第19話 大事にしたいから(ヴァレンス視点)2
長い廊下を大股で歩き、ヴァレンスが向かったのは宰相執務室。ヴァレンスの執務室と隣り合うそこは、質素な自分の執務室とは比べようがないくらいゴテゴテと飾り付けられ、センスの欠片もなかった。
「ヴァレンス皇帝陛下、いかがなさいましたか。お呼び下されば参りましたのに」
カトリーナと同じオレンジブラウンの髪色をした痩せぎすの中年男が立ち上がり、ヴァレンスの来訪を出迎えた。ギョロリと大きな目をしたこの男がミューゼオ侯爵で、レキシントン帝国の宰相でもあり、ヴァレンスが継承権争いで生き残ることができた立役者でもあった。
ただしその関係は信頼や忠誠ではなく、打算にまみれたものだったが。
「どうぞ、お座りください。おい、お茶をお持ちしろ。ああ、お茶と言えば、娘のカトリーナがまさに今、庭園茶会を開いているんですよ。身体の弱い第三側妃様は社交は難しいだろうからと、貴族同士の親睦を深め、少しでも皇帝陛下の御世に貢献しようとはりきっておりましてな。いや、我が娘ながら健気でなりません」
「俺の為?」
「さようです。領土拡大の為、外交の為に他国の王女を娶られたんでしょうが、やはり正妃はアーツの貴族の娘から選ぶべきだという元アーツ貴族達が多数おる次第です。そういう輩が、万が一側妃様方に悪さをしないように、カトリーナは貴族の娘達を掌握しようとしておるんです。それも全て皇帝陛下の為。そう言われると、本宮の庭園の使用も許可せざる得ませんでしたよ。ハハハ……」
「俺はそんなことは求めていない」
ベラベラとよく喋るミューゼオ侯爵は、口先と財力だけで生き残ってきたタイプだ。娘は娘で、親の権力を笠に着て弱者を踏みつけるような性格をしており、強者には媚を売るその態度は正直虫酸が走る。
「まあ、そうおっしゃらず。もしよろしかったら、少し茶会に顔を出して下さりませんか?カトリーナの顔も立ちましょう」
「それならばさっきすでに行ってきた」
「おお!さすが、皇帝陛下。カトリーナも喜んだことでしょうな」
ミューゼオ侯爵は、跳ね上がった口髭を満足そうに撫でた。
「アンナと二人で、クリスティーナを迎えにな」
「第一側妃様と……」
ミューゼオ侯爵はカトリーナを正妃にと目論んでいるから、ヴァレンスに溺愛されている(と見せかけている)アンナの存在は邪魔でしかなく、アンナを暗殺する為に何度か刺客を放っているという報告も受けている。
アンナは自身もかなりの剣豪ではあるが、生国からついてきたアンナの護衛がかなりの切れ者で、彼によりミューゼオ侯爵の放った刺客は全て無力化させられていた。
「今日より、侯爵に預けていた本宮の裁量権を、正当な人物に戻すことにした」
「はて?正当な人物と言いますと正妃様になりますが」
「本来はな。しかし本宮をクリスティーナの住まいとしたのならば、彼女が本宮の采配をするべきだろう。南宮はアンナが、北宮はジャンヌが采配しているのだから」
「しかし!」
ヴァレンスは、冷ややかな視線をミューゼオ侯爵に向けた。そこにこもった覇気に、ミューゼオ侯爵は顔色を悪くする。
「さっき、茶会でも周知してきた。おまえは俺が言ったことを撤回しろと言うのか?」
「いや、でも、第三側妃様は健康に難があると……」
「あれは、よく寝る体質だそうだ。眠れるということは健康な証だ」
「しかし、いきなり他国の王女が我が国の王宮を仕切るのは、しきたりも知らないことが多いでしょう」
「補佐をつけるから問題ない」
「では、補佐役は私が厳選いたしま……」
「もう任命した。ヤンデス辺境伯令嬢と、ストロベル子爵令嬢だ」
「は?」
二人共、カトリーナのお茶会には来ていたものの、ミューゼオ侯爵の派閥には属していない貴族だ。
「これからは本宮の人事や行事に悩まされることがなくなるから、政治にのみ集中できるな。なぁ、宰相」
「いや、しかし……」
本宮に勤めるということは、貴族令嬢にとってステータスであると共に、うまくすれば皇帝に見初められるかもしれないビッグチャンスであると考えられていた。
その職を差配できる立場にあったミューゼオ侯爵の下には、年頃の娘を持つ貴族が集まり、沢山の金や宝石を手土産にミューゼオ侯爵に頭を下げた。前アーツ王(ヴァレンスの父)が手当たり次第に女性に手を出していたから、貴族達はそのイメージが抜けなかったのだ。
本宮の裁量権を失うということは、貴族達に貸しを作る場も失い、収入源も減ることを意味していた。
「用事はそれだけだ。邪魔したな」
事後承諾になったが決定事項だとばかりに言い放ったヴァレンスは、ミューゼオ侯爵が言い返す暇を与えずに宰相執務室を後にした。
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