第9話 治療
ローザの治療を始めて10日が経った。容体は徐々に良くなり、血色の悪かった少女の左脚は桜色に染まるまでになった。
「だいぶ回復したな」
カレンがローザの左脚を診ながら言った。
「でも、まだ動かすことができない…」
「そうだな…」
カレンはローザに何と声をかけたらいいのか分からず躊躇っていた。
私は相変わらずBGMに徹していたから、この時ローザに話しかけられたことに気づくまでに時間がかかった。
「…奈央さん、奈央さん?」
「あっ、えっ、は、はい」
演奏を止めてローザのもとに行く。
「この間はごめんなさい。大切な楽器を傷つけようとして。あなたにまで怪我をさせてしまいました」
「いえ、フルートは無事でしたし、私ももう痛くないですし。気にしないでください」
「ありがとう、そう言ってもらえて気持ちが楽になります」
「私こそ、初対面で不躾に演奏して、あなたの心に踏み入ってしまいました。ごめんなさい」
「いえ、とんでもない。あの時、私は感情的になりすぎたと思うの」
小学生くらいの少女がこれだけ冷静に話せることに私は驚いた。
「今日はあの時の演奏の続きをお願いしたいと思っているの。いいかしら?」
「もちろん!」
演奏してくれと言われて喜ばない楽士はいない。私も喜々として準備に入る。
「どんな曲がいい?」
「そうね、楽しい曲とそれから悲しい曲。両極端なものがいいな」
「オッケー」
軽やかな曲と重たい曲の両方を演奏する。ローザは聴き入っていた。そしてつぶやくように言った。
「私ね、この脚でもう一度走りたい。思い切り」
返事の代わりにフルートを吹く。
「それからショッピングに行ったり映画を見に行ったり、自由に歩き回りたい」
音色は続く。
「それから恋をして、デートをするの」
曲が終わった。私はフルートを置いた。
「…ローザ、あなたに伝えなければならないことがあるの」
「なぁに?」
「とても残酷なことだけれど…」
「うん?」
私は息を呑んで決意した。
御守りのブローチが揺れる。
「ローザ。残念だけれども、左脚はこれ以上良くならないの」
「……」
しばらくの間、沈黙が続いた。
「…うん。…知ってた。そんな気がしていたの。…だから悩んでいたの」
「そうだったのね」
「私ね、好きな男の子がいるの。その子の前では元気で健康な私でいたかったのに…」
ローザの大きな瞳から大粒の涙がポロポロと落ちた。
「自分が不甲斐なくて。悔しくて」
「うん」
「もう振り向いてももらえないかもしれない。そう思うと怖くて」
「うん」
「奈央、さっきの曲をもう一度吹いて」
私は黙ってさっきの2曲を吹いた。明るい曲と暗い曲。吹き終わると、泣いているローザをそっと抱きしめ、頭を撫でた。
ブローチを付けた胸のあたりが温かくなる。御守りは私だけでなく、ローザまでも包み込むように温かい。
「あなたは冷静で頭の良い女の子よ。こんな素敵な子を嫌う男の子なんていない」
「…ありがとう」
ローザは泣き笑いをした。
ローザの治療が一段落したので私とカレンはジュディドさんの屋敷に戻ることにした。
帰り際、好々爺とばあやさんから何度もお礼を言われた。謝礼をと言われて断ろうとすると、カレンに仕事だろと言われ、受け取った。
「なんだかんだ、奈央はしっかりしてるな。言いにくいこともきちんと伝えられるなんて」
「私もうまく伝えられるか分からなかったけど」
「良かったんじゃないのかな」
「そうかな?」
「うん」
そう言われて少しほっとした。ローザを不用意に傷つけたくはなかったから。
屋敷に戻るとジュディドさんにエミル、ベルナールが迎えてくれた。
ジュディドさんは私の顔を見るなり切ない表情を浮かべたと思ったら、思い切りハグをしてきた。
「長かったな」
「ほんの二週間程度でしたよ」
「よくやった」
「…はい」
「奈央がいなくて皆、寂しかったんだ。もちろん私もね」
寂しかった?本当に?
ようやく離れた腕だったが、もう少しあの中にいたいような気にもなった。
「カレンも活躍したんですよ」
そういえばカレンはジュディドさんの許嫁だ。こんな姿を見せてはいけなかった。
「私は奈央と長期間、一緒に過ごせて楽しかったよ、ジュディ」
「そうか」
ジュディドさんは短くそれだけ答えると、軽いハグをしてカレンから離れた。一瞬、苦い表情をしたと思ったのは私の気のせいだったろうか。
一方のカレンは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、私の方へ向き直ると
「奈央、疲れたろう。一緒にお風呂に入ろうか」
と誘った。
「いいけど、…」
と言いかけたところで
「奈央には用があるから来てほしい。風呂はその後だ。カレンは先に入るといい」
とジュディドさんに阻まれた。
「ジュディはやきもち焼きだなぁ」
クツクツとカレンが笑う。
「いいよ、二週間も独り占めしたんだ。少しくらいジュディに花を持たせても」
カレンが私の背を押した。弾みでジュディドさんの腕にダイブする。ジュディドさんが照れ笑いした。初めてみる顔だ。
「奈央、ついておいで」
「はい」
私はジュディドさんの書斎に案内された。書斎は屋敷の奥の方にあったから、廊下を行く途中、好々爺のところでの出来事をぽつりぽつりと報告した。ローザの脚のことも。
「それで奈央は楽士としての仕事を全うできたんだな」
「はい。初めてお給金をいただきました。あ、これです」
私は貰った謝礼をジュディドさんに差し出した。
「これはおまえのものだ。大切に使いなさい」
そう言われて、私は謝礼を自分のローブのポケットに戻した。大切に使えと言われても、欲しい物がない。どうしたものか。ああそうか、ジュディドさんに御守りのお礼を買おう、などど考えていると、
「奈央」
ジュディドさんに呼びかけられた。
「はい、ジュディドさん」
「奈央、これからはジュディでいい。皆んなそう呼んでいる。おまえもそう呼べ」
ジュディ。少し気恥ずかしい、こそばゆい気持ちになる。
「呼んでごらん、奈央」
「えっ」
「ほら」
「えっと」
「ほら、恥ずかしがらないで」
「…ジュディ…?」
言ってみて、してやったりという顔をするジュディに負けた気がして、少し悔しかった。
「ところで奈央、本題だが」
「はい」
「私の知り合いからの依頼で、楽士の仕事がある。引き受けるか?」
「どんな依頼ですか?」
「今回のは危険を伴うから断っても良いんだが…」
そう言われると気になる。
「自衛軍の演習に付き添って、楽隊で演奏するんだ。」
「自衛軍?」
「ああ、この国の軍隊だ。と言っても戦争はしていない。有事の際の練習みたいなものだ」
「有事の際は楽隊も動くんですか?」
「ああ、楽隊には癒しの効果があるからな。ちゃんとした軍医や治癒魔法に秀でた魔法使いも出動するが」
「そうしたらまた数週間はお別れですね」
冗談まじりに言うと
「いや、今回の演習に私も参加することになっているんだ。だから私もついていくよ」
「ジュディも?」
魔導士であるジュディがついていくとなると、相当大きな演習なのではないだろうか。
「今度も私、精一杯頑張りますね!」
そう返事をしたが、まさかこの演習がジュディと離れ離れになるきっかけとなるとは、この時は思ってもみなかった。
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