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 しょうがないから映画は一人で観に行った。


 去年の秋のことだった。中間テストが終わった次の日に二年生の女の子が屋上から中庭に向かって飛び降りて死んだ。

 彼女はテストが終わると一人で学校に残り、どこかに身を隠してそのまま夜を明かし、太陽が昇ると同時にその身を地に沈めた。

 発見したのは練習で朝十時に学校に来ていた一年生の野球部員で、すぐに先生たちに連絡したらしい。

 彼女の死は試験休み明けに生徒全員に知らされるようになった。

 後日、彼女のロッカーから彼女の筆跡による遺書らしきものが発見された。内容からすると自殺を思い立ったのは彼女の失恋によるものらしい。相手の名はイニシャルだけで書かれ、文面からすると同じ学校の一年生が好きだったらしい。そこには切々とその相手に対する思いが書かれていた。相手のこと。自分のこと。生活のこと。家族のこと。世界のこと。再び相手のこと。そしてその思いの結果、不確かで不安定で内側で腐敗の始まった自分を浄化するために死に至ったのだと。最後に「お父さん、お母さん、お姉ちゃん、私が死ぬことで悲しむかも知れませんが、それは私の死を悲しむのではなく自分の過去の記憶の死を悲しんでいるだけなのです。『私』という記憶はこれで終わりますが、こんなものに振り回されずにこれからを生きて下さい」と締めくくられていた。

 遺書に関しては家族と教員と警察しか内容を知らなかったはずなのに、いつしかその内容はどこからか知れず流れ出した。先生方の顔色を伺うとどうやらその噂の内容は間違いないらしい。そしてその話しと共に、ある人物は校内で奇妙な脚光を浴びるようになった。校内の一年生でそのイニシャルを持つ人間は、その人物しかいなかったのだ。


 自殺があったことは知っていたが、『イニシャル』について僕は何も知らなかった。『イニシャル』の話しはクラスの女の子に聞いた。だけどその子とは別のグループの女の子に聞いてみるとまるで違うイニシャルが出てきた。「本当はこっちなのよ」とこっそり教えてくれた。また隣のクラスにいる奴の話しでは「俺あの子を気に入ってたんだぜ」と言った。噂の内容は校内でもグループなり人なりでかなり食い違いがあったが、大半の話しにはあの彼が何らかのカタチで関わっていた。それも相当いかがわしいカタチで。

 僕が最初に彼女の自殺のことを知ったのはTVのニュースだった。TVで見る二年棟は実際のものよりはるかに汚く、そしてみすぼらしかった。そのみすぼらしさは他の棟をカメラが捕らえるたびにより引き立った。みっともない壁のシミや割れかけたガラスをTVカメラはっきり捕らえていた。カメラを生み出した人物はとても偉大だ。画面の中のものは全て克明にして公平だ。問題があるのはいつも撮る側と見る側だ。

 僕は去年試験休み明けに自殺があった話しを担任の先生から正式に聞いた。

「色々話しが出回っているが、人が死んだことには違いない。そのことだけは変わらない。そのことをよく考えてから今回の話しを聞いてくれ」去年の担任はそう言って何があったのか必要最低限のことだけ話した。僕はその時、その先輩の女の子を顔を思い浮かべようとしたが全然思い出せなかった。顔はひょっとしたら朝礼で見たことはあるかも知れないが本当に死んだその子かは自信が持てない。死んだのは別の人間で僕の記憶にあるその子が今三年棟で勉強していてもおかしくない。千人以上もいるのだ。ずっと顔を見ない奴だっているに違いない。ともかく僕には何の関わりもない話しだと思った。たまたま同じ学校に自殺者が出ただけだ。誰かが死ぬことはこの世界では良くありえることで、たまたま僕たちは誰かの死に隣合わせただけなのだ。乗合バスで隣の人がそこの停留所で降りただけなのだ。空席には誰かが座り、僕もいずれバスを降りる。例外はない。

 彼女が飛び降りてまもなく、中庭には数種の樹木が植えられた。樹木は中庭を囲うようにびっしりと植えられ、上からは中庭の様子は見えず、下からはわずかな空しか見えないほど枝や葉に包まれていた。後で聞いた話しだが、彼女が飛び降りた場所に立った教師の一人が「こりゃ、誰だって吸い込まれそうになる」と言い、今後同じことをする者が出ないよう配慮した結果こうなったらしい。彼女が飛び降りた場所は生徒から『ジャンプ台』と名付けられ、近づく者を彼女の元へ誘うと言われた。そして噂が最終形態をなす頃に二年棟の屋上の鉄扉に鎖つきの大きくて重たそうな南京錠がかけられた。


 二年棟の屋上に鍵がかかっているのにはそういう経緯があった訳だが、このあいだの春休みに入るちょっと前にあの南京錠がぐちゃぐちゃに潰されて床に転がっているのが偶然先生に発見された。僕も見たことがあるが、何か巨大な力で扉から鎖ごと錠前を引きちぎりでたらめな形に押し潰されていた。スクラップ工場でプレスされた車でもこうはならないと少しゾッとした。

 泥棒の侵入かはたまた生徒のいたずらか、先生たちだけで調査を行ったが手がかりは何も掴めなかったようだ。幸いなことに校内では設備の盗難も生徒の所持品の盗難もなかった。先生たちの一部はホッと胸をなで下ろしたが、何もなかった分だけ無惨に変形した南京錠が事件の奇妙さを際立たせた。

 鉄扉は鎖をつける所から引きちぎられているため、修復は扉そのものを取り代えない限り不可能だった。結局予算がないのをいいことに扉はほったらかしになり、以来僕らは二年棟の屋上でタバコを吸っているわけだ。

 昼休みに屋上でタバコを吸うことは仲間うちでは当然のことになっていた。僕も昼食をすませるとだいたい晴れた日は屋上に足を向けた。本当はタバコを吸うことなんか二の次で、外の景色を見ていれば満足だった。埠頭に広がる運河とコンテナのパノラマ、飛行機と風が駆ける大きくて青く白くて灰色い大空。屋上で感じる空気は教室のそれより遥かに気持ち良かった。

 屋上にはいつも同じ学年の知った顔が四~五人、多くて十人はいて、顔を合わせては声をかけた。とても友好的にヨォッと。

 僕ら(彼らとクロックと僕)は別に自殺のあった屋上には特に何の抵抗もなかった訳じゃない。二年生の八割りくらいは屋上に来ることはほとんどなかった。もともと事件以来立入禁止の場所だし、鍵がないとわかっていても何かと屋上に行くことに抵抗を示していた。抵抗のある奴は根拠のない恐怖に身をすくめ三階より上の階段に足を向けなかった。僕らも行き始めの頃はちょっとした恐怖に近い抵抗もあった。死んだ人間の呪いを少しは信じていた部分もあった。だけど仲間うちには暗黙のルールがあった。誰かが言い出した訳じゃない。僕らは恐怖に対してどれだけ自分を馬鹿馬鹿しく演出するか、どれだけ誇示できるかで自分の値段を決めていた。単車でどれだけコーナーをきわどく攻められるか。どれだけ校則を破れるか。どれだけ面白い体験を話せるか。どれだけヤバイ遊びに手を染められるか。自殺のあった立入禁止の屋上に入り浸るくらいのことは、何でもない当然のことなのだ。ただ『ジャンプ台』と言われる彼女が中庭に向かって飛び降りた東向きのすみっこの柵には足を踏み入れないようにした。他の奴はどうだか知らないが、僕にとってそれは恐怖ではなく敬意だった、と思う。

 たまに生活指導の先生が校内を巡回したが喫煙の現場が見つかるようなことはなかった。わざわざ問題にならないようにあらかじめ今日はどこそこを誰先生が見回ると生徒に告げるのだ。そうすれば生徒はその日は見回りの場所にはいないし、先生は何も見ない。何も問題は起こらない。「我が校のモットーは生徒の自由を守ることと自主的な行動力を養うことです」と校長は言った。もしたまたま見つかった所でたいしたおとがめはない。せいぜい親を呼び出すぐらいだ。「以後気をつけて下さい」とか言って。


 クロックのいない学校はなんだか面白くなかった。クロックがいないと僕の周りの空間は透明度の高いガラス板でピシリと密閉されたみたいになんとも居心地が悪かった。まるで僕の席は誰にも見えない異次元空間に存在していて、僕のことなんて誰も気にとめてないように思えた。僕からはみんなのことを見渡せるのに、みんなからは見えないのだ。

 学校の中でもともと面白くないと感じる部分が山ほどあったが、少なくともクロックに学校で会うことは面白いと感じていた。規格の統一されたメディアがみんなの脳のフォーマットを統一し、冗談でさえも昨日のTVで流れていたものの繰り返しだった。そんなもののどこに面白味があると言うのだ。クロックはある意味では僕と学校を繁ぐパイプラインの様な存在だった。僕は学校の中のさまざまな事象をクロックを媒介にして感じていたのだ。面白い話しも、悲しい事件も、下らない世間話しもクロックがいたからこそ僕はこのコンクリートで閉鎖されたろくでもない空間の現象を理解できたのだ。教育という檻の中に無理矢理押し込まれて強制的な友好を保つ生物たちの関係にも納得がいったのだ。クロックの不在があらためて僕と学校の接点の少なさを思い知らされた。ただ、そのことを悲しむようなことはなかった。

 朝から僕はクロックが来るのを待ち続けた。僕は左前のクロックの席を気にしながら、クロックが現れることを期待していた。そうすれば僕はクロックを映画に誘うことができる。一限目にクロックがいないと何か不満を感じた。二限目にいないと何か不安を感じた。三限目にいないと不安が推測を生み出した。四限目になると推測は確信に変わった。

 クロックは欠席なんだと。

 クロックがいないその席は巨大な岩盤が爆薬で吹き飛ばされた空間のような気がした。そしてその特殊な存在がぽっかりと空白化した空間の向こうには彼が僕の視界にちらちらと入っていた。

 あの日以来、僕の視線は彼に注がれることが多い。たとえ授業に集中したとしても、つまらない授業にあきあきしてこっそり小説を読んでたとしても必ず僕は視線の焦点を彼で絞ってしまっていた。僕の中のどこかで、でたらめな噂に包まれた本当の彼を知りたいと思っていた部分もあるし、今まで気づかなかった彼の一日の行動になんとなく興味がわく部分もあった。今のところ僕が校内で彼を見かけたことがあるのは授業以外ではない。それ以外に登下校の時も休み時間でも食堂でも廊下でも屋上でも彼を見かけたことはない。たぶん僕は校内のどこかで彼をどこかで見たことぐらいはあるだろうと思った。僕はそのことを思い出せないだけなのだろうし、気にとめていないというのは正にそういうことなのだろう。彼を気にとめている今、僕は彼とどこかで出くわすのをちょっと期待していたりもする。僕はその時、彼に話しかけるのだろうか?

 今日の授業はどれもこれも全然聞いていなかった。終了のチャイムが鳴るたびに何の授業だったのか思い返した。頭の中に三十キロくらいの重さのハンディキャップがのせられているようだった。耳に内蔵された集音装置は故障気味だし、情報のより分けを行う脳のある回路は水をこぼしたみたいにショートしていたから、集中して聞く気は毛頭なかったし、黒板に書かれたことをノートに写す気にもなれなかった。ノートは開いていても日付とタイトルを申し訳程度に書いていただけだった。朝からずっと教科書に挟んで読みかけの小説を開いたがそっちの方も全然集中できなかった。右の一頁を読んで左の一頁を読んで次の頁をめくると、前の二頁の内容が綺麗に記憶回路から消去されてしまうのだ。集中できないのに『虚人たち』を読むものではない。こんな状態で本を読むとすればポケット文庫のグリム童話くらいしかない。

 昼休みは一人で食事をした。学食で簡単にそばを食べて済ませ、屋上に行くのも面倒だったから図書室に行った。とりたてて何か本を捜しに行くわけじゃない。何より人と話す気になれなかった。

 図書室は三年棟の三階にあって、広くて綺麗で清潔な空気に溢れていた。世界史大百科みたいなものからローダンシリーズまでわりと幅広いジャンルのものが並んだ棚の中の収まっていた。どんな時でもここに人が集まることはなく、静かで落ち着いた穏やかな雰囲気だった。僕は最近ここに揃っている隆慶一郎の小説をよく読んでいる。

 僕はそこで読書家がテーブルに座って何か本を読んでるのを見つけた。西向きの窓際のいつもの席で左の肘をついて熱心に本を読んでいた。読書家というのは僕が勝手につけた仇名だ。読書家は三年生で僕が図書室に行くとたいていはいつもの窓際の席で何かの本をきちんとした姿勢で熱心に読んでいた。髪は短く刈り上げられ、読書家の性格を表すがごとく襟足はきちんと処理されていた。太い銀縁フレームの眼鏡をかけ、読書に対する熱意の現れとも言うべき分厚いレンズをはめていた。もしガラスレンズだとしたら相当な重さだろうと僕は推測した。読書家は当節の若者の定義から言えばかなり逸脱した風貌をしていた。つまり親父くさかった。しかしそれは一般的な十代の格好及び顔立ちを基準にした場合であって、当の読書家にとってはきっとどうでもいいことだった。そんなことよりもっと大事なことが彼にはあるのだ。読書家は色々なジャンルの本を読んでいるようで、ある時は百科辞典のように分厚い本だったり、ある時は岩波新書のように小さかったり、僕が見かける度にその本の種類は変わっていた。よくそんなに早いスピードでページをめくれるものだと僕は思ったが、熱心にページをめくる読書家を見ている限りはただのポーズでそこにいて本を読んでいるとは思えなかった。だいたい誰もいない図書室で誰に格好をつけると言うのだ。

 僕は自分でその光景を見ながら、とても和やかな気持ちになった。それはまるでもう一人の自分がそこにいるような感覚だった。この学校にも少しは(読書家が何の本を読んでるんだか知らないけど)僕と同じように熱心に他人の文章に心を傾けてる奴もいるんだと思った。

 僕は立ち並ぶ本棚を抜け、目をつけた一冊の厚い本を手にした。その本は中に砂か鉛でも詰まっているかのようにひどく重く、両手で持たなければ床に落としてしまうところだった。面倒くさいからその本のタイトルも見なかった。僕は図書室の奥にある入口や閲覧コーナーからは死角になっているソファーに座り、壁にもたれかかった。それから厚い本を枕にしてソファーを寝そべった。僕はそんなに寝るつもりはなかったし、五時限目の世界史も受けるつもりだった。僕はただ横になって何も考えずに目をつぶりたかっただけなのだ。僕という不安定な柱を一度横たえて身体を休めたかったのだ。二本の足で僕の身体を支えるには僕の体重はとても重すぎた。上半身だけで一トンあってもおかしくないと思うくらい身体が鈍くてだるかった。ただ横になるのだ。そうすれば僕の体重はソファーに伝わり床に伝わり建物の鉄骨に伝わり頼りになる大地に全てが支えられるのだ。それはほんの十分でいいのだ。そのくらいわずかな時間があれば僕は楽になるのだ。しかし、実際に目をつぶると僕はこのまま五時限目を受けることはないだろうとうっすら予感していた。その目を閉じた暗闇はとても穏やかで暖かい柔らかな場所だった。僕が有する闇の中でまぶたの裏側は凄く気の許せる空間だった。

 そして僕は眠りに誘われ、そのまま五限目を寝過ごした。

 五限目終了のチャイムで目を覚まし、厚い本を元の場所に戻してすぐに教室に戻った。だが授業を出なかったくらいどうとも思わなかった。隣の席の女の子は「何さぼってんのよ。だめじゃない」と塾を勝手に休んだ子供を叱るように言った。

「いいだろ。放っといてくれ」と僕は言った。最近の彼女は何かにつけて口やかましい。僕は嫌がらせの一環としてみんなの前で抱きついて口をまた塞いでやろうかなと思ったけどやっぱりやめた。そんなことをしてもどうにもならないことは僕も十分にわかっているのだ。

 そして六限目が終わり、ようやく一日のうちの退屈な部分を今日も無事終えた。

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