シミュレーション

降矢あめ

ある学生の話

 

 教室には妙な静けさが漂っていた。多くの視線の先で二人の生徒が睨み合っている。 

 小宮トモキは頭を掻きながらゆっくりと歩を進め、二人の生徒の間に入った。


「どうしたのかな?」 


 睨み合っていた二人のうち水色のTシャツを着た生徒が眉を吊り上げたままトモキを見た。


「はなみちゃんがうそついた」

「うそじゃないもん」 


 はなみちゃんと呼ばれた生徒が水色のTシャツの生徒を睨みながら叫ぶように言う。


「うそだよ!」

「うそじゃないもん!」


 相変わらず睨み合う両者をなだめてトモキは詳細を尋ねる。二人の話をまとめると事の発端ははなみちゃんの発言らしい。



 水色のTシャツの生徒(なおちゃんというらしい)が遊園地でゴーカートに乗ったことを自慢していたところはなみちゃんが自分は車を運転したことがあると言い出した。もちろん自動運転が一般的になったとはいえ運転免許は未だ存在しているし、年齢も引き下げられたとはいえ小学生が車を運転することは認められていない。その場にいた生徒たちはみなはなみちゃんが嘘を吐いていると思った。しかしはなみちゃんは嘘は吐いていないという。と言うのも実ははなみちゃんは仮想空間上で(より詳しく言うならば彼女の両親の所有する車の車内で身体感覚を伴う装備を着て)車を運転した、ということだった。 


 仮想空間に関する技術はここ数年で著しく進歩した。数十年前まであくまでも画面の中でしかなかった世界がだんだんと現実の人たちを繫ぐ場となり、買い物をしたりする新たな経済圏となった。さらには仮想空間での体験が身体の感覚を伴うまでにもなった。昨今では営業や接客などのほとんどの活動が仮想空間上で行われている。国家資格の中で実務経験を必要とするものの中には仮想空間上での実績を加味するものもある。


「ほんとうじゃないのにはなみちゃんのうそつき!」

「うそじゃないもん!」


 嘘、ではない。実際、という言葉が正しいのかはわからないが少なくともはなみちゃんは仮想空間上で(身体感覚を伴って)車を運転した。しかしなおちゃんの言う「ほんとう」が現実世界でのことならば嘘になるのだろうか。


 どう答えるのが最適か。考えあぐねているとチャイムが鳴った。







「はい、止め」


 指導教員の一声で目の前から生徒たちの姿が消える。


「以上で今回の教育実習は終了です。次回までに今回の対応やポイントについてまとめて提出するように」


 はい、という学生たちの返事とともに指導教員が講義室をあとにする。ふう、と息を吐くとこめかみに嫌な汗が伝っていた。


「おーつかれ」


 肩の衝撃にトモキは顔をしかめる。佐藤ダンは決して悪いやつではない。道でうずくまっている人がいたら反射的に声をかけるようなそんなやつである。が毎度声をかけるたびに馬鹿力で肩を叩くのはいい加減止めてほしい。


「おいダン、トモキの顔見ろよ。明らかに痛がってるだろ」

「痛かったか?すまんすまん。気をつけてはいるんだが」

「大丈夫だよ」

「はっきり言ったほうがダンのためだ」


 笹木カイは表情を変えず淡々と答える。トモキはカイの瞳が苦手だ。なにを考えているのか、全くわからない。


「それより今回の実習ちょっと反則だよなあ」


 ダンの言葉にトモキは苦笑いする。


「教育実習だって少し前まで学校にアポ取って生徒の前で模擬授業とかしてやっと教員免許取れたんだもんな」


 今回の仮想空間での運転と自分たちの教育実習を重ねてしまったのはトモキだけではないらしい。


「それは昔の制度上だろ。今は学校の形態だって多様化してる。むしろもっと早く受験資格を変更すべきだったんじゃないか?」

「そうだけど、なにが正しいのかほんとうか考えちゃうよなあ」

「正解がある問題はAIが解く。人間の仕事は正解がない問題を考え続けることだろ」 


 ついでに自ら導き出した考えについての責任を取る、とトモキは心の中で付け加える。

 数十年前までSFという物語の中だけに存在していたAI(人工知能)はあっという間に人間の知能を越え、生活を支えるなくてはならないものとなった。今ではかつて人間がしていた仕事は次々とAIが担うようになり、十数年後には人間が生まれてから死ぬまで寝たきりでも生きていけるようになるという説もある。


「生まれ持ったスペックでやっていくしかない。人間の価値がなくなるまではな」「馬鹿なこと言うなよ」


 ダンは笑い飛ばしたがカイの表情は少しも変わらなかった。


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シミュレーション 降矢あめ @rainsumika

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