第29話 雪さんの嘘

「優先生、おはようございます。元気なさそうですけど何かありました?あ、さては例の彼女さんと喧嘩でもしました?」

「だから彼女じゃない……」

「……っ!?す、すいませんでした」


 僕が一方的に落ち込んでいるだけで、喧嘩にすらなっていない。心に余裕がなかったせいで、つい声が低くなってしまった。


 いつもなら何事もなく受け流されていたであろうやり取り。普段とは違う僕の態度を察した神谷が、冷やかした事を謝罪してきた。

 そんな風に気を遣わせてしまった事で冷静さを取り戻した僕も、自分が大人気ない態度を取ってしまった事を謝罪する。

 八つ当たりするなんて本当に情けない……気持ちがますます沈んでいくのを感じた。


「何があったか知りませんが、今日の優先生は酷い顔しています。私に言われたくないとは思いますが、生徒の前ではいつも通りでお願いしますよ」


 神谷からの思わぬ正論に僕は苦笑いを浮かべ頷いた。




「それじゃ、今日の授業を始めます」


 1限目は小春ちゃんのクラスだった。

 僕の体調を心配して、時折後ろを振り向く小春ちゃんと何度も目が合っている。

 授業中にその態度はまずいが、僕が注意して授業を中断させるのも良くない。

 どうしたものかと葛藤しつつも、小春ちゃんには前を見ろという意味を込めてジェスチャーを送る。

 そんな僕達のやり取りを神谷が見逃すはずはなく、こちらをじっと見ていた。

 まずいな……と思った時には手遅れだった。


「名取さん、さっきから後ろが気になってるみたいだけど何かあるのかしら?」


 注意された小春ちゃんは、取り乱す事もなく仏頂面を浮かべ答える。


「はい。退屈な授業よりも気になる事がありましたのでつい……」


 あまりの物言いに、引きつった笑顔を神谷が浮かべている。


 小春ちゃんも素直に謝れば良いものを……。


 流石にこれは見過ごせない。小春ちゃんを注意しようと思ったが、神谷に先を越されてしまう。


「退屈な授業でごめんなさいね。だからと言ってそれが余所見をする理由にはならないわ。名取さん、お昼休みに話をしましょうか。少し長くなると思うのでお昼ご飯は持参して来る様に」

「分かりました」


 いやいや。勝手に話を進めてもらっても困るのだが?


「神谷先生も名取さんも冷静になって下さい。流石に今のは名取さんの態度に問題があります。お互い引くに引けない状況だと思いますが、今回は僕からも注意したのでこれで収めて下さい」

「「嫌です」」


 2人の言葉が重なった。『直接対決がついに』と言った具合に、周りの生徒が無責任に煽る声が聞こえてきた。


「皆、静かに!!瓜生先生、このままだと収拾が付かなくなるので、この件は私に任せて下さい」


 ここは神谷の言う通りにしておこう……僕が渋々頷いた事で、授業は再開された。



 昼休みになると小春ちゃんが職員室を訪ねてきた。

 それに気づいた神谷が席を立つ。職員室で話し込む訳にも行かないので、空き教室に移動する様に事前に彼女には伝えてある。

 僕として関与したくないのが本音ではあるが、指導教員としてはそうもいかない。

 僕はで立ち上がった。


「優先生、長くなると思うのでお弁当は持ってきて下さい」

「調子が悪くて食欲がないんだ」

「そういう時こそ少しでも食べておかないと。それにこの時期はお弁当が傷みやすいですし、作ってくれた人に申し訳ないと思いませんか?」

「…………」


 ぐうの音も出ないとはまさにこの事か。雪さんがせっかく作ってくれた弁当をダメにしてしまう事と小春ちゃんと同じ弁当なのが神谷にバレてしまう事を天秤にかける。


 どちらを選択すべきかは……考えるまでもない。雪さんに内緒で処分したとしても、小春ちゃんに口止めしておけばバレる事はないはずだ。


 だけど雪さんにそんな嘘を吐きたくない……。


 愚かな選択だと自分でも分かっているが、僕は弁当を手に取った。


 『すまない……』


 一応最善は尽くすが、もしもの場合は裏切らせてもらうぞ……とこの場に居ないに向かって謝罪を述べた。


「それじゃ行きましょう」


 神谷は僕の手元に視線を送ると、満足気に頷き意気揚々と小春ちゃんの元へ歩き始めた。



 職員室からほど近い空き教室へ僕は少し遅れて入った。長テーブルを挟んで既に2人は対峙していたので、僕は神谷の隣の席に腰を下ろした。


 僕が席に着くと、神谷は小春ちゃんに見せつける為と言わんばかりに僕の方へ椅子を寄せてきた。それを見た小春ちゃんも、対抗するかの様に僕の正面に座り直す。

 まだ話が始まっていないにも関わらず、教室内には既に暗雲が立ち込めている。


「神谷先生。せっかくこれだけスペースがあるのですからもう少し離れては?」

「そういう名取さんこそ私の前から優先生の前にわざわざ座り直したのはどうしてかしら?」


 互いに睨み合う2人……。


「まぁ、いいわ。皆お昼を持って来ているから、先に食べてから話をしましょうか」


 その言葉を聞いた小春ちゃんが、僕の手元の弁当に視線を向ける。彼女が息を飲んだのが伝わってきた。

 表情から察するに、『どうして持ってきたのか』とか『弁当の中身を見られたら同じなのがバレてしまう』という事を考えているのだろう。


「優先生どうしたんですか?名取さんと見つめ合ったりして」

「……見間違えではないか?」


 神谷は目敏く僕達を観察していた様だ。咄嗟に誤魔化してはみたが、疑いの目を向けられたままだった。


 小春ちゃんに『諦めよう』という意味を込めてアイコンタクトを送った。

 こちらの意図を察してくれた小春ちゃんが覚悟を決めた表情で、弁当の包みを解き始める。

 僕も覚悟を決め、彼女に続いた。


「2人ともさっきから変ですよ?今だってお互いのお弁当をマジマジと見つめて……ちょっと聞いてます?」


 神谷の声は聞こえているが、目の前の光景に唖然としてしまい反応が出来ずにいた。

 何故なら僕と小春ちゃんの弁当の中に、同じおかずは1つとして見当たらなかったからだ。

 並べて見たとしても、同じ人物が作った物だと気づく人は居ないだろうと断言出来る程の違いがあった。


 僕の弁当は男性向けの内容。栄養バランスが考慮されているので野菜もしっかり入ってはいるものの茶色が多め。


 小春ちゃんの方は、女子高生が喜びそうな彩鮮やかな弁当だった。


 小春ちゃんに視線を向けると、僕と同じで驚きに満ちた表情をしている。彼女も今日まで知らされていなかったのだろう。


「どちらも手が込んでいて美味しそうなお弁当ですよね」

「ああ……」


 小春ちゃんは未だに放心状態の為、返事をしたのは僕だけだった。

 雪さんが早起きして弁当を作ってくれていたのは知っていた。以前負担になっていないかを尋ねた時、彼女は僕にはっきりと言っていた。


『2人分も1人分も手間は変わらない』


 その言葉を鵜呑みにして疑ってすらいなかった。彼女は一体何時に起きて弁当を作ってくれているのだろう。

 今日みたいな事態が起きても困らない様に、これまでずっと違う弁当を準備してくれていたのではないだろうか……?そう思えてならなかった。


 帰ったら雪さんに尋ねる事にしよう……そして改めて感謝の気持ちを伝えよう。

 僕はひと口ひと口噛み締めながら弁当を食べ進めた。




「さて、お昼も終わったので話をしましょうか」


 お昼を食べ終わると神谷がそう切り出した。2人がヒートアップしない様に上手く間に入らないと。僕は気を引き締める。


「名取さん。あなたって優先生のことが好きでしょ?」

「「なっ!?」」


 僕と小春ちゃんの声が重なる。前から疑っている様だったが、まさか本人にまで聞くとは思わなかった。予想していなかった事態に、続く言葉が出てこない。 


 そもそもこの場は授業態度を注意する為に設けたのではなかったのか?

 

 色々な事が頭を巡り、考えが追いつかない。


「2人とも息ぴったりね。これはもう手遅れかしら?」

「神谷いい加減にしろ。言って良い事と悪い事は流石に分かるはずだ……」


 つい声が低くなってしまう。冗談でもそんな事を言えばどうなるか……よく分かっているはずなのに。彼女が過去の出来事について何も反省していなかった事に苛立ちを覚えた。


 昨日の雪さんの件がなければ、ここまで怒ることはなかっただろう。普段とは違い感情の抑えが効いていない事を自覚した。


「優先生は黙っていて下さい。生徒の中には、小春ちゃんが先生に好意を持っていると疑っている人が居るんです。今日の授業中にも、そう思わせる反応があったのは気づきませんでしたか?優先生に彼女の影が見えてるから、周りの先生方は何も言ってませんが、優先生こそしっかりして下さい。それで名取さん。どうなんですか?きちんと答えなさい」


 そんな僕の態度を前にしても、神谷は一切怯む事はない。僕を見ようともせず、小春ちゃんへ鋭い視線を向けている。

 彼女の指摘に僕は冷静さを取り戻していた。


「何でいちいちあなたに言う必要があるんですか!?何も……何も知らないくせに。これ以上瓜生先生に近づかないでください!!」


 そう言って小春ちゃんもまた神谷を睨みつける。


「2人とも一旦落ち着こう」


 僕は2人の間を取り成すのが目的だったのだと、自分の役目を思い出す。そんな僕が熱くなっては進む話も進まないではないか。


「優先生、これは彼女にとってもハッキリさせる必要がある事なんです。すいませんが、名取さんと2人で話をさせて下さい。席を外していただけますか?」

「それは許可出来ない」


 流石にこの状況で2人にさせるのは無理がある。即座に提案を却下した。


「瓜生先生、私からもお願いします」


 2人とも声の調子から幾分か冷静さを取り戻してはいる様に思えた。

 真剣な眼差しを向けられ、ここは僕が折れるべきなのだろう……と理解した。


「分かった。職員室に居るから何かあったら言いに来てくれ」


 僕はそれだけ言い残して教室を出る。どんな話を2人がするかは分からないが大事にならない様にと祈るばかりだった……。

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