別扱いしているんじゃないかと疑る奴もいる」
「……あの学園長はそんな依怙贔屓はしない」
バルルの言葉にミイナは不満そうな表情を浮かべ、学園長が他の教師に疑われる事に彼女は嫌な気分を抱く。その様子を見てコオリはミイナが学園長の事を本当に信頼しているのだと知る。
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