雨の記憶が上書きされる

大和田よつあし

第1話 手紙 / 雨石

 六月の雨は悲しみの記憶で上書きされた。

 優しかった母と兄がそろって死んだ日も、父が行方知れずになった日も雨が降っていた。

 雨は何時だって嫌いだった。


 行方知れずだった父から手紙が投函されていた。居なくなってから十年、初めての連絡だった。

 切手も消印もないことから、直接投函したのだろう。巫山戯た話である。

 便箋には頼みたいことがあるので明日来てくれと一言。下の方に住所が書かれていた。意外と近くだ。

 明日は平日。どうせお金の無心だろう。文句のひとつでも言わなければ気がすまない。

 時間の指定はないから、仕事帰りでいいだろうと、安易に考えたのが間違いの始まりであった。

 

 私は渋谷美雨。今はしがない地方公務員。父がいなくなった当時は大学二年生だった。

 長患いの母の美和と兄の天次あまつぐがそろって亡くなり、父の正和はとても落ち込んでいた。

 葬儀が終わった後、普段着のまま、ふらりと家を出ていった父はそのまま帰ってこなかった。

 三日経っても戻らなかったので、警察には行方不明届を出したが、死亡もしくは事件に巻き込まれない限り、分からないと言われた。




 雨が降っていたその日は、早く家へ帰りたかった。外国で仕事をしている父が帰ってきたのだ。それだけでも嬉しいのに、本当かどうかわからない土産話が楽しくて仕方なかった。だから、普段なら決して通らない、暗くてじめじめした沼側の近道を通ってしまった。

 沼のほとりに青黒い色の雨合羽を着たひとが立っていた。よたよたと歩いていたから老人に違いない。

 空中に正方形を描いている。十センチ大の正方形の画は、火花を散らしながら空中に残っている。サイコロを描くかのように、残りの五面を次々に描く。最後の線が繋がった時、空中の雨ごと立方体は切り離された。


「うわっ、何で、不思議」


 つい声を出してしまった。


 その声に、「なんじゃ、お前さん。わしが見えるのか」と老人は振り向いた。

 老人ではなかった。でっかい青カエルだった。


「えっ、大きいカエル……」


「お前さんにはわしがそう見えてるのか……まあ、いい。ふむ、資格はあるのう……ほれっ」


 カエルのおじさんが今しがた切り取った青い固まりを投げて寄越した。僕は慌てて受け取る。


「うわぁ、綺麗。中が透けて、ん、雨が降っている」


「雨石じゃ。誰にも渡すなよ。お前以外が触ると、中に取り込まれるぞ」


「取り込まれるとどうなるの?」


「そりゃ、魂がなくなるから死んじまうな」


「ええ〜、怖い。いらない」


「受け取っちまったから、もうお前のものじゃ。捨てようが何しようが、お前の手元に戻って来る」


 僕は手の中の雨石を見つめる。


「誰にも触らせないように内緒にすればよい。大事な種じゃからな」


「大事な種?」


「こっちの世界はスカスカじゃからな。埋めてやらんとすぐ壊れちまう。お前さんのように見えるやつに預けて柱になって貰わんとな……坊主、名前は?」


「正和」


 カエルのおじさんは、いい名だとひとこと言って、雨煙りの中へ消えて行った。

 僕はもう一度、手の中の綺麗な石を見て、お父さんにも見せてあげようと考えていた。

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