第5章(2)名
オオバという名前には聞き覚えがあった。社長がレジスタンスのリーダーだと言っていたはずだ。そして、サクラバという人間がその前任者だと。
大場スミと並んで、僕は歩く。海沿いの道を灯台に向かって引き返す格好だ。
「僕が、その桜庭だと?」
「ええ。あなたは桜庭さん」
「でも」
空中に視線を泳がせる。社長はサクラバについて重要な情報をもたらしていたはずだ。
「――僕は死んだはずでは?」
サクラバは戦いの中で命を落とし、代わってオオバがレジスタンスを率いた。社長はそう言った。
「表向きにはそうなっています」
「つまり、死んではいなかった?」
大場スミは、何から話しましょうか、と顎に手を当てる。
「若者が夢の中で洞窟に呼ばれる話はご存じですか?」
「ああ、聞いています。ミズカラたちを退けながらゴールを目指すデスゲームだって」
「デスゲームですか。確かにそうですね」
大場スミは笑い声を漏らす。
「私たちは――つまり、私とあなたは、そのデスゲームを生き残ったサバイバーでした。そして、洞窟に呼ばれた若者たちを救うために活動していたんです」
「救う?」
「ええ。詳細は省きますが、現実世界から洞窟へと干渉する方法を見出し、若者たちが無事ゴールできるよう導いていました。でも――」
大場スミは一旦そこで言葉を切る。わずかなためらいが見えた。
「でも、あなたは誰も死なせたくないと思うあまり、やり方を間違えた」
「やり方を?」
「ミズカラに夢の中で殺された人間は、身体を乗っ取られ、現実世界で人を殺めることになる。しかし、夢の中で人間に殺されゴールまで運ばれた人はゴール扱いになり、そんな恐ろしいことは起こらない」
彼女の言わんとすることを、その瞬間僕は悟った。
「まさか――」
「あなたは洞窟で若者たちを殺し、ゴールまで運んでいたんです」
海風が吹き付ける。波の音だけが僕の鼓膜を揺らした。
白井さんの言葉を思います。
――あなたは、私を殺した。
「命を救うための行動と言えど、殺された側は深い心の傷を負うことになります。だから、あなたのやろうとしたことを頭では分かっていても、敵意を抑えられない人は多い」
氷山のような白井さんの眼差し。あれは、彼女の受けた恐怖と痛みによるものだったのだ。
「私とあなたは袂を分かち、敵対することになりました。そしてあなたは、私によって洞窟の谷底へと落とされ、生死不明に」
そういうことか。だから僕は、死んだものとして扱われていたのだ。
「でも、あなたは洞窟の奥深くで生き延びていた。七年前、私たちレジスタンスは『ファーザー』――ミズカラの親玉と向き合いました。そのとき、助けてくれたのがあなたです」
大場スミは海を指さす。海面は西日に照らされ、橙色に輝いていた。
「あなたは『ファーザー』とともに、海へと消えました」
その結果、ミズカラたちは統制を失い、人類は戦いに勝利することができたのだという。
先導者であり、殺人鬼であり、救済者。桜庭は――僕は、そんな込み入った人間だったらしい。
僕の呪いは「ファーザー」によるものだろう。そんな人智を超えたモノを海へ引きずり込み、何のダメージも受けないとは考えにくい。
多くのことに合点がいく。点と点が結びつくみたいに。一方で、僕は落胆していた。
僕は名を取り戻したはずだ。しかし、記憶が戻る気配はない。それを、正直に打ち明けることにする。
「なぜ、僕の記憶は戻らないんだろう。ファーザーの呪いは解けたはずだし、名前も取り戻した。なのに――」
気付けば、桟橋までたどり着いていた。僕らはその上に並ぶ。
名が戻れば記憶も蘇る。そう信じてきたが、間違いだったのだろうか。クダン先生が言っていた「名を取り戻す」というのは、もっと別の何かを指す暗喩だったのかもしれない。
大場スミは小首を傾げてみせる。
「呪いとか、名前とか、その辺は私には分かりません。でも、もしかしたら、桜庭さんはまだ半分だからかもしれませんね」
「半分?」
彼女は僕の前に進み出た。逆光で、その姿は真っ黒だ。どんな表情を浮かべているのか、僕にはうかがい知る術がない。
「桜庭さんという人間は、あなたの半分ということです」
雨宮さんは、僕のことを「白と黒が混じっている」と言っていた。白が桜庭なら、黒は何なのだろう。
突然、大場スミは桟橋から海へ飛び込んだ。呆気にとられた僕の前で、彼女は支柱に手を掛け、よっ、という声とともに桟橋へと戻って来る。
十メートル近く飛び上がって。
彼女は僕の胸ぐらをつかんだ。
抵抗できないほどの力だった。
僕の身体は宙に浮き、海へと投げ込まれていた。
――――――――――
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――――――
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――
―
濁った海の中で目を開いた。
そうだ。
そうだったのだ。
僕は、全てを思い出していた。
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