第2話 家に誘うのは下心ではない

 心臓の音がやけにうるさく聞こえる。僕は上手く笑えているだろうか?自分がどんな表情をしているのかさえ分からない。


 「ええ、本当に久しぶりね。私の事なんてもう忘れてしまったと思っていたわ」


 僕の前から姿を消したあの日から1日たりとも忘れた事はない。

 彼女はそんな僕の気持ちなんて知りもしないだろうけど……。



〜回想〜


 僕と雪さんは家が近所で親同士が知り合いだった。歳は5つ離れていたが、近所の人からはとても仲の良い姉弟と思われるぐらいにいつも一緒にいた。


 最初は姉の様に慕っていたはずが、小学校に上がってすぐの頃に僕の気持ちに変化が訪れた。彼女の事を異性として意識し始めたのだ。


 その想いは歳を重ねる程に大きくなっていき、中学入学の頃にはもう抑えきれなくなっていた。

 だけど、この想いを彼女に告げて、関係が壊れてしまう事を恐れた僕は告白できずにいた。


 僕が追い付けない速度でどんどん大人に……綺麗になっていく雪さんを見て僕はずっと焦っていた。誰かに取られてしまうのではないかと。


 そんな僕だったが、中学を卒業するタイミングで遂に彼女に想いを告げる決心をした。

 彼女からしたら中学を卒業したばかりの僕は子供に見えた事だろう。

 だから少しでも成功する確率を上げる為、密かに告白の計画を練り始めた。


 卒業が目前に迫ったあの日、彼女が僕の目の前から突然消えてしまうとは露とも知らずに……。


〜回想 終〜



「優くん大丈夫なの。ずっと黙り込んでしまっているけど」


 雪さんの言葉で、意識が現実に引き戻された。心配そうにこちらを見る彼女に慌てて謝罪をする。


「すいません。少し昔の事を思い出していました。雪さんは変わらず元気そうですね」


 そう言って自分でも分かってしまうぐらいのぎこちない笑みを浮かべた。

 それを聞いた雪さんの表情が少しだけ曇る。


「ええ、そうね…。元気にしているわ」


 雪さんの言葉と表情が違うと物語っていた。その真意を尋ねる前に、横から鋭い罵声を飛んできた。


「何なんですかあなた!?病気の人に対して元気って……お母さんの顔を見て『小春、黙りなさい』」


 雪さんは少女が最後まで話すのを許さなかった。『病気の人』という言葉にハッとした僕は、雪さんを見つめた。

 確かによく見ると顔色が良くない気もするが、僕には少し疲れているぐらいにしか思えない。


 不躾に見つめてしまったせいか、雪さんは気まずそうに僕から目を逸らした。

 その態度から何かを隠している気がした、おそらくそれを知られたくないのだろう。

 でも何かあると知ってしまった以上、見過ごす事は出来ない。


「雪さん、病気なのかい?僕はどうやら言ってはいけない事を言ってしまったみたいだね。配慮が足りなくてすまなかった」


 僕は頭を下げようとしたが、慌てた様子で止められた。

 雪さんは観念したとばかりに苦笑いを浮かべ口を開いた。


「少し前に、心の病気をね……」


 短かくそう漏らした彼女の表情は暗い。少女が雪さんを擁護するかの様に会話に加わる。


「お母さんは私の為に毎日遅くまで仕事を頑張ってくれた。これからは私が働いてお母さんを助ける番だから。心配しないで」

「何を言ってるの小春。お母さんが何とかするって言ったでしょう。今日の人はダメだったけど、まだアテはあるから」


 雪さんは少女からの申し出に悲痛な面持ちをした。


「で、でも……もう無理だって。友達にも私の事情は知れ渡ってしまってるし、授業料払えたとしても、私学校には行きたくないよ……」


「そんな……」


 隣でやり取りを見ていた僕は、二人の置かれている状況をなんとなく理解した。

 初恋の人がお金で困っている姿は流石に見ていて気分の良いものではない。


  ただ、僕が助力を申し出たとしても、素直に受け入れてもらえるだろうか?

 おそらく受け入れてもらえない気がするが、言ってダメならまた考えればいいだけの話だ。

 あの時の様に伝えずに後悔するのだけは嫌だった。


「お取り込み中に申し訳ないのだけど、僕で良ければ相談にのるよ。人が少なくなったとは言え、ここじゃ込み入った話はしない方がいい。とりあえず場所を変えないか?」


 僕の言葉にハッとなり2人が辺りを見渡した。周囲からの注目を集めていた事に気づいてくれた様だ。


「一応僕で解決できるかは分からないけど、お金の絡む話だよね。とりあえずゆっくり話せる所……そうだなここから少し離れるけど僕の家に行こう」

「家に私達を連れ込んで何をするつもりなの?この変態」

「小春、あなた何て事を」


 少女の方は僕に文句を言う元気がある様だから大丈夫だろう。変態のレッテルを貼られた事については色々言いたいものの、話が拗れそうなので今は聞き流す事にした。


「雪さん大丈夫。えっと、小春ちゃんだっけ?別に2人に何かしたりしないから。だから僕を信じて付いてきて欲しい」

「気安く名前で呼ばないで」


 どうやら僕に名前を呼ばれた事が不快だったらしく、すごい形相で睨まれた。雪さん譲りの可愛い顔が台無しだ。 


 僕は雪さんの方に視線を向け助けを求めた。この事態を解決出来るのは彼女しか居ないだろうと期待込めて。


「小春、いい加減にしなさい。優君ごめんなさい、この子も色々あって神経がすり減ってしまっているの」


 そう言って申し訳なさそうに僕を見つめる雪さん。僕が欲しいのは謝罪ではなく、どちらかと言うと『付いて行く』という言葉なんだけど……。


 キュルルルル〜


 すぐ近くで何か音がした。音の発生した方向を見れば、小春ちゃんがプルプル震えながら俯いていた。

 暗くて分かりにくいがお腹が鳴り恥ずかしくなったのだろう。仕方ない、ここは僕が泥を被るとするか……。


「ごめん、真面目な話をしているのに。立ち話してたらお腹が空いてきたみたいだ。時間も時間だし食事をしながら話そう。何もしないから付いてきてくれ」


 僕はそう言って、2人の返事を聞かずに歩き出した。小春ちゃんは雪さんに説得されている様だが、その場から一歩も動く気配がない。


 歩くスピードを緩め、たまに振り返りながら様子を窺う。暫くの後、2人が歩き出したのが遠目で確認出来た。


  その様子に安堵の溜息を漏らし、僕はさらにスピードを落とし駅に向かうのだった……。

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