第1章 稀代の死霊術師

第1章 第1話


【第1章 稀代の死霊術師】


 運命がせせら笑いを浮かべている夢を見た。運命に形はなく、姿もない。けれど確かにこちらを馬鹿にするように笑っていた。


 ヴィンセント・スティーリアは十八歳の青年になっていた。燃え尽きた故郷を出て、同盟国であるヴァルスタイン王国に身を寄せ、騎士の養成機関である寄宿学校で十年学んだ。ヴィンセントはたいそう優秀で、座学も剣技もいつも首席だった。平民出身で、まして他国の生まれであるヴィンセントは同学年から嫉妬され蔑まれたが、そのあらゆる嫌悪感も優れた成績の前では無意味だった。いい意味でヴァルスタイン王国は実力主義であり、ヴィンセントにはその実力があった。


 しかし不運なことに、ヴィンセントは心臓を悪くしていた。入学当初の健康診断では問題がなかったが、心臓の病は年々悪化していった。それでもヴィンセントは、走るのも剣を持つのも、支障がないと言い切り、医師の言葉に耳を傾けなかった。鍛錬に励み、成績はトップをとり続けた。しかし十八歳になり卒業間近になったころ、その爆弾が破裂した。授業中に倒れたヴィンセントは七日間生死をさまよい、今ではもう走るだけで息は切れ、剣を持てるのもほんのわずかな時間となった。


 意識を取り戻したヴィンセントの病室に一人の男性が訪れた。筋骨隆々とした男は、誰もが知る存在、ヴァルスタイン王国騎士団の騎士団長だった。騎士団長は苦し気に、しかし断固とした口調で言い放った。


「残念だが、君の身体では騎士になることはできない」


 騎士団長が直々に学生の病室を訪ねることなど異例中の異例であった。しかし話によると団長自ら、ヴィンセントの件を聞き、話がしたいと申し出たらしい。愚直で真面目な青年の夢を手折る仕事を団長自らが請け負ってくださったのだ。


「……わかりました」


 ヴィンセントは頷いた。

 敵国・オーリバイン王国と戦い、家族や友人、故郷の敵を討つこと。そのために十年間、ヴィンセントは努力してきた。しかしその夢はもう永遠に叶うことはない。考えると息ができなくなりそうなくらい、とても苦しい。しかしこれは現実で、変えようがない。ここで涙を流したところで団長や先生たちを困らせるだけだった。


 騎士団に入る夢を断たれたヴィンセントは職を探さなければならなくなった。心臓の病のことを考えると、激しい動きのある仕事には就けない。幸い、勤勉で賢かったので就職先に困ることはなさそうだったが、どれも本当にやりたい仕事ではなかった。


 卒業を控えたある日、寮にいたヴィンセントを先生が呼んだ。客人が来ているとのことだった。しかしそれは奇妙なことだった。ヴィンセントにはもう学校の外に知り合いは誰もいない。


 案内された客室には黒いローブを着た男が二人立っていた。その前にはソファに腰掛けている少女が一人。十歳くらいの見た目で、目元には赤い化粧。白銀の髪を二つにまとめ、ヴィンセントを見ると、紅茶のカップをローテーブルに置いた。


「ごきげんよう。まあ、とりあえず座るのじゃ」


 少女が身に着けていたのは大魔術師しか着ることを許されていない白銀の布に紫のラインが入ったローブだった。喋り方や雰囲気から老成した気配を感じるので、きっと実年齢はもっと高いのだろう。


「失礼します……」


 ちょこんと向かい合う席に座る。少女はにこりと笑った。


「わらわはシニフィス・アストライア。名前くらいは知っておるかの?」

「もちろんです! 大魔術師の中で最も優れた魔術の使い手と聞いております」


 この少女がシニフィスと知り、ヴィンセントは背筋をぴんと伸ばした。大魔術師はヴァルスタインほどの大国でも十二人しかいない貴重な人材だ。中でもシニフィス・アストライアといえば、最年長の大魔術師でどんな不可能も可能にできるという噂すらある。


「そうかしこまらずともよい。わらわ、お忍びで来ている身ゆえな」

「わ、私に何か御用でしょうか?」


 気づかないうちに魔術師に対して何か非礼をしてしまったのだろうか。しかし、魔術師など全人口の一パーセントにも満たず、ほとんど会ったことがない。魔術師になれるかは生まれたときの素質の有無で決まり、魔術師になれるかどうかは宝くじに当たるような確率でしかない。


「そなたがこの学校で類を見ないほどに優秀な成績を修めていたと聞いてな。心臓のこと、誠に残念であった」

「……仕方がりません。運命ですから」

「運命か……。そうじゃな。そういうのなら、わらわがここに来たのもまた運命と思ってほしい。巡り合わせじゃとな。わらわは今日、そなたにある職業を斡旋したくここへ来たのじゃ」

「ある職業? 私は魔術の素養など全くありませんが……」

「無論、それでもなれる仕事じゃ。とある大魔術師の秘書官になってほしい。会議や任務遂行の予定を組んだり、陰で支える事務方の仕事じゃ。魔術の素養は必要ないが、頭が切れて、なるだけ愛国心のある若者がよい。そなたは他国の生まれじゃが、養成機関で優れた成績を修め、今はローゼンベルグの人間じゃ。これらの条件にぴたりと合う。どうじゃ?」


 艶やかな赤い目元を細め、シニフィスが問う。


「もちろんお引き受けします! 裏方とはいえ、国防や軍事に関わる仕事に就きたいと考えていましたから」

「よい返事がもらえてよかった」にこりとシニフィスが笑う。「それでは任せるぞ」


 シニフィスが背後の黒いローブの男たちに目線をやると、彼らは書類の束を差し出した。十枚ほどの羊皮紙にサインをして、新しい就職先の住所や担当する大魔術師の名前が書かれたリストをもらう。


「よろしく頼むぞ、ヴィンセント」

「はい。精進いたします!」


 ヴァルスタイン王国は現在、どこの国とも停戦状態にある。しかしいずれは西側の大国、オーリバイン王国と戦うことになるだろう。そのとき矢面に立つのは騎士団と大魔術師率いる国家魔術師の軍団だ。大魔術師を支える裏方仕事というのは、騎士になる夢を断たれたヴィンセントにとって、唯一ともいえる希望となった。

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