42 林檎


「お嬢さんにこの良く熟れたリンゴを差し上げよう」


 老婆に扮した魔女は、白雪姫にリンゴを差し出す。


「コンナニアカイappleヲミタノハ――」


「はい、ストップです」


 あまりにカタコトになってしまっている白雪姫には中断を要求された。

 ちなみに場所は空き教室である。

 この学校に演劇部はないので、総指揮は学級委員長の吉田よしださんがとっていた。


「え、なんでだよっ」


 一旦中止が要求されると白雪姫は露骨に眉をひそめた。


「え、えと……」


 その剣幕に吉田さんは言葉を濁す。

 白雪姫……ハルはいつも通りなのだけれど、普段接していない人には不機嫌に映るかもしれない。

 一緒に見ていた私が助け船を出す事にする。


「ハル、言葉が固すぎるわ。もっと力を抜いて」


「え、いや、こんなのやった事ないからよく分からないって言うか……」


「それにしてもカタコトすぎてセリフが観客に伝わらないわ」


「マジか」


「あと“アップル”じゃなくて“リンゴ”よ」


「あ、それは無意識だ」


 カタコトと英語が相まって外国人風になってしまっていた。

 私としては普段見れないハルがいて面白かったけれど、ここは改善すべきだろう。


「もっと肩の力を抜いて自然に話すといいわ」


「そっかー、分かったやってみる」


 そう言ってハルは体を揺らしながら脱力を意識する。

 もう一度、魔女との邂逅がスタートした。


「あ、ありがとうございます。水野みずのさん」


 練習を見ている傍ら、吉田さんが私に声を掛けてくる。

 さっきのハルの件だろうか。


「いいのよ、皆が違和感を感じていたから吉田さんの判断は間違っていないわ」


「そう言ってもらえると助かります。ですけど、白花しらはなさん本当に水野さんの話は素直に聞くんですね」


「……そうかしら」


「ええ、てっきり練習にも来ないものと思っていたので」


 否定したい所だが、それはハルの普段の行いのせいだろう。

 本人もボイコットは計画していたので当たっている節もある。

 とは言え……。


「こうして取り組んでいるのはあの子の意思よ、他の誰のものでもないわ」


 きっとハルは私が何も言わなくても、こうして練習に取り組んだのではなかろうか。

 役を引き受けた時点で、その覚悟は決めていたように思う。


「白花さんも水野さんも、何だか主役をやらせてしまった形になって申し訳ないです……」


吉田さんは殊勝に頭を下げる。

でもそれは彼女が気にすることではない。


「いいのよ、誰かがやらなきゃいけない事だったから。それにあの流れじゃ誰も何も言えなかったでしょう」


「そう言ってもらえると助かります……」


 演劇の準備は“劇”と“美術”の大きく二つに分かれている。

 事の発端である佐野さんは美術係を担当しているため、この場にはいない。


「でも皆さんのやる気を見ていたら良い物を作れる気がしてきました。頑張りましょう」


「ええ、頑張りましょう」


 何より真剣に取り組んでいるハルを見ていると、本当に素晴らしい劇になるのではないかと期待が膨らんだ。

 改めて白雪姫を見守る。


「こんなにredなリンゴをlookしたのは――」


 ハル、どうして必ず英語を混ぜてタレントさんのようになってしまうのだ。


「……大丈夫、ですかね」


「……ええ、きっと」


 絶妙にレベルの高い間違いをしているハルを見て私は苦笑いするのだった。




        ◇◇◇




「あー、疲れたぁ」


 練習を終えたハルはその場に倒れ込んだ。

 他のクラスメイトはこの場を後にし、今この場にいる一のは私達だけだ。


「お疲れ様」


 私はハルにスポーツドリンクのペットボトルを差し出す。

 ハルは主役のため登場回数が一番多く、それだけ練習量も多かった。


「あんがと」


 ハルはそれを素直に受け取り、ごくごくと喉を潤す。

 良い飲みっぷりで、やはり喉は乾いていたようだ。


「大変そうね」


「マジ大変、そもそもセリフの量が多すぎんだよ。あたし暗記とか苦手なのに」


「まずはセリフが考えずに出るようにしないとね」


 ハルはセリフを思い出そうとして目線が上向きになる事が多く、それだけでも演技の方に意識が向かなくなっていた。


「そういう澪は余裕そうだな」


「私って最後に出るだけだから、そんなにやる事ないのよね」


 白雪姫のメインはどちらかと言うと魔女になる。

 王子は毒林檎を口にした白雪姫の目を覚ますこと以外にはあまり出番がない。


「羨ましいな、代わってくれよ」


「それはちょっと嫌ね……」


 さすがに私が姫というのは無理がある。

 なんと言うか観客の方にも申し訳ない事になるのが目に見えている。


「ちぇっ、誰か代わってくんないかなー」


「ハルの後を務まる人なんていないわよ」


 彼女の華を前にして、自分がやりたいと手を挙げる者はいないだろう。


「いや、ガチトーンでそれ言うのやめろよ」


「本当に思っているのだから仕方ないわね」


 ハルは鼻をかいてから、スポーツドリンクを飲み干す。

 立ち上がってから大きく伸びをした。


「にしてもさ、最後のシーン大丈夫なん?」


 最後のシーン。

 白雪姫は王子の口づけで目を覚ます。

 そうして二人は結ばれるのだが……。

 当然エンディングはそこをクライマックスに迎える事となる。


「キスしているように見せるだけだから問題ないでしょ」


「いや、まあ、それは分かってんだけどさ。ほら、そういう見え方とか気にしないのかなってさ」


 見え方……。

 ああ、私が以前まで気にしていた副会長としての見え方の話しだろうか。

 それはもう私にとって過去の話だ。


「私はもうそんなこと気にしないわ。それよりも素晴らしい劇にしたいもの」


「なるほどね、それならいいんだけど」


 それで言うと、実は私の方も気になっていたというか……。


「そういうハルこそ、気になったりするの?」


「え、いやいや、あたしは白雪姫なんてキャラじゃねーのやってる時点でそっちが気になりすぎて仕方ないからっ。そんな澪とキスとかあたしにとって小さい問題だからっ」


 なるほど。

 目の前に迫る重圧の方が大きいのか。

 ハルにとっても大きい問題ではないようだ。


「ちゃんと演じようと努力しているのね」


「あ、うーん、まぁ……そういうことかな」


 そうだ、私もハルのように真剣にやらないと。

 今は浮ついている場合ではないはずだ。


「まあ、澪がそう言うなら頑張るか」


「ええ、楽しみにしているわ」


 ハルがその気になればきっと素敵な白雪姫になれるだろう。

 素直にそう信じることが出来た。

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