笑声

山岸タツキ

一話完結「笑声」

高三の夏、中学から続けてきたソフトテニスを引退した。最後まで良い結果が残せず、一気に自分という物の価値を失った気がした。価値、つまりお金である。俺は将来、どうやってお金を作っていくのだろう。学もなければ、得意だった球技で何か出来る訳でもない。ならば俺は、自身に価値を付け加えなければならない。

 毎日、好きな画風の漫画表紙を模写したり、オリジナル小説を書いてみたりした。しかし、続かない。二週間までは耐える事が多いが、その辺からマンネリ化が進み、続ける事の意義を見失う。結局は、少しずつサボり癖が増えていく。三日坊主では言い表せない問題に当たった。

 何も描かなくなって、これでは駄目だと思った。確実に成果になり、お金を得られる方法。労働。そうだ、アルバイトだ。いよいよ俺にもアルバイトをする時が来たのか、と不安とワクワクが入り交じる興奮を感じた。

 カフェが良いと思った。珈琲が好きだし、淹れ方も教わったらもっと楽しくなって一石二鳥だ。あと一つ、理由を挙げるとするならば、あの人と働けるかもしれない、という事だ。

 中学の頃から、母親に連れられてカフェに寄ることが多かった。高一ぐらいからは、小遣いで、一人で店を選ぶ事もあった。そこで立ち寄ったのが、地元のデパートのテナントとして構えるチェーン店、ドトールである。わりかしリーズナブルで、俺はそこのショコラムースが好きだったから、珈琲とセットで注文するのが定番だった。あの人はここで働いていた。

履歴書を片手に、店の自動ドアを開ける。

 

 無事面接をクリアして働くことになった。余り考えていなかったが、店長以外女性店員ばかりだ。少し働きづらいかも、と思ってしまった。マニュアルが多く、実際やってみれば意外と重労働だ。それでもやりがいは感じた。客と上手くいったら嬉しいし、見たこともない調理器具の使い方も覚えられる。何もかもが新鮮で、自分は家と学校と部活しか知らなかったのだと実感する。肝心のあの人は、おそらく居ない。それでも良かった。俺は、成長する為にここにいる。

 俺の教育係に近い形で、佐田さんと話す機会が多かった。シフトの曜日と時間帯が似ていたのだろう。年は一つ下で、聞けば小学校の頃から俺の事を知っているらしい。俺とは違い、落ち着いていて賢そうな高校生だ。一ヶ月ぐらい働いて、それなりにマニュアルを覚えてきた頃、あの女性の事をそれとなく聞いてみた。すぐに思い当たった様子で、「三明さんですね。確かに、凄く優しい方でした」という。他の人にも聞いてみたが、皆が皆、三明さんという方の事を良い人だと言った。

 俺は目が悪い。だから人より、人の顔を記憶していない。だから、三明さんがどういう表情をしていたのかは覚えていない。佐田さんが俺の顔を覚えていて、俺が覚えていないのもそういう事だろう。それでも、笑顔こそ目には覚えていなくとも、その時の感情は覚えている。お気に入りのTカードを「可愛いですね」と褒められた時は恥ずかしくて。

でも不快感を感じない程に、純粋な声だった。

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