第58話 ひよりさんのお母さん!?

 ――この女性が誰かなんてのは、僕にだってすぐにわかった。

 やや小さめの体格とどこか面影がある顔立ち。そして、ひよりさんを当然のように名前で呼んだこの女性は……彼女のお母さんだ。


 今日は仕事だとひよりさんは言っていたが、予定が変わって家に帰ってきたのだろう。

 そこでばったり、見知らぬ男である僕と出くわしてしまったというわけだ。


「あっ、え、えっと、僕は、その……!」


「……ひよりのお友達? あの子は……シャワーを浴びてるの?」


 完全に予想外の事態に不意を打たれた僕は自己紹介をしようとしたのだが、慌てているせいで何をどう言えばいいのかがわからないでいた。

 その間にお風呂場から響く水の音を聞いたひよりさんのお母さんは、増々僕に対する疑念や不信感を募らせていく。


「す、すいません! はじめまして! 僕は尾上雄介っていいます! 今日はひよりさんに呼ばれて、電子レンジを運ぶお手伝いをして、それで――」


「……?」


 親し気に彼女の名前を呼んだ僕の発言に、お母さんが眉をひそめる。

 もう何を言っても不信感を募らせるだけなんじゃないかと僕が不安になる中、ドタバタと足音が響いてまだ髪を湿らせたままのひよりさんが飛び込んできた。


「お、お母さん!? なんで急に……!?」


「仕事が想像以上に早く終わったから、帰ってきたのよ。それより、どういうこと? この子は誰?」


 ひよりさんもここでお母さんが帰ってくるとは思っていなかったのか、完全に慌てている様子だ。

 色々と疑われてもおかしくない状況で僕と同様に焦る彼女であったが、即座に持ち直すとお母さんへと説明を始める。


「この子は尾上雄介くん。今日、電子レンジを運ぶのを手伝ってくれたの」


「……なんでその子なの? 男の子の力が必要なら、仁秀くんがいるじゃない」


「あいつはバスケ部の練習があるでしょ? だから、雄介くんに頼んだんだよ」


……?」


 先ほどと同じく、ひよりさんが僕のことを名前で呼んだことに疑念を抱いたであろうお母さんが険しい表情を浮かべる。

 娘が家に名前で呼び合う妙に親密な男子を親に黙って連れ込み、シャワーまで浴びていたのだ。そりゃあ、色々疑って当然だろう。


 ひよりさんの話では、結構強引に電子レンジを取りに行くことにしたらしいし……それも全て、自分たちに黙って僕を家に連れ込んで良からぬことをしようとしたのでは? と思われても仕方がない。


「別にそういうんじゃないから! お母さんが思ってるようなことは何もないってば! 夏の暑い日に重い荷物を運んでもらって、そのお礼に飲み物を出したらうっかりあたしがこぼしちゃって、雄介くんに断ってシャワーを浴びさせてもらってたってだけ! 疑うなら、飲み物こぼした絨毯を見せようか!?」


「……別に、そこまでしなくていいわよ。ただやっぱり、見知らぬ男の子が娘と二人っきりっていうのは……ねぇ?」


 ――改めて思うことがあるのだが、僕の家族っていい意味で異常だ。妙に寛大というべきなのかもしれない。

 女の子の親ということもあるのだろうが……帰ってきた時に我が子と一緒に家に見知らぬ相手がいたら、こういうリアクションになるのが当たり前なのだ。


 多分、きっと、絶対……僕に対するひよりさんのお母さんの印象は良くないものになった。

 疑念の眼差しを向けられ、ひしひしと不信感が伝わってくる視線を浴びながらそう確信する僕へと、ひよりさんが言う。


「雄介くん、部屋に戻ってて。髪を乾かしたらあたしもすぐに行くから」


「あ、はい……」


 僕のせいで親子の関係に溝ができたら申し訳ないなと思いながら、このままここに残っていても状況が悪くなるだけだと理解した僕はひよりさんの言うことに従って彼女の部屋へと向かった。

 背中に突き刺さるお母さんからの視線が痛いなと思いながらひよりさんの部屋に戻り、待つこと数分……ガチャリと音を立てて開いた扉から、ひよりさんがすさまじい勢いで飛び込んでくると共に僕の前で土下座をする。


「ほんっとうに……すいませんでしたっ!!」


「いや、ひよりさんが謝ることじゃないよ! ひよりさんのお母さんも悪いわけじゃないし……タイミングと状況が悪かっただけだって!」


 ひよりさんがシャワーを浴びていて、僕とお母さんだけが鉢合わせるという状況でなければ、こんなにも気まずい雰囲気にはならなかったはずだ。

 こうなってしまったのは誰が悪かったというより、運と間が悪かっただけだと床に額を擦り付けて謝るひよりさんをフォローすれば、顔を上げた彼女ががっくりと項垂れながらこう述べる。


「いや、そうじゃなくってさぁ……あたし、ちゃんと言えなかったじゃん。雄介くんがあたしの恋人だって……」


「それは……しょうがないよ。あの状況でそんな報告したら、お母さんがパニックになっちゃうって」


「でもやっぱり、勇気を踏み出して告白してもらった側としては色々と思うところがあるっていうか……うあぁ~っ! 本当にごめんっ!!」


「本当に気にしないでよ。僕だって、最初に誰って聞かれた時にちゃんと答えられなかったんだから、ひよりさんと同じだよ」


 言い訳ではないが、あの状況で付き合って間もない僕たちが恋人ですとお母さんに言うのはハードルが高過ぎる。

 僕だって、ひよりさんだって……そんな報告ができなくて当たり前だ。


 だから、そんなことは気にしないでほしいとひよりさんを励ました僕であったが、彼女はため息を吐くと共にこう答えた。


「そう言ってもらえるのは嬉しいし優しさが身に染みるんだけどさ……よりにもよってお母さんと出くわしちゃったっていうのが最悪なんだよね。あれだったらまだお父さんの方がマシだったっていうかさ……」


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