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 球技大会が終わって次の週。僕の目から見てもクロックの様子はおかしかった。


 クロックの様子がおかしかったのは授業中に後ろからその姿を見ていてもわかった。そわそわとしきりに身体を揺すり、何かに対してイライラしていた。まるで自分の思うようにことが運べなくなっている小さな(大きいけど)子供みたいだった。得意のシャーペン五連続回しをひっきりなしに続け、いつもより多く失敗して床にポロポロ落としていた。頭をかき回し、爪を噛み、指をポキポキと鳴らし、ガタガタと足を震わせ、よく板書中乗の先生に「落ち着きがないぞ」と注意されていた。休み時間にみんなと世間話しをしてもてんで上の空で話しを持ちかけられては「ごめん、もう一回」と聞き返していた。

 僕にはなんとなくその原因を推測できた。


「え!お前知らないの?」

「え!何を?」と僕は聞いた。何かまずいことを聞いたのだろうか。僕は本当に何も知らないのだ。

 早速月曜日の昼休みの屋上でみんなに聞いてみた。それはもちろん彼についてだ。彼が僕のクラスにいたなんて、僕はあんなことがあるまで今の今まで気づきもしなかった。週末は彼のことが気になってよく眠ることができなかった。アルバイトもよく身が入らなかった。自分が発見したことが誰の思いもよらぬものだったからだ。だからみんなにさりげなく彼のことを聞いて情報収集しようと思った。

 僕は見たのだ。

 そう、あの後半戦終了間際。目をつぶると彼が放ったロングパスがビジョンとして焼きついていた。人々の頭上をかすめ、クロックに届いたパス。あれは適当に蹴られたボールじゃない。そのまま脚を出せば誰でもシュートできる完璧で理想的なパスだ。ゆるやかで鮮烈な放物線。計算された弾道曲線。だが今のところ本当に彼がクロックにパスを出したかどうかはさだかではない。そんなもの見た奴はいない。

 でも僕は見たのだ。

 みんながバックファイヤの爆発音に気を取られている隙に彼がボールを蹴ったのを。みんなの意識の空洞をついて彼のボールがクロックに届いたのを。

 でももし僕がそんなことを言い出しても誰も信じはしないだろう。今のところヒーローはクロックただ一人なのだ。

「だいたい何であいつのこと聞くんだよ?」

「や、ちょっと気になることがあって」と僕は言った。

「影がないんだぜ。あいつ」と一人が言った。

「え!それは俺は知らないな。初耳だぜ」ともう一人が言った。「分身がいるのは知ってるけど」

「分身なんて古い。今はシャドーレスマンなんだぜ」別の一人が自慢気に言った。最初の一人がそうだそうだとうなずく。

「え、何?シャドーレスマンて何?どんな意味?」こいつの意味は無視された。

「英語で言うことかよ」ハッとみんな馬鹿にしたようにせせら笑った。

「一体何のこと?全然把握できないんだけど、全然」と僕は言った。実際、彼らの話しに僕はついていくことができなかった。分身?シャドーレスマン?一体それは何のことなんだ?みんなはこいつ知らないのかよと変な顔をした。

「去年の九月の初めの頃にさ」と一人が言った。今度は茶化すようでもなく真面目な口調だった。「校庭で写真撮ったんだよ」

「写真?」と僕は言った。

「ああ、学校のパンフレットに使うんで、去年のC組とD組の連中使って屋上から写真撮ったんだよ」

 そう言えばそんなことがあったことを僕は思い出した。今度新しく作った学校紹介のパンフレットに普段の生徒の生活風景を入れたいからだそうだ。

「良く晴れた日でさ、俺もその中にいたんだけど、校庭にいるだけで汗がだらだら出るくらい暑くてさ。みんな嫌々やらされたんだ。前々から撮影があるとは聞いていたけど、まさか俺のクラスとD組がやるはめになるとは思わなかったよ。それで昼休みにみんなで校庭に出てサッカーをやったんだ。中にはバックレる奴もいて、後で叱られてたけどな。カメラは屋上とグランドに一台ずつあってさ、写真部の三年の奴らがそれぞれめいめいに撮りまくってたよ。担任とかがあれしろこれしろ笑顔でやれとか表情が堅いとかうるさくてな。一応クラス対抗のカタチで二十分試合したんだけど、ゲームは決着つかなくてさ。やけくそでやってたのにみんな収まりつかなくて、撮影が終わってもみんな制服のまんま休み時間が終わる間でやってた。

 後日写真部の奴がすぐに現像したんだ。写真はまあまあ良く撮れてて、屋上から撮った全体のゲームの状態を撮った奴やグランドで撮ったシュートしてるシーンなんかもあったりなんかしてパンフレットにのせるぶんには申し分なかったみたいなんだ。特に屋上から撮ったキックオフ前みんながそれぞれのポジションについている時のシーンのできは撮った本人も先生連中も満足してたらしい。パンフレットは中折れタイプだから、これを見開きの真ん中のページにどうだろうという話しがあったくらいだ。

 で、問題はこっからなんだけど、いざその写真を使うとなって写真を大きく焼いてみたらその写真部の奴はそれに気づいたんだよ。強烈な日差しの中、みんなくっきりとその影をグランドに焼きつけてるのに、そいつの影はどこにもなかったんだよ。影がなかったんだ」と僕を怖がらせるように最後を決めようとしたが僕はたいして何とも思わなかった。聞いていた周りのみんなももう聞き飽きたと言う感じだった。話しをしてくれた奴は気を悪くしてタバコを取り出してまた吸い始めた。

「パンフレットにそんな写真あったっけ?」と僕は聞いた。学校案内のパンフレットの内容を思い返した。授業や休み時間の風景はあったけど、そんなページはなかったはずだ。

「結果的にはそのページは没になった。例の校舎立て直すのと同じ予算が底をついたんでページ削減があったんだ。それでその写真は日の目を見なかったらしい」

「その写真を実際に見たの?」と僕は聞いた。

「いや」と首を振った。その場にいたみんなも首を振った。

「もしその話しが本当なら、その写真は今どこかにあるのかな?」

「さあ、その三年の奴も卒業しちゃっただろう。わかんねえな」

「部室に眠ってるって話しだぜ。なあ?」

「そうだっけ?」

「そうそうそう」

「そんな話しだよ」

「写真部の奴ならわかるかな?」

「写真部なんて去年潰れたじゃねえか。部員がいなくて」

「あ、そうか。その話しはどこで聞いたの?」と僕は聞いた。

「みんな知ってるぜ。なあ?」

「いや、だから誰に聞いたの?」

 みんな顔を見合わせ首を傾げていた。本当に噂の出所を知らないようだった。

 僕は「ふうん」と言った。


 クロックがバスケット部を一年で辞めたのにはもちろんそれなりの理由があった。一般的には、当時三年生の先輩をメチャクチャに殴ったからだと言われている。放課後、部員の誰かが部室に訪れると、そこには倒れた無数のロッカーと先輩がいた。返り血を浴びたクロックは興奮した様子でそこに立っていたと言うことだ。次の日クロックは退部届を顧問の先生に提出した。そこには反省のため、今後他の体育系クラブ活動は一切行わないと記されていた。

 ただ殴った理由についてはあまり知られていない。知っているのは教員室の先生方とバスケ部とその他諸々の連中ぐらいのものだった。


 月曜日も火曜日も水曜日もクロックは何かに苛立ち、何かを抱え込んでいた。クロックは人の輪の中心に位置する奴だ。そこにとどまるだけで人が集まってしまう。でも何だかそれを拒否するように昼休みはどこかに姿を消し、放課後はすぐに下校していた。クロックに用のあった奴らはクロックの席に近づき不在を確認するとチェッと舌打ちした。授業の合間の休み時間に一度だけ球技大会の話しが出た。無神経なクラスの女の子たちは、クロックのシュートを讃えてあの時の興奮を語った。みんなわいわいとクロックのそばに集まり、球技大会の健闘を互いに誉めあっていた。たまに冗談で僕が「ボールの痕がついてるぞ」とからかわれた。みんなは大きな声で笑った。僕はあの時の衝撃を思い出したのであまり笑ってもいられなかった。「私あのシュート一生忘れないな」とある女の子が言った。「あれは凄かったもんな。目に焼きついてるぜ」と誰かが言った。みんなその意見に同感だった。クロックは笑顔でそれに応えていたが言葉では何一つ応えていなかったのを僕は気づいていた。忘れないという観点から見ればクロックも同感だろう。結局のところ、どうやら誰もあの彼のロングパスには気づいていないのだ。

 クロックの様子も気になっていたが、もう一つ気になることがあった。それはもちろん彼のことだ。あのロングパスを決めた彼のことだ。非常に不思議なことに僕は今の今まで彼がクラスに存在していることを知らなかった。まるで突然そこに出現したみたいだった。正確にはあの日あの時の後半戦、突然この世界にメンバーチェンジしたみたいだった。彼の席は窓際の真ん中の少し前、授業中は僕の視界には入らない。彼はいついかなる時でも目立たない。授業中でも目立たない。先生にさされたところも見たことがない。体育の時間でも目立たない。レシーブしたところも、バッターボックスに立ったところも見たことがない。けれど彼はいきなりその席に出現したわけではない。元々そこにいたのだ。僕がまるっきり気づかなかったのだ。あるいは彼が自分の気配を僕にだけ断っていたのかも知れない。『影がない』という噂はどうもずいぶん前からあちこちで広まっているようだった。ただし、現実問題として今の彼にはきちんとした黒い影がある。それは僕がきちんと目で確認した。他にもかなりそれに便乗したと思われる『分身』『呪術士』『ベイダー卿』果ては『ネクサス6』『スカイネットが送りこんだサイバーダイン』などめちゃくちゃな噂もあったが、僕にはそれら全てが嘘くさい信用ならないものだと思っていた。みんなは噂を半ば信じ、気味悪がった。だけど、何故彼にはそんな噂がいつもついてまわっているのだろう?誰かがなんらかの意図を持って噂を言いふらしているのではないだろうか?彼自身はそのことをどう思っているのだろうか?

 とにかく彼は妙な噂とからめて僕の中に不思議なカタチで存在していた。

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