第22話 ジュディドの不安
セルアーニャとガザフの一連の話を聞いて、ジュディドは不安だった。
「魔法使いの扉」もとい「死者の扉」は一方通行の扉なのではないかと疑問に思い始めたからだ。
魔法使いには通れず、奈央が元の国に帰るためだけの扉。この国の「死者」となるべく通る扉は、この国に戻ることは許さない扉なのではなかろうか。もしそうだとしたらーー。
ジュディドは考える。
もしそうだとしたら、自分は喜んで奈央を送り出すことができるのか?笑顔で行って来いと背中を押せるだろうか?
ーーできるはずがない。
この身のそばに生涯置いておきたい娘だ。自分が守ると誓った。だが。
奈央の意志を尊重してやりたい。一方でそんな思いもあった。奈央が家族に会いたいと言うのなら会わせてやりたい。
でももし奈央が元の国に帰って戻ってこなかったら、自分は正気でいられるだろうか。奈央のいない生活を今まで通り続けられるだろうか……。
できるわけがない。ジュディドはそう確信していた。
奈央によって与えられた幸福をジュディドは味わってしまった。恋を知らなかった以前にはもう戻れない。奈央なしで生きていくなんて考えられない。
三井千尋の原著を手に、ジュディドの思考は他のこと、奈央のことを巡っていた。
「ジュディ?何か見つかった?」
図書館で見つけた三井千尋の著作と、魔法省で見つけた原著を見比べながら、目に穴が空くほどしっかりと読み込む奈央が聞く。
「あ、ああ、いや……」
ジュディドは曖昧な返事をした。原著をめくって読む振りをする。
「奈央は何かわかったかい?」
「うーんそうね…、三井さんは本に残すくらい伴侶を愛していたことと、歌が好きだったらしいことくらいしか分からないわね。魔法使いの扉を開くその方法は載っていないわ」
奈央が両手を後ろに組んで背伸びをする。疲れたぁと言いながら。
「しかしヒントはあるはずだ」
ジュディドは思考を原著に戻し、翻訳魔法と予測変換魔法でゆっくりと丁寧に解読する。
「そうね。もっと念入りに読まないといけないのかも」
奈央は三井千尋の著作物から手を離して、
「ね、ジュディ、気分転換に丘の墓地に行かない?」
と言い出した。
「墓地に?」
「うん。私、あの丘に眠っている三井さんの伴侶や、ジュディのお父さんとお母さんに音楽を捧げたい。ありがとうって」
「ありがとう?」
ジュディドが聞き返す。
「三井さんに本を残させてくれてありがとう、ジュディに巡り会わせてくれてありがとう、って」
「そうか」
ジュディドは柔らかい眼差しで奈央を見下ろし、奈央の顔に近づくとそのままキスを与えた。
「ジュディ?」
「奈央は優しいな」
もう一度、今度は頭部にキスを落として、そのまま奈央の髪の毛に顔を沈める。自分が与えているのに与えられている気持ちになるのはなぜだろう。
「おまえといると安心するよ」
ジュディドは奈央をソファに埋めて抱きかかえた。そうして四半刻ほど離さなかった。
二人が仕事休みの日、奈央とジュディドは丘の上の墓地にやって来た。
墓地がある丘は相変わらずクローバーで埋め尽くされていた。緩やかな風は初夏の太陽の匂いを含んでいる。
ジュディドの両親の墓のところまで辿り着くと、奈央はペペロンの小枝と合体したフルートを取り出した。
そしてまず初めに鎮魂歌を吹いた。悲しいが優しい穏やかな曲だ。
それから次々に曲を演奏した。悲しみの曲、喜びの曲、祝賀の曲。おどけた曲やしみじみとした曲。奈央の故郷の曲も。
演奏をすると、穏やかだった丘の上に、強い風が吹き抜けた。死者たちがもっともっととねだっているかのように。あるいは喝采を贈るが如く。
吹き終えるたびにジュディドは奈央に拍手を送った。
「父さんも母さんも、三井千尋の伴侶も、ここに眠る死者たちも、皆んな、おまえの演奏を喜んでいるよ。もちろん、私もだ」
ジュディドはそう褒めた。
帰り道、火葬場の門扉に寄った。やはりセルアーニャが言うように、ただの何の変哲もない扉のようだった。しばらく観察して、帰ろうと言う頃合いになって、奈央は何の気無しに鼻歌を歌った。さっきの演奏の続きだ。
すると一瞬だったが、扉が揺らいだ。いや、目の錯覚だったかもしれない。扉がゆらりと体を震わせたように見えたのだ。
奈央は先を行くジュディドを呼び止めた。
「ねえ、ジュディ、見間違いかもしれないけど、扉が一瞬、反応した気がするの」
「えっ、それはどういう意味だ?」
ジュディドは足を止めてこちらに戻ってくる。
「鼻歌を歌ったら、扉が一緒に踊るように、一瞬揺らいだの。この扉、音楽が好きなのかしら」
「鼻歌……」
ジュディドは三井千尋の著作を思い出そうとした。
『扉の景色は次第に薄れていった。友人はそれを止めようと魔法を飛ばす。だが扉は待ってはくれなかった。私は遠のく故郷を惨めな気持ちで眺めた。思わずに故郷の歌が口をついて出た』
「『思わずに故郷の歌が口をついて出た』!三井千尋も扉を開ける過程で歌を口ずさんでいる!」
ジュディドは思わぬ発見に驚いた。
「奈央、扉を閉めて確かめてみよう」
「ええっ?」
ジュディドの突然の申し出に今度は奈央が驚いた。
「でも今日は一年に一度の祝日じゃないわ」
「なぁに、頼み込むだけさ」
そう言うとジュディドは火葬場の事務所に駆け込んだ。
「門扉を閉めたいだって?あの年中開いてる門扉をかい?そりゃあ今日は訪れる者もいないし、少しの間なら構わんが。何をするんだね?」
火葬場の事務所の職員は怪訝な顔をして問いかけた。
「検証です」
「はあ、検証。ま、魔法省所属の魔法使いさんがやる事なら止めはしないさ。あまり長くはかからんようにな」
「ありがとうございます」
施設の入り口に戻ると、ジュディドは素手で重たい扉を動かし、ぴったりと閉めた。
「魔法は使わないの?」
「この扉に魔法は無用だろう?さあ、奈央、歌ってみて」
奈央は今度は鼻歌ではなく声に出して歌った。すると、扉はまたも揺らぎ、水面のような景色を映し出した。
「これって…」
奈央は驚きを隠せない。
「間違いない。扉を開くには『音楽』が鍵になっているんだ!」
ジュディドが興奮した声で叫ぶ。
「あっ、でも消えちゃいそう」
奈央は咄嗟にフルートを取り出して先ほど丘の上で吹いた曲を再現した。
扉は奈央の世界の風景をはっきりと映し出した。高層ビルが立ち並ぶ街中。休みの日によく遊んだ繁華街。奈央が通う学校に吹奏楽部の皆んな、それから奈央の両親の姿が次々に映し出されていく。
「これは…おまえの世界の風景か?」
ジュディドが目を見張りながら尋ねる。
「うん…」
奈央も驚きながら答える。もしかしたら、もしかしたら、元の世界に帰れるかもしれない。
「この扉を潜れば帰れるのかしら」
奈央は映し出された景色に手を差し伸べた。景色は今にも奈央を吸い込もうとしている。
「奈央、待って!」
この扉は一方通行かもしれないーー。ジュディドは咄嗟に奈央を止めた。しかし奈央の手は扉の景色にちょうど触れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます