好きな男にフラれた腹いせに、自分を慕っている従者に「私のことが好きならあの男の首をとってきて!」と好きな男の首を強請る女主人の話

もこもこ毛玉カーニバル!

第1話

「わたくしのことが好きならあの人の首を取って来なさいよ! わたくしのことを好きになってくれない、あの男の首を!」

 女主人がそう言い放ったのは本当に、つい頭に血が上ってしまったからであって、決して本心ではない。

 彼女には幼い頃からずっと仲の良い年上の幼馴染がいた。

 まるで兄のような彼について回り、優秀な彼に認めてもらうために彼女は日々勉学に励んでいた。

 そして、早逝した父に代わり若くして家を継ぎ、当主としての務めを果たそうと日々奮闘していたのだ。

 そんな中、幼馴染の婚約の話が出たものだから、女主人の胸の内はどきりとすると同時に期待で膨れ上がる。

 女主人と幼馴染の家は何代も前から付き合いのある家系だ。

 事実、彼女の父が生きていた時から二人の両親も仲が良く、だからこそ二人はこうして今まで関係性を続けられてきたのだ。

「ね、ねえ、婚約を考えているって本当……? お相手はどなたなの?」

 そわそわしながら女主人は幼馴染とお茶を共にする。

 今後の家のことで相談したいことがあるといって彼を呼び出し、恐る恐る訊いてみたのだ。

「ん? 知っていたのか」

「っあなたのことですもの!」

 にこにこと笑顔を浮かべる幼馴染に、女主人は顔をほんのり赤く染める。

 昔から、幼馴染は彼女には甘い男だった。こうして二人で過ごす時間は昔に比べたらずっと減ってしまったけど、それは今でも変わらない。

『きみだよ』

 だからこそ、そう言われることを期待したし、実際、それしかないと思っていた。

 二人の家柄は釣り合っていたし、家同士の付き合いもある。年齢だってちょうどいい。

 優秀な幼馴染が選びを間違うことはない、という確信が彼女にはあった。

「ふふ、まだ両親以外には言っていないんだが……彼女は下町の酒屋で歌を披露していた歌姫でね」

 けれども、女主人が言われたのはあまりにも無常な言葉だった。

「彼女はとても美しく、素晴らしい人なんだ! これは運命に違いない! もちろん、今度きみにも会わせるよ。きっと仲良くなれると思う」

 そして幼馴染は語りだす。

 聞き惚れるほどの声を持ち、仔猫のような瞳でこちらを見つめてきた彼女に恋に堕ちたと。

 いかに、自分たちが運命的な恋をしたか、両親を説得するのが大変であったか。

「祝ってくれるだろう? きみは俺の一番の理解者だからね」

 そして、それを乗り越えた自分たちが、どれほど幸せか。

「わ、」

 恍惚とした顔で、つらつらと口を止めずに語り続ける幼馴染の口を、唇を震わせながら、女主人は強引に遮る。

 彼の話す言葉なら、ずっと聞いていたいと思っていた。そう、思っていたのだ。

 つい、さっきまでは。

「わたくしの方が、先に好きだった!」

 思わず口から零れだしたそれは、伝えようとは思っていなかったもの。

 だって、二人は自然に結ばれると思っていたから。それが当然だと思っていたからだ。

 当たり前のことを、伝える必要はない。

 けれども、女主人はそれを口にした。呆然としながら、目を見開いて、幼馴染の顔を見つめる。

 幼馴染も同じく驚いていた。先ほどまでの夢見るような表情はどこへやら、口をぽかんと開けてしばし黙ったあと、彼女に向けて静かに話し始める。

「きみのことを、そのような目で見たことは一度もない」

 いつも彼女の目を見ながら話してくれたというのに、今はどこか気まずそうにそれは逸らされて、瞳が交わることはない。

「もちろん、きみのことは素敵な人だと思っているよ、友人としてね。だから家同士の関係はこれからも続けて行こう」

 続けられた言葉は、まるで弁解するかのような、彼女の機嫌を取るようなそれ。

 眉を下げて、しおらしく、そして困ったように微笑んで、男は言ったのだ。

「すまないね」


   ***


 ベッドに倒れ込み、わあわあとまるで子どものように泣き崩れる女主人の傍らに一人の男が控えている。

 彼女が少女の時から仕えている男は、いつも愛想のいい笑みを浮かべている優男だった。

「家柄も金もない女を選ぶなんて、しかも、何よ運命ってっ!」

 悔しかった、悔しくて苦しくて悲しかった。

 けれども、あんなに幸せそうに笑う男にそれ以上、何も言うことなどできなかった。

 だって、幼馴染のあんな表情を、彼女は今までの人生で一度も見たことがなかったのだから。

「あのような方はご主人様には相応しくありませんよ。ええ、私が保証します」

 従者は穏やかな声音でそう言いながら、ベッドに近づき、女主人の背をそっと撫でる。

「ご主人様は素晴らしい御方、若くして立派に務めを果たし、領地を治めている人格者でございます。皆も誇りに思っているに違いありません」

 まるで鼻歌でも口ずさむかのような口ぶりに、女主人はシーツから顔をあげ、大粒の涙が浮かんだ瞳で従者の顔を強く睨みつける。


「嘘つき! 嘘つき嘘つき! そんなこと思ってもいないくせに!」


 ──父の跡を継いだ彼女を待ち受けていたのは、ただただ厳しい現実であった。


 聡明で冷静な父と代替わりをしたのが若い一人娘だと知った領民たちは笑いながら「もうここは終わりだ!」なんて言って笑いながら酒を飲み干す。

 それは冗談と本気が交じり合ったものであったろう。

 実際、父が治めていた頃に比べてこのあたりの治安はよくないし、彼らの生活が良くなったわけでもない。

 役立たずの女領主だと、陰で彼らに言われていることを彼女は知っている。

「あなただってわたくしのことをできそこないの当主だと心の中で笑っているんでしょう!?」

 それでも、それでも彼女はここまで必死に頑張ってきたのだ。

 両親が亡くなり、早くから当主を継ぐこととなった中、ただ一つの夢として恋焦がれた男と結ばれたいなどと思っていて、何が悪いと言うのだ!

 そしてそれすらも、むざむざと砕かれたというのに!

「そんなこと思うわけもございません。私はこの世の何よりも誰よりも、あなたをお慕いしているのですから」

 従者の男は首を横に振り、女主人の傍に跪く。

 もう何度も聞いたそれは、それは従者の男の口癖のようなものだった。

 あなたをお慕いしている、だなんて、まるで絵本の中の登場人物のような言葉を従者が女主人に言うようになったのは、彼女の父が亡くなり、母が寝込むようになってからのことだっただろうか。

 顔色一つ変えず淡々とした穏やかな口調で、まるで当然のことのように述べられるそれは、いつもならどうしようもない親愛の冗談だと軽く受け流せる。

 けれども、こんな時でさえ男はいつもみたいにへらへらとした笑みを浮かべて言うものだから、女主人は腹の底からまるで煮え立つ熱湯のような怒りがこみあげてきて、思わず言ってしまったのだ。


「わたくしのことが好きならあの人の首を取って来なさいよ! わたくしのことを好きになってくれない、あの男の首を!」


 従者の男は女主人の言葉にはいつも素直で真面目で、どこに連れて行くにも恥ずかしくない立派な召使だった。

 信頼だってしていたし、父が亡くなった時に悲しみに暮れる彼女の傍でてきぱきと他の者たちに指示を出してくれていたのもこの男だ。

 そんな彼がどのような意図を込めて彼女にその言葉をぶつけているのかなんて、わからなかったし、大して興味もなかった。

 だって、彼女はずっと幼馴染の男に夢中であったから。

「……よろしいのですか?」

「ええ! あなたにできるものならやってみなさいよ!」

 いまや、女主人の言うことだけを訊く彼は、静かにそう返事をするが、悲しみと憎悪の奥底に沈む女主人は、枕に顔を擦りつけてシーツに潜り込むだけであった。

 細身ですらりとした体躯を持った従者は、武勇に優れているわけではない。

 彼女が幼い頃に父に拾われたのだという彼は、いつも穏やかな笑みを浮かべて女主人の身の回りの雑務をこなしているだけの男であった。

 その仕事の内容の中には女主人の身の回りの警護も含まれているから、それなりに護身術やらなにやらは身に着けていると遥か昔に彼女は聞いたような気もするが、それだけのこと。

 ただ一介の従者の男が、そんなことできるわけもないだろうし、そもそもそんな勇気なんてありはしないだろう。

 女主人が紙で指先を切っただけで、今でも慌てて救急箱を取ってきて、彼女がわがままを言えば、困ったように微笑んで嗜めるだけの男だ。

 可能性もないことに何を懸念するというのか、そう内心鼻で笑いながら女主人はシーツの闇の中で目を閉じる。

 しばらくしてから、ばたん、と部屋の扉が閉まった音がしたような気もするが、女主人はそのことなどもうすでにどうでもよかった。

 それよりも、全てを忘れて泥のように眠ってしまうことが何よりも大事だったからだ。


   ***


「ご主人様、ご主人様」

 ゆさゆさと、軽く身体を揺さぶられて、女主人は不愉快な気持ちになりながらうっすらと瞳を開ける。

 あれから従者の男は出かけたらしい。けれども普段から買い物を任せたりもする身だ、大して気にもせず、女主人はリビングのソファでただただ酒を煽っていた。

 今は仕事も何もしたくない、全てを忘れて微睡んでいたかった。

 そうしているうちに眠り込んでしまっていたらしい。窓の外をちらりと見れば、夕暮れがこちらを覗いている。

「……一人にして頂戴」

 他の者にはここには来るなと言いつけてある。

 誰とも話したくないし、話しかけられたくない。いつもであれば、従者はいち早く彼女の機嫌を察知して率先して他の者に指示を出すのだが、帰ってきた今朝の彼は、どうにも機嫌がよさそうであった。興奮したように声を少し上ずらせている。

「ご主人様、どうかご覧になってください」

 普段であればすぐ退くはずの声が今は引く気配がない。

「もう、何よ! 今は一人にしてって──」

 それがあまりにもしつこいものだから、苛立った女主人はたまらず身体を起こし、叱りつけようと声の主を見遣る。

 けれども、彼女が言葉を続けるよりも早く、従者の男は床に膝をつき、胸元に抱えていた『それ』を両手で恭しく女主人に差し出した。

 それに寝起きのぼんやりと視線を下ろして、そして彼女は目にした。


 ──蒼白になった顔色の、最愛の幼馴染の男の首を。


「お時間かかってしまい、申し訳ございません。ご主人様のご要望のものを持ってまいりました」


 ぱたた、と音を立てて、従者の手を伝ったそれが、女主人のドレスを赤く染め上げていく。

 

 腕の中にあるそれを見て、言葉を失う彼女に、従者の男は微笑む。

 いつものようににこやかに口角をあげ、彼女だけを見つめている。

「へ……あ……? え、ぇ……? え、な、によ、これ……」

 あっという間に女主人の胸の中を赤く染め上げていく虚な瞳のそれと、瞳を輝かせて微笑む従者の顔を交互に見て、女主人の頭の中に、昨日目の前の男に言ったことがフラッシュバックする。


 ──「わたくしのことが好きならあの人の首を取って来なさいよ!」


「ひ、ァああ゛ぁ、アッ、うそ、なんで、うそ、うそ、ア゛、ァ」

 わなわなと唇を震わせた女主人は、赤く染まった指先で、それの頬を撫でる。

 昨日までは彼女の名を呼んで笑ってくれたそれは、女の顔をガラス玉のように映す物言わぬただの置き物であった。

「この、人殺し」

 カラカラになった喉から、掠れた声を女主人は搾り出す。

 どこか期待したようにこちらを見つめる従者の男の手に、足に、顔についた赤いシミがなんであるか、彼女は理解せざるを得なかった。

「ば……ばけもの! よくも、よくもこの人をッ! このばけものっ!」

「ど、どうなさったのですか? ご主人様。あなたが欲しいとおっしゃではありませんか、この男の首が欲しいのだと……」

「ちが、ちがう! ちがうちがうちがう! いや、いやよ、な、な、によ、これっ、こんなのッ! ちがう、うう、ぅうっ」

 女主人は腕の中の最愛の男の置き物を抱きしめる。

 質のいいドレスが真っ赤になっていくのも構わず、首を横に振りながら女は泣き叫ぶ。

「おまえ、お前お前お前! おまえ、よくもっ、」

「ご主人様、どうか──」

「こないでよっ! 触らないで!」

 伸ばされた従者の手を、女主人は強く払いのける。

 声にならない嗚咽を漏らしながら「ちがう、ちがう」と壊れたようにぶつぶつと呟く女主人を、従者の男は黙り込みながら払い除けられた手を握りしめる。

「……以前より何度もお伝えしているではありませんか。私はこの世の何よりも誰よりも、あなたのことを心より慕っていると」

 そして従者の男は腕の中のそれを抱きしめたまま、こちらを一瞥もしない女主人の顔を覗き込む。

 まるで幼い頃にわがままを言った彼女が拗ねてしまったのを見ているときと同じ、困った表情を浮かべて、そんな女主人の頬についた血糊を懐から取り出したハンカチで拭ってやる。


「だから、ご主人様に喜んでいただきたかったのです! どうか私を褒めてくださりませんか?」

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