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 昼休みに屋上でタバコを吸うことは仲間うちでは当然のことになっていた。僕も昼食をすませるとだいたい晴れた日は屋上に足を向けた。本当はタバコを吸うことなんか二の次で、外の景色を見ていれば満足だった。埠頭に広がる運河とコンテナのパノラマ、飛行機と風が駆ける大きくて青く白くて灰色い大空。屋上で感じる空気は教室のそれより遥かに気持ち良かった。

 屋上にはいつも同じ学年の知った顔が四~五人、多くて十人はいて、顔を合わせては声をかけた。とても友好的にヨォッと。

 昼休みが終わるまでの間、彼らはタバコを吸い、少しホッした顔をしてペントハウスの陰に腰を下ろす。時にはパチンコや競馬の話しをして自分たちのギャンブル運について冗談半分に語ったり、新型の単車をいつ購入するかなどの話しをしていたりしていた。その手の話しは親しい友人同士の楽しいおしゃべりに聞こえないでもないが、大半は人の話しに耳を貸さない一方的な自慢話だった。それ以外にもアルバイトの話しもした。コンビニエンスストアで働いたりガソリンスタンドで働いたり何もせずにアルバイトの情報誌を買うだけだったり。そして誰もが決まって「金がない」と言うのだ。

 金がないと言う割には、みんな『ジャンプ』『マガジン』等の漫画雑誌は学校に持ち込むほどよく読んでいるが、小説は誰も読んでいない。そういう話しは今まで出てきたことはない。うちの学校の連中は毎日同じ話しを適当な周期で繰り返しているだけなのだ。そのことに関してみんなは何も感じていないようだ。もし僕がその延々と続く同じ内容の会話に「僕は最近サローヤンを読んでいるんだ」と言ったとしても、それについて誰も応える者はおらず、聞き流されるだろう。誰もフォーサイスやティム・オブライエンの話しはしない。船戸与一や牧村拓を読みはしない。別に小説じゃなくたっていい。漫画だって大友克洋や安彦良和や三浦建太郎なんて読みはしない。学校じゃ、誰も舞台の裏側の実力者の存在を知らなかった。


 校内の実力者の存在ならみんな知っていた。

『キドリ(ワイルド気取り)』というのが僕が心の中で勝手につけた奴の仇名だった。もし僕がそんな風に奴を思っていると知れば、奴は直ちに僕を学校裏に呼び出しサンドバックの代わりにするだろう。キドリは僕より一つ年が上だが去年の成績が悪いのと出席日数が足りないことで留年してしまった。今は隣のクラスで一応授業にはきちん(?)と出ている。

 キドリは肩まで届く長髪で、髪の半分くらいは茶色に染まっていた。左耳には他人の痛覚を刺激するような五連ピアス、ゴールドとシルバーとルビーとサファイヤとエメラルド(本物ではない、と思う)。愛用の変形学生服はお腹の部分を短くして、裾を絞ったパンツをはいていた。たまにちらちらと見える上着の中には赤いピストルズのシャツを覗かせていた。ロゴはたいてい『未来はない』だったが、たまにずたずたに(わざと)引き裂かれた黒いシャツだったりもした。靴はいつだってごつごつした爪先に鉄板の入った安全靴みたいなブーツで、蹴られたら内臓破裂を起こしかねない。キドリは上履きに履き替えると身長が五センチ低くなった。でもそのことをあえて指摘する奴はいない。思っていても口には出さない。

 キドリは普段は三年生の連中とつるんでいた。留年してるし、見るからにヤバそうだし、因縁つけられるかも知れないから隣のクラスでは煙たがられてるみたいだった。おまけに留年してからは出席率が良くなったらしくみんな何かと扱いに困っていたようだ。

 去年までのキドリは喧嘩をしては謹慎を繰り返す模範的な不良だった。生意気だと言っては校内で喧嘩し、ふざけるなと言っては他校の生徒と街中でもめ、頭にきたと言ってはヤクザ(チンピラのさらに下っ端程度まで)でさえ相手にした(らしい)。その行動は一見むちゃくちゃでアナーキーなパンクスのような無鉄砲さがあったし、みんなもあいつは危ない奴だと危険視した。死にたがってるとみんなから思われていた。

 でも僕はキドリのそんな行動は一連の不良漫画をお手本にしてただ喧嘩して自分を誇示してるだけだと思った。キドリの行動パターンをそれとなく伺ってみると、どうもある雑誌で週間連載されたかっこいい不良高校生を主人公にした漫画がマニュアルになっているようだ。敵対勢力と抗争が激化すると決ってキドリは誰かともめているようだった。僕はそんなキドリのワイルドぶりをマヌケだとは思っていたけどかっこいいとは全然思わなかった。だけど学校のみんなはそれに気づいていないのか、キドリが漫画の主人公と同時進行するヤバくて危険な存在に見えるようだった。

 最近の漫画は高校生が主役でも映画並のバイオレンスシーンが連発し、読者を作品に引き入れやすく作られていた。街にいるいわゆる不良、つっぱり、ヤンキー、ゾッキーと称される連中のよくわからない行動原理は結局のところ学生の部活動みたいなものなんだと僕は思う。そうじゃなきゃあんなに大げさに群れるもんじゃない。真のアウトローは群れたりなんかしない。昔みんなが『キャプテン翼』に憧れてサッカーを始めたように、キドリのような連中もその手の本から自分たちの叶えられない欲求をめちゃくちゃなお祭騒ぎに仕立て上げて肯定化するのだ。

 キドリはそんな色々なマニュアルか何かをお手本にしてああでもないこうでもないと自分のやることを決めているに違いない。もしキドリが死にたいのなら、去年のあの子みたいに屋上で床がなくなるまで歩けばいいんだと僕は思った。

 キドリは校内の実力者だ。今のところ学校で彼より偉そうに口を聞ける生徒はだいたい入院している。


 僕は入院したことがない。

 僕は産婦人科で生まれて以来、産後の検診以外ほとんど病院に行ったことがない。大病もしたことはないし、事故を起こしたこともない。一度だけ車にはねられて足を骨折した奴の見舞いに行ったことがあるが彼はのんきに漫画を読んでいい御身分だった。たまに家にも学校にもバイトにもいるのが嫌になる時があるけど、僕はそんな時病院のベッドでごろんと横になってゆっくり漫画でも読んでいたいなと思った。

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