第56話 友達を卒業する時

「えっ……!?」


 僕のその言葉に、ひよりさんが大きく目を見開いて驚く。

 戸惑っていることが一目でわかる反応を見せた彼女は、少し間を置いた後で僕へとこう問いかけてきた。


「友達を止めるって、その、つまり……?」


「……うん。、ってこと」


「……!!」


 再度、僕の言葉を受けて目を丸くしたひよりさんが言葉を失って押し黙る。

 そんな彼女の反応にこの提案をしたことを少しだけ後悔した僕であったが、それでもと自分を奮い立たせると話を続けていった。


「遊佐くんや鉢村さんたちに言われたりして、少し前から考えてたんだ。やっぱり、今の僕たちの関係ってじゃ無理があると思う」


「それは……そうだね。デートして、お互いの家に行き来して、お泊りもしちゃって……それでただの友達っていうのは、確かに違和感があるもんね……」


「別にそこに不満があるってわけじゃないよ。だけど、万が一にも僕とこういうことをしているってバレた時、ひよりさんはただの友達が相手でも平然と恥ずかしい真似をするような女の子なんだって、そういうふうに勘違いされたりするのが嫌だ。それで江間みたいな人間が変なちょっかいをかけてくるかもしれないし……」


 少し前から、そのことを心配していた。

 もしも僕たちがしたことが学校のみんなにバレたとして、その全員がひよりさんの事情について完璧に理解できるわけじゃあない。


 ひよりさんが江間に浮気されたことも、ほとんど事故のような形で僕の家に泊まるようになったことも、おそらくはほとんどの人間が知らずに断片的な情報だけを耳にすることになるのだろう。

 その結果、『七瀬ひよりは出会って間もない男友達の家に平然と宿泊するような女子だ』という印象がひよりさんに付いてしまったら、きっとそこから良くないうわさが尾ひれを付けて出回ることになる。


 それが巡り巡って、彼女に第二の江間のような男との関わりを生み出してしまうのではないかというのが、僕が抱えていた悩みだった。


「そっか……そんなふうに思われる危険性もあるのか。今はそれに加えてあたしの家に雄介くんを連れてきちゃったし、またリスクが跳ね上がっちゃったもんね。だから雄介くんはこの話を切り出したのか……」


「それもあるけど、それだけじゃない。今、ひよりさんの話を聞いて……友達は卒業すべきだと思った」


「あたしの? どういうこと?」


 僕の話を聞き、その理由に納得してくれたひよりさんへと第二の理由があることを告げれば、彼女はきょとんとした様子で首を傾げてみせた。

 先の自分の話のどこにこの展開につながる要素があるのかと、そう表情で問いかける彼女へと、僕はこう答える。


「この話を切り出すにあたって、一番のネックは前にした約束だったんだ」


「あたしが江間のことを忘れるまで待つ……って、やつだよね?」


「うん。ひよりさんがあいつのことを忘れたら、その時に改めて告白して恋人になろうって考えてた。この提案は、その約束を反故にするものだけど……さっきの話を聞いて、それでも切り出すべきだと思ったんだ」


 一つ、息を吐く。母の言葉を思い出しながら、言葉を考えていく。

 ひよりさんのことを想っての行動ならば、きっと彼女は受け止めてくれる……自分を見つめてくる彼女に強い信頼を寄せながら、僕は話を続けた。


「考えてみれば、ひよりさんは江間と十年以上の付き合いがあって、その内の一年は恋人って関係だった。それだけの時間を過ごしたんだから、さっき話してくれたこの部屋での記憶みたいに簡単に忘れられないような思い出がたくさんあって当たり前なんだ。幼馴染で恋人だった江間との十数年分の思い出に対して、出会って数か月程度でただの友達である僕じゃ太刀打ちできないんじゃないかって、少し前からそう思ってた」


「……ごめん。あたしの言葉が、雄介くんを傷付けちゃったんだね」


「違うよ、その逆。ひよりさんの話を聞いて、僕は嬉しかった。だから、この話をしようって思ったんだ」


「えっ……?」


 長い時間をかけて作り上げた上にトラウマまで残す別れ方をした江間との思い出を、出会って間もない僕が超えるというのはそう簡単なものではない。

 先の自分の話が、そういった僕の無力感を刺激してしまったのだと思って凹むひよりさんへと、大きく首を振って否定してみせる。


 驚く彼女に対して、僕はこの話を切り出した一番の理由を語っていった。


「ひよりさんが江間との思い出をどうにかするために僕を呼んだって言ってくれて、嬉しかった。ひよりさんも、一生懸命に僕との約束を果たそうとしてくれてるんだなって思えたから。だからきっと……この話を切り出した僕の気持ちもわかってもらえるって、そう思ったんだ」


「雄介くん……!」


「……江間のことを振り切ってから付き合うとか、そういう形に拘る必要はなかったんだ。僕はひよりさんの恋人になりたいからじゃなくって……から、君のことを幸せにするって思ったんだから」


 ひよりさんの心の整理がつくまで待つと言った僕の気持ちに嘘はない。だけど、その約束はただの友達でなくても守れるはずだ。

 ひよりさんが僕との関係を真剣に考え、前向きに発展させていきたいという気持ちを示してくれたからこそ、僕は彼女にこんな提案ができている。

 一歩を踏み出す勇気を与えてくれた彼女に感謝しながら、僕は真っすぐにひよりさんの目を見つめながら言った。


「恋人になったから、キスしようだとかその先のことをしようだとか言おうとは思ってない。僕はこれからもひよりさんを幸せにし続けるだけだ。そのために、僕はひよりさんの一番近くに居たい。ただの友達じゃない特別な関係になって初めて、江間と勝負できるスタートラインに立てる気がするから」


「……!」


 本当の意味で江間と同じ土俵に上がるのなら、彼とひよりさんが過ごしたのと同じ分だけの時間を費やさなければならないのだと思う。

 だけど、恋人としてならば……あいつもたった一年だけしかひよりさんと過ごしていない。


 ここに拘ってしまう僕は、なんだかんだで小さい男なのだろう。図体はデカいが器は小さい、ひよりさんとは真逆の人間だ。

 でも……ここだけは譲れない。彼女を一番幸せにして、笑顔にできるのは僕なんだって……そのことを証明してみせるという覚悟を固めながら、僕はひよりさんへと言った。


「これまでよりも何倍も幸せにして、君をたくさん笑顔にしてみせます。だから……僕の彼女になってもらえませんか?」


「あ、ぅ……」


 顔を真っ赤にしたひよりさんが、ぱくぱくと口を開け閉めしながら呻く。

 顔を伏せ、息を吐いた彼女は顔を上げると、潤んだ眼を僕に向けながら口を開いた。


「……最初さ、こんな話をさせたり、色々や悩ませちゃったことに対する謝罪の言葉が出そうになっちゃったんだけど……それじゃだめだよね。なんて言ったら、告白の返事、誤解されちゃうもん」


「って、ことは……!!」


 真っ赤だった顔の赤みが、頬に集まっていく。

 ほんのりとピンク色に染まった頬を緩ませ、嬉しそうで幸せそうな、僕の大好きな笑顔を見せてくれたひよりさんは……大きく頷くと共に、告白の返事を伝えてくれた。


「はい……! あたしで良ければ、雄介くんの彼女にしてください!」


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