壱 禁句 その三
僕たち四人は、椅子に座ったまま眼を閉じ、両手で耳を塞いで、時間が過ぎるのをひたすら待ち続けました。
影のような奴らは、相変わらず纏わり付いてきます。
その感触が直接肌に伝わって来て、じわじわと僕たちの心を蝕んでいました。
四人のうち、最初に耐えられなくなったのは、シマモトさんでした。
突然彼が椅子から立ち上がったので、残りの三人は一斉に彼を見ました。
「これ以上、こんな所にいられるか!」
シマモトさんはそう叫ぶと、入口の扉に向かって、猛然と駆けていきました。
しかし扉を開けようと、把手に手を掛けた彼を、上から伸びてきた触手のようなものが、絡め捕ってしまいました。
そしてシマモトさんを、巻き上げていったのです。
僕が見上げると、天井だった部分に、真っ黒な空間が出来ていました。
触手は悲鳴を上げるシマモトさんを、その中に引きずり込んだのでした。
そしてその空間から、シマモトさんの悲鳴と共に、とても嫌な音が聞こえてきました。
それは肉を齧り、骨を砕く音でした。
それに続いて、何かがボタボタと、床に滴り落ちてくる音がし始めたのです。
僕は眼を閉じて、耳を塞ぎました。
しかしその音は、直接の脳に響くように、いつまでも僕の頭の中に聞こえてきたのです。
暫くすると、音は止みました。
そっと上を見ると、真っ黒な空間は消えて、天井に戻っていました。
そして空間が消えると同時に、僕たちに纏わり付いていた影のような奴らも、部屋から消えていたのです。
僕たち三人はホッとして、互いの顔を見合わせました。
手元の携帯電話で時刻を確認すると、午前一時を回っていました。
まだ約束の時間の半分も過ぎていませんでしたが、何とかやり抜こうという気力が湧いてきたのを覚えています。
僕たち三人はそれから小一時間の間、無言で座り続けていました。
お互い一言も口をききません。
眠ってしまえば楽だったのかも知れませんが、とても眠れる気分ではありませんでした。
それに、寝ている間に何か別の奴が出てきて、咄嗟に禁句を口走ってしまうのが怖かったんです。
そして、午前二時を回った時でしたかね。
トキトウさんが、椅子から立ち上がったんです。
どうしたんだろうと思ってみると、彼はトイレの方に歩いて行きました。
その後ろ姿を、僕とナカヤさんは、見るともなしに見ていました。
トキトウさんが、トイレの扉を開けた時でした。
中から扉を押し破るようにして、赤黒い血の色をしたものが、溢れ出て来たのです。
僕の近くまで流れてきたものを、目を凝らして見ると、それは十センチ程もある、蛭のようなものでした。
そしてその口には、ギザギザの凶悪な歯が生えていました。
トキトウさんは、そいつらが溢れ出てくる勢い呑まれて、床の上を押し流されて来ました。
そして、言ってはいけない一言を、思わず口走ってしまったのです。
「助けて」
その途端、蛭たちが彼の体に喰らいつき、貪り始めました。
そして運の悪いことに、トキトウさんの手の届く範囲に、ナカヤさんが立っていたのです。
ナカヤさんは、あまりに
そしてその脚を、トキトウさんが掴んだのです。
「いやあ!やめて!離して!」
ナカヤさんも咄嗟に、禁句を口にしてしまいました。
そして蛭たちは、彼女にも群がっていったのです。
実は、その後のことは覚えていないんですよ。
どうやら気を失ってしまったようなんですね。
どれくらい時間が経ったのか、僕は肩を叩かれて、目を覚ましました。
目の前には、トクノさんが立っていました。
「クドウさん、大丈夫ですか?」
トクノさんは、椅子に凭れ込んでいた僕を見下ろしながら、声を掛けてきました。
「ええ、大丈夫そうです」
僕は朦朧とした頭で応えました。
「昨晩は、いかがでしたか?」
そう訊かれた僕は、咄嗟に口走ってしまいました。
「怖かったです」
その途端、周囲に凶悪な雰囲気が満ち始めたのです。
――しまった。
そう思った僕は、無意識のうちに、柱時計に目を走らせました。
その瞬間。
時計から、八時を知らせる音が聞こえてきたのです。
そして凶悪な雰囲気は、一瞬で消え失せました。
椅子から僕を立ち上がらせたトクノさんは、意地悪そうな顔で言いました。
「最後のは余興です。
さてクドウさん。
おめでとうございます。
これはお約束のお金です」
今思えば、文句の一つも言ってやるべきだったと思います。
でもその時は、そんなことは思いもつかない程、動揺してたんだと思います。
トクノさんから封筒に入った札束を受け取った僕は、部屋の中を見回しました。
しかし昨晩の痕跡は、跡形もなく消えていました。
自分が悪い夢でも見ていたんじゃないかと、錯覚する程綺麗でした。
後々、警察に通報された時のために、何も証拠を残さなかったのかも知れません。
その後僕は、一人だけ車に乗せられ、前日の集合場所まで運ばれました。
帰りの車中で、僕はぼんやりと考えていました。
前の晩僕たちは、この車で、異世界に運ばれたんじゃないかと。
もしそうだとしたら、警察に通報したって無駄ですよね。
お金ですか?
結局バイクは買わずに、慈善団体に寄付しました。
気持ち的にはもう、バイクなんてどうでもよくなっていましたし、一人で使うのは、亡くなった四人の方に、申し訳ないような気がしてしまって。
これで僕の話は終わりです。
今だから言えますけど、マジで怖かったですよ。
了
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